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<ネタバレ>アンゲロプロスの映画は大抵が「戻る」か「帰る」に重点が置かれる。エレニは最後、水没した自分の村に戻り、唯一頭を出している自分の家で息子(最後の家族!)の死を目の当たりにして泣き崩れる。場所を失うということは思い出を失うのとほとんど変わらないことに違いない。「心の中に生きている」という言葉だってもはや介在する余地がない。エレニにはもう帰る(戻る)場所がないし思える人もいなくなった。そして余りにも重い慟哭が曇天の空とそれを写す水の間で響きを打ち、映画は終わる。独立した三部作の一作目になる予定の「エレニの旅」は、失うということをエレニという一人の女性に背負わせる。20世紀の総括のスタートとして。言葉だけでは表しきれない哀しさや孤独と映像にすることができない不在の間を流れる音楽が、この映画を物語り、同時にエレニへ向けた哀歌となる。二つの村を造り、片方は水没させ、片方には無数の白布を干した。映像は、意味をすっ飛ばして説明のつかない力強さを提示するが、それは同時にあの赤い糸のように脆くもある。170分という時間の密度にふさわしいアンゲロプロスの神話的世界は、彼とその仲間たちの不屈の精神によって作り出された、20世紀という戦争の世紀を生きた一人の女性の愛の物語だった。