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<ネタバレ>無類のオペラ好きで、「アマゾンの上流にオペラ座を建てる」という夢をわき目もふらずに追う男の暴走物語。男は他人の家で音盤を大音量で鳴らしたり、教会の鐘を連打したりする愚かな面もあるが、子供と豚と娼館の女将には好かれている。金で全てを買えると思っている人は好きじゃないと、意外と常識人だ。資金調達方法としてゴム農園を考えるが、条件を優位にする為に二つの川を隔てる陸地を船で越えることを思い付く。その実現の過程が正に奇想天外で、実に愉しい。先ず、仲間が個性的なのだ。男が廃棄した鉄道を六年間も無給で保守してきた律義な現地人。機関士で間諜の大男。大酒飲みの調理人。経験豊で信頼のおける船長。他に船員がいたが、先住民を恐れて船を放棄してしまう。そこへ先住民が襲ってくる。男は音楽を流して彼らを宥め、逆に船の陸揚げ工事の協力をさせる。巨大な船が陸を上って行く様子は真に壮観で、最大の山場だ。船が陸を越えて別の川に着水し、歓喜の祝宴をしたのも束の間、先住民がともづなを切って船を流してしまう。船は急流に投げ出され、岸にぶつかり、座礁し、破損しつつも何とか帰還する。先住民の目的は、船で急流の悪霊を追い払うことだった。事業に失敗した男は、楽団を呼び、船上でオペラを演奏させ、一時の憂さを払う。
男は単なる馬鹿では無い。多くの人を心酔させる能力がある。一時とはいえ、首狩族を服従させたのだ。こういう男が活躍する場として、植民地経営の最盛期で成金を多く輩出した南米を選んだのは正解だ。破産する感覚に興奮すると賭け事に興じ、札束を大魚に食べさせる実業家もどこか憎めない。狂っているが、狂気を楽しんでもいる。最後の一線で踏みとどまっている。植民地主義や成金に対する批判は無い。成金も男も同類なのだ。お金を追うか、夢を追うかの違いがあるだけだ。文明批判もない。理屈ではなく、お互いの思惑は異なったしても、違う文明の者同士が大勢集まって、力を合わせて一つの事を成し遂げるのは何と素晴らしいことか。それを見せてくれただけでも十分評価できる映画だ。皮相的な文明批判の映画よりは余程見応えがある。ここには人類の夢があり、希望がある。
稚気にあふれ愛すべき男だが、不気味な風貌の役者が演じているので損をしている。裏がありそうに思えるのだ。笑顔の眩しい俳優ならもっと成功しただろう。一方、娼館の女将の笑顔は輝いている。夢追人はもてるのだ。