とってつけたような特殊メイクは残念。当時のアメリカの状況を知 .. >(続きを読む)
とってつけたような特殊メイクは残念。当時のアメリカの状況を知らないとあまり楽しめないかもしれない。「市民ケーン」へのオマージュが所々に感じられたが、一人の一生を時間軸をずらしながら追いかけていくという手法は、考えてみると市民ケーンそのものだ。しかしフーバーの描き方は誰がどう見ても表面的なものに写る。イーストウッドが描きたかったものはフーバーというよりも、当時のアメリカなのではないか?リバタリアンのイーストウッドらしく、フーバーの強烈な自由主義(とそれに伴う弾圧)とそれが修正を迫られていく過程はアメリカの盛衰を思わせるものがある。しかしそれにしても見所が少ない。時間軸操作も、あれほど複雑なものはイーストウッドは不得手なのではないか?