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本来ならフィクション映画に史実との整合性云々などどうでもいいところだが、
いわゆる映画のリアリティの観点から云うなら、「映画芸術」連載の寺脇・荒井対談
でも指摘されているとおり、事実的に「あり得ない」のオンパレードだろう。
外国人に石を投げる子供にしても、米語を流暢に操る威厳ある軍人にしても、
あるいは皇居での戦闘にしても。
米内光政のエピソードなどは当然、除外するわけだ。不都合だから。
無論「教材」としては話にならない。
NHKスペシャル『日本海軍 400時間の証言』くらい踏まえたらどうか。
映画は自惚れ鏡とはよく言ったもので、本作のような美化された虚構の日本人像
ならば「よく理解している」にすり替わり、「真実である」と持て囃されるわけだ。
朝日・毎日共同広告の有識者(提灯)座談会が誉めそやすのも、
専らそのような観点からだ。リスペクトだとか、公平性だとか。
ラストの会談シーンは、扉を閉めるフェラーズ秘書官(マシュー・フォックス)の
窃視として部分的に処理したこと、それだけで深みのあるシーンとなった。
窃視の視線。それが事実ならぬ真実性を強調するということか。