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<ネタバレ>ずいぶん久しぶりに邦画で労働組合を目にした。かつての社会派映画では、よく赤旗がひるがえっていたものだ。もっともこれでは第一組合と第二組合の話になっていって、分解に至る。ほぼ半世紀前の映画、勅使河原宏の『おとし穴』(脚本安部公房)も、炭鉱の第一第二組合の抗争がテーマだった。けっこうもっと中心に持ってこられるモチーフだが、でも現在は「派遣労働者」という使い捨てできる魔法のカードを企業は手にし、もう組合を気にせずに運営できて、そもそも組合の組織率も下がっているのだろう。そのせいかここで回顧的に描かれる労働運動も、どこか「作られた切迫」に見え、たとえば現在の「派遣」の苛酷な状況につながっていくものは感じ取れなかった。それと相変わらずのアフリカの描かれ方、まず日本から見た「僻地」として登場し、最後は「癒し」の大自然となる。最初に飛ばされたのはパキスタンで、これまた往年の邦画『乱れ雲』で飛ばされた地が、まだ「僻地」として登場する。過去を舞台にした作品だから仕方ないのかも知れないが、現在作られた映画なのだから、そこに潜む地域感覚への批評的な態度がちょっと欲しい。つまり、「過去」という題材に閉じ籠もりすぎているのではないか。善と悪がきれいに分かれた世界・人物造形の単純さ、は山崎小説のポイントで、その単純な人たちによって複雑な社会の動きをはっきりさせているところに面白さがあり、一概に否定すべきものではない。ただやはり同時代性を感じさせる視点が欲しい。これだと同時代性は「今もあるあの会社はひどいな」という感想レベルにとどまってしまう。山崎豊子は大企業や政権党をしばしば槍玉に挙げるが、彼女が好んで描くのはそういう閉じた人間関係の世界の時代を越えたグロテスクさなのであって、「仮装集団」という長編では共産党を斬っている。左翼右翼で割り切れる作家ではない。山崎長編の楽しみの一つは後半の粘り気で、この映画でも遺族会の名簿を入手しようと画策するあたりから、ちょっとそれらしくなった。ただあまり粘り切らない。それと忘れたころに登場人物が再登場するとこ。香川照之がよかった。やたら過剰に気合いの入った人たちの中で、そのウツロさが光る。