中世ヨーロッパを一番感じさせない女優に演じさせることで、ハン .. >(続きを読む)
中世ヨーロッパを一番感じさせない女優に演じさせることで、ハンバーガーの香りのする奇妙な味を狙った、という訳でもなさそうで、こりゃ単に監督の個人映画と思えばいい1作目。馬小屋が焼け崩れた向こうに夕日が見えるなんてのはちょっと美しかった。2作目になると、ひどい奴をやらせるとアラン・ドロンの冷たい目つきは良く、勝ってたバルドーがフッと表情を強ばらす瞬間など、ヨーロッパの俳優のほうがポーはいい。つまりポーのころはアメリカ文学も実質ヨーロッパ文学だったってことか。でもこのオムニバスの価値は3作目。フェリーニの世界が凝縮されている。といっても本道をいく作品ではなく、異色作ではある。いつもの猥雑な幻想は人肌の温度を持っていたが、これは冷たい(後年『ジンジャーとフレッド』でもテレビの世界を扱ったが、あれは陽性だった)。それと製作費の関係だろうが、美術=セットにそれほど金を掛けてるようでなく、ロケの比率が高い。しかしその分、人物の顔のフェリーニ的カットがじっくり楽しめ、監督のやりたいことの手つきが認めやすい。人間はマネキンのようになり、疾走する車の道には人間のようなマネキンが立つ。疲れきった主人公。人々の喧騒から逃れるためには、車の爆音に包まれなければならない。休息を求める人々ってのが、フェリーニが一貫して描いたモチーフ。爆走の合い間に静寂が入るのが効いている。変な酔っ払いの表情も不気味なんだけど、ああいう表情が不気味になるって、どうやって発見したんだろう。橋の向こう側に少女を見て、ヒステリックな笑いが決断の表情に変わっていくとこがポイント。安息としての悪魔。テレンス・スタンプって『コレクター』と『テオレマ』とこれの強烈3本で、“こういう人”専門と頭に叩き込まれたもので、後年『プリシラ』でオカマ役を観たとき、へー、普通の人の役もやるんだ、と思ったものだった。