キネマ旬報の何某は、この喫煙シーンを狭量な「挑発」だという。 .. >(続きを読む)
キネマ旬報の何某は、この喫煙シーンを狭量な「挑発」だという。
勿論、『紅の豚』でも煙草のポイ捨てシーンをあえて描いているのだから
一種の挑発的な意図もあるのだろうが、
宮崎駿の細やかな絵コンテ指示を見てもわかる通り、単なる挑発だけで多大な経費や手間を要する作画・エフェクトの指示はすまい。
それこそ、何よりも風を生起させる行為として紫煙は表現されている。
震災の黒煙、工場の煙突からの排煙、汽車の蒸気、雪の朝の白い息、バスのあげる土煙、
家から登る白煙。それらと同様、二次元の画面に豊かな空間の深みと流動態を与え
画面を息づかせる描画演出のひとつに他ならない。
絵を常に何らかの形で動かすことへの徹底したこだわり。
眼に見えない大気をも可視化させアニメーション化することで世界に生気を与えること。
そこにアニメーション作家の矜持を見る。
その挑発ならぬ挑発に簡単に引っ掛かってしまう学会こそ滑稽だ。
嫁入りの夜、襖が静かに開き、美しい奈穂子の正面のカットとなる。
そこに風花がさっと舞う。その柔らかな大気の流れがシーンの美しさを引き立てる。
『ひこうき雲』の流れる映画のエンディング。
静止画となる人間不在の情景カットにあるのは、全てを語りきったという思いか。