セガールの映画がハリウッドの水戸黄門と呼ばれるのは、ただの旅 .. >(続きを読む)
セガールの映画がハリウッドの水戸黄門と呼ばれるのは、ただの旅する爺さんに身をやつしている水戸黄門が実は偉い人物(詳細は忘れた)であるように、必ず何らかの平凡な職業に着いてはいるが、実は格闘技の達人というパターンであるからだと思う。
本来セガール映画もこのやつしによってもたらされるカタルシスが売りだったのではないでしょうか?
もっとも彼の場合、初めから強そうに見えるのと、やりすぎなまでの最強ぶりがたたって台無しになってしまっているのだけれども…。