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<ネタバレ>本作のキーワードは、「世界の法則を回復せよ」。それは、今は“法則が失われた状態”であるということ。生ける者全てが従うべき大原則、生態系における決まりごと。それが「法則」。「弱肉強食」、「己が生きるために他を殺すこと」。人間も生物であるならこの法則に従うべきなのに、現実にはそうではありません。人間はこの法則の範疇外にいます。本作で比喩的に提示されるカリスマVS森林の構図は、個VS集団と捉えられます。猿が高度な社会生活を営むに至って人間となった。種の主体性を個から集団にシフトさせ、法則を捨てる代わりに集団生活のための別の規則(役所=刑事は規則の典型)を手に入れたのです。つまり「法則を回復せよ」を言い換えるなら、「個に戻れ」ということ。桐山が言うように藪池がカリスマであるなら、その能力は木のカリスマと同じ。ラストカットの燃え盛る市街地は彼が引き起こした「社会の崩壊」。藪池の言葉を借りるなら「なすがまま」。以上が本作のテーマ部分の解釈です。次に作品の外郭的な解釈。本作の舞台となるのは、何処か分からない森林、廃墟となった施設、教授の家。どこか変です。キノコを生で食べ、簡単に発砲する藪池。2代目?カリスマの発現の仕方。枯れかけの木に大金を出す男。謎の2つの巨大アンテナ。これら不合理なことを全て説明できる解釈があります。それは“この世界は藪池の夢”。冒頭から2回繰り返して眠る藪池を登場させていることから想像できます。本作の出来事が“夢ではない”という保障はありません。でもこれだとちょっとつまらない。もうひとつの解釈は、“この世界は地獄”。中曽根(大杉漣)が最後に言った台詞です。2回も出てくる“火”と“トラバサミ”。集団で押さえつけ頭をハンマーでつぶす様は、まるで鬼の仕業。社会と隔絶され、金を積んでも抜け出すことが出来ない場所。燃え盛る市街地。まさに「地獄」。こんな解釈も可能だと思いました。想像する余地のある作品は好きです。