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<ネタバレ>この映画には、括弧付きのリアリティと偽りの体験しか存在しない。
執拗に水面に置かれたカメラ、兵士の顔を映すクローズアップや主観的視点。緩急もなく、ひたすら意味ありげに鳴り続ける重低音と音が大きければ迫力があると言いたげな音響。CGに頼らない映像。ヒーローになる事はない名もなき兵士達。
あらゆるものが”リアリティ”という言葉を盾に、これ見よがしに主張し合う。
しかしそのどれもが、映画の画面から飛び出して来る事はない、表面的で小手先のリアリティ。
そもそも、少なすぎる戦闘機の数、観客のカタルシスを満たすが為に示し合わせたように一斉に集う小型船、エンジン停止した戦闘機が不時着する間に寸前までいた砂浜の兵士達がいきなり全員いなくなる、戦場なのにゴア表現が一切ないなど、映画内のリアリティラインすら滅茶苦茶。
体験という視点においてカメラは水面に水中に銃撃戦に度々置かれる。しかし、いざ人が溺れる瞬間、撃たれる瞬間、カットは変わり”カメラ=観客の視点”は直ぐにその場から逃げる。観客は痛さも苦しさも味わう事はない。観客は第三者として、特権的な立場を保ったまま、決して当事者になる事はない。
観客は陸海空を何にも縛られもせず、時制をも超越して自由に動き回る事ができる。そこにはリアリティも究極の体験(あるのは必ず安全圏が確保されている、アトラクションのような体験)も決してない。映画の最後まで、スクリーンと観客の距離が縮まる事はない。
そして、驚くようなショットも表現もない。
インターステラーを観た時も思ったが、この監督は、決められた映画という枠の中で、深く見られがちな主題の皮を被り、メロドラマを軸として、驚きも色気も危うさもない演出と映像で真面目な映画を作る監督なんだろうと思った。
余談だが、ボルトン中佐が怪訝な顔をして空を仰ぐ→カットが変わって敵機が迫り来るという度々繰り返される演出は、鈍重でしかない。
空戦の場面もカットを細かく割り、クローズアップ、主観、引きのショット、別場面を織り交ぜるので緊迫感に欠け、構図が分かりにくい。[良:2票]