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<ネタバレ>“親友であるためには対等でなくてはならない”青木はそう思ったのでしょう。でも九條と自分では格が違いました。見ている世界が違うのです。それが悲しかったし、許せなかったのだと感じました。同じ世界を共有するために彼がしたこと。髪形も変えました。悪もやってみました。でも足掻けば足掻くほど、あいつとの違いに打ちのめされます。九條と肩を並べるための最後の、そして唯一の方法が、あの“結末”だったのだと思います。夜通し身動ぎもせずに考え抜いて決意したこと。九條より多く手を叩くことに意味はありません。九條と同じ境地「今ここで終わっていい」に辿り着かなければ意味がありません。青木は覚悟の自殺を遂げたのだと思います。絶対に彼は間違っています。親友の意味も履き違えています。でもそんな風に間違えてしまう青春も確かにあります。マメ山田先生は言いました。「花は咲くためにある」「枯れてもまた咲けばいい」でもそれは、根っこが生きていればこそ。根こそぎ摘んでしまった芽は、決して花をつける事はありません。青木の青春は無様で最低でした。ただし個人的には、汗と涙の爽やかな青春像より、こちらの方が百倍しっくりきます。[良:1票]