水面上でのはしゃいだ世界と水面下の低音弦がうごめく世界、この .. >(続きを読む)[良:1票]
水面上でのはしゃいだ世界と水面下の低音弦がうごめく世界、この対比って以後の監督の作品でもしばしば見られ(恐竜ランドの柵のあっちとこっち)、遊園地のはしゃぎが恐怖に転換するのが好きで、またそれがうまいんだ。そもそもが最初の犠牲者が海面ではしゃいでいるとツーッと横に動くのが、なにか新式の遊具のような不思議さがある。遊ばせていた犬が戻ってこない、捕まえようとしつらえた罠のエサが桟橋ごと持っていかれる、どれもレジャー気分が恐怖に転換する。その裏返しのようにふざけた子どもの偽鮫が銃で囲まれたりもする。海開きのはしゃいだ気分が(はしゃがねばいけないような気分が)恐怖の背景として最適。後半は舞台が海に移って社会が恐怖に対面する装置はなくなってしまうが、ドレイファスとショウの「男の張り合いもの」で楽しめる。これもアメリカ映画の好んだ設定だ(あるいは『黄金』など、男三人ものか)。ショウが空缶を片手で潰すと、ドレイファスも紙コップを潰す。船のなかでの傷自慢も楽しい。冒頭の若者たちの描写に、70年代の映画だったな、と思った。[良:1票]