長い題名ということで、よく『博士の異常な愛情』とセットで思い .. >(続きを読む)
長い題名ということで、よく『博士の異常な愛情』とセットで思い出される映画。題名のインパクトのほうが記憶されてる作品とも言える。ピーター・ブルックは前作『蝿の王』では、いつも狭い舞台でやってた反動でか実景にこだわったそうだが(私は未見)、こっちは演劇的な舞台の興奮を煮詰めてみたよう。閉ざされた精神病院のさらに舞台(病棟)という狭いところへ押し込めた圧力に意味がある設定らしい。このややこしい設定によって、被圧迫者の革命と挫折(分断)を描いたらしいと見たが、フランス革命についての知識不足が災いしてしまった。マラーのほうが急進的で、暗殺者の女性のほうが穏健派なんだっけ。そのマラーとサドが対論を交わしたりするんだけど、私が理解できた範囲内で言うと、被管理者として甘えてしまう民衆に対する絶望みたいのが根底に感じられた。これ60年代ならではの熱さね。全体にリズムの良さが感じられるのは、もう舞台で手馴れていたからだろう。役者も長ゼリフに耐えていた。逆光が美しい。光=外界への希求を暗示してたんだろうな。精神病院の外への、革命の先への。