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<ネタバレ>すみません、これについてははっきり言って私情抜きでコメントすることは不可能です。正直に言いますが、私自身、映画の中の照恵のように実の母親に憎しみを抱いていたことがあり(照恵が「なぜ私を引き取ったの?」と泣きながら問い詰めたのとは対照的に、「なぜ私を捨てたの?可愛くないの?」と目の前にいない母親を責めるように心で問い掛けていました。ただ母の温かいぬくもりを求めていた点では同じだと思います)、母のようには絶対ならないと思えば思うほどその呪縛から逃れられず長いこと苦しみました。だから「もしも私自身が母親と暮らしていたらこうなっていただろう」出来事がスクリーンで展開していることに心中穏やかではいられなかった。最初に劇場で見た後しばらく私自身の人生もめまぐるしく動き、今年になってずっと会いたくないと思っていた実母となぜか話したくなり、あっさりと連絡が取れてしまったが、その間に実の祖父母の墓探しをして墓参りをしたりして、本当は割と簡単に手が届くはずだったのに随分遠回りをしてしまったようにも思う。それは照恵のルーツである台湾への旅をしなくても、実は父の遺骨が日本国内にあったのと同じように。でもね、分かるんです。本当は近くにいても、「その時」が来るまで会ってはならなかったんだということを。遠くにいて複雑な事情を抱えながらもやはりみんなが、そして母も自分自身を愛していたことに気付くまでは。娘同然に思っていた王さんだけではなく、戦争によって苦渋の選択をした父の実兄も。そのことがあってようやく、最後に母の美容院で対峙することができたんだと分かるのです。そして母・豊子が照恵を手放そうとしなかった理由も。照恵は、心から好きでずっと一緒にいたかったあの人がいたという証だから。それは子供自身を愛している訳ではないから決して誉められるものではないけれど---それでも美容師になったということが、上手に髪を梳いた娘を忘れたくなかったことのように思います(美容師免許を取得して美容院開業するのってすごく大変なんですよ)。ただ暴力の中の未熟な愛をそういう形でしか昇華できなかった母は、ただ去っていく娘を遠く見つめるしかなかった。「愛こそ全て」なんて単純なものではないからこそ、愛の激しさ・儚さ・そしてどんな形であっても確かにあることを、あのラストで感じるのです。