強く心を揺さぶられた。公平さ・客観性といった言葉が、逆説的に .. >(続きを読む)[良:3票]
強く心を揺さぶられた。公平さ・客観性といった言葉が、逆説的に不公平さ・主観性をもちうるということを学んだ。罪状認否で全被告が無罪を主張したのに対し、「有罪と認めてほしかった」という一般人の言葉が印象的だったが、その考えには欠陥があると思う。逮捕前に自殺した近衛さんらは、「悪いことをしたから」ではなくて「負けたから」自決したのだ。そもそも日本人の考える「戦い」とは、善と悪をきめる戦いではなく、勝ち負けを決める戦いであったはずだ。これは武道と総称される勝負事の基本だと思う。東条たち生き残った閣僚達は、「負けたこと」の責任を負うのにやぶさかではなく、その結果勝者に殺されることも致し方ないと考えていたと思う。彼らが「無罪」を主張したのは、自分の身がかわいいとかではなく、「負けた」けれど「悪」という後付のレッテルは受け入れられないという確固とした精神に従ったからなのではないか。そういう被告達の姿と、日本が「悪」であったと強弁する左翼の方向性をあわせながら、いろいろと考える必要があると痛感した。長いけれど、とてもいい勉強になった。[良:3票]