ロビン・ウィリアムズを語る上で「いまを生きる」とこれはハズせ .. >(続きを読む)
ロビン・ウィリアムズを語る上で「いまを生きる」とこれはハズせないと思うけど、この2つはロビンの映画の中では対極に位置しているように捉えられることも少なくない。でも舞台が違うだけでストーリー展開や人物造型は似ている、というかほとんど変わらない。何人かの方が書いているようにトークはこの映画のキモではない、というのはすごく同感なんだけど(後述)、その後のロビン本人をイメージ付けたという意味では「いまを生きる」よりも重要なんだと思うなあ。スタンダップジョーク出身のロビンだから出来る笑いの要素が、映画の中の兵士たちを勇気付け、ベトナムの人たちを笑顔にしていく様は、その後彼が言われるようになる「幸せ配達人」そのものなんだと思う。まさにこれは俳優ロビン・ウィリアムズを形作った原点。で、「いまを生きる」はこれの発展形ね。
閑話休題。この映画そのものについて言えばマシンガントークはあくまでも映画のスパイスであって、キモはやっぱり「ひとりの兵士が見たベトナムの情景」。私はこれ以外だとベトナム物は「プラトーン」と「フルメタルジャケット」しか見てないけど、それでもベトナムの街の人をそのままに、淡々と描いたこの映画はちょっと変わってるなあと思いつつ、戦争の悲惨さというよりは哀しさが一番分かりやすく伝わってきた映画でもあった。この前イラクで亡くなった橋田信介さんの本を読んでいるんだけど、橋田さんはイラクやその他の国の人たちとのやり取りを飄々とした文体で滑稽に、だけど実際あったそのままを書いてる。その分すごくリアルに現地の人たちのイメージが湧いてきて親しみを覚え、「こいつらが武器持ったりして戦ってるのか~、なーんか、やるせないよなあ」って気持ちになってくる。それと同じような感覚がこの映画にあったんです。実際、アメリカに刃向かっているのは普通の市民と同じ少年だったから。
ベトナム映画はこれでひとつの区切りがついたけど、もし今のイラク情勢が落ち着いて、映画として作られるような日が来たならば。こういうタイプの映画が結構出てくるかもしれない。イラクでも武器を持っているのは、普通のイラク人だからねえ。