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この映画を見終えたなら、間違いなくこの映画が「Mの物語」などというタイトルではなく、「マリーとジュリアンの物語」だと了解できる。配給会社の方は、「リヴェットの映画=長い」の重圧に押しつぶされ、最後まで鑑賞できなかったのだろう。こんなタイトルになってしまった為(?)、レンタル屋ではエロティック洋画(「エマニュエル夫人」みたいなやつ)のコーナーに並ぶのが常であり、またそのタイトルゆえに並んでいても全く違和感がないという現状。ま、確かにエマニュエル・ベアールは裸体を惜しげもなくサラしているのだが、それよりもこの映画ではベアールがカワイイと感じる瞬間が何度もある。ジュリアンの元恋人の存在に嫉妬するところなんか特にそうなのだが、その元恋人の残した衣類を着散らかす場面や、猫と戯れる場面(ジュリアン氏も負けてないが)等、それまで自分が抱いていたベアール像(=官能の人)を大きく変えた。と、こんな記述だけだとそれこそ「Mの物語」でいいじゃん、となってしまうので軌道修正するが、この映画はヘンである。そのため、ラストの雨月物語にはグッときたが、数々の夢のシーン、邸の中心にすえられた巨大ゼンマイ時計、マダムXという唐突な存在、それらを何の疑いもなく包み込む空間等、掴みきれない部分が錯綜するので、軌道修正は難しい。結局この映画は「マリーとジュリアンの物語」であるかどうか、はっきり言ってよくわからない。が、この映画を見終えたなら・・・