<ネタバレ>その昔。関内(横浜ね)のしょぼい映画館まで足を運んだのであっ .. >(続きを読む)
<ネタバレ>その昔。関内(横浜ね)のしょぼい映画館まで足を運んだのであった。
客はすごく少なかった。あと、鑑賞環境が悪く、終始場内の照明に悩まされた。
それでも見たかったんだなあ。
「その男」でしびれたテンポと意表をついた話運び、あいかわらずよかった。「殺すぞ」と抑揚なく言ったら次の場面ではとんでもないことに。いいなあこれ。
でもたぶん、私が喜ぶような上記の場面じゃなくて、キタノブルーとか絶賛された沖縄の浜で遊んでる(といえるのか)場面を一番撮りたかったんだと思うのだ。
仲間がどんどん欠けて(もちろん死んで)いくことに対する徹底した無感動、これが全編をつらぬく。究極のクールなんだけど、じゃ浜辺で仲良く「舞の海」とかいって遊んでる場面はなんなの、というミスマッチ。その描写とは逆に、観客は「ああ、こいつもあいつも死んじゃって、やばいじゃんどうするんだよ」とますます追い詰められた気持ちになる(たけしの狙い通り。)唸りますね。
つまり「俺らは世の中にも人生にも別に期待も希望も抱いていない」という大前提がないと成り立たないわけですね。「ああこいつが死んでショックで悲しいー。こいつにはぜひとも生きていて欲しかった」という感情表現がカケラも出てこないわけだから。
「期待も希望も持たずに最後は単独の出入りで終了」という、なんか非常につまらん話のように聞こえてしまうけれど、それを映画として成立させてしまう手腕。
胸の大きな姉ちゃんは本当に要らなかった。