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<ネタバレ>原作の壮大な設定、展開は文句なく魅力的で傑作レベル。コンセプトは信頼と愛こそが力の源であり、それこそが破壊エネルギーを倒せる唯一の力であるということ。それを一本の映画に収めるには物語を再構成する必要がある。超能力戦士が集合して幻魔と対戦するのだから、各戦士にそれなりの時間を割く必要がある。しかし本作では丈の超能力覚醒場面が長すぎてバランスが悪くなっている。各戦士の能力にさほど差はなく、ザコキャラ扱いになってしまっているのは残念。丈を中心に描くにしても、姉との関わりで、愛こそが超能力の源であることを知ることを示せば、他はもっと簡略して良いだろう。そうすればあちこちでみられる停滞感が薄まり、スピード感が生まれだろう。
◆幻魔は宇宙のあらゆるものを破壊させる巨大な存在。それにしては幻魔の力の強大さが描けていない。最大の見せどころであるはずの最後の戦いがちゃちい。噴火する富士山で、みんなで力を合わせて「絶対零度」で終了……。そんな弱いはずがないではないか。そもそも地球人が力を合わせて何とかなる存在じゃない。そこには宇宙意識フロイやサイボーグ・ベガの仲間も加わった戦いが展開されるべきだ。つまるところ、戦闘に工夫が欲しい。
◆そもそも幻魔の手下がいかにも小粒だし、数も少ない。もっと強そうなものを用意しないと竜頭蛇尾の印象をぬぐえない。アメリカの都市や東京が消滅するが、その見せどころのはずの「消滅」部分が背景画で処理しているだけなので、臨場感が伝わらない。明らかな「手抜き」である。それに丈以外の超能力戦士達に心の余裕がありすぎるのも問題。もっと切羽詰まった展開、表情を見せないと地球消滅の緊張感が伝わらないだろう。「レッスン1」とかは、そぐわないのでやめろ。それをするなら壮絶な修行・修練場面を用意した方がよい。
◆石ノ森章太郎は、敬慕する姉を亡くしており、その姉をモデルとした「姉さん」が登場する。最大の理解者であった姉を失った喪失感、しかも映画を観ていて、その死に立ち会っていなかったことへの罪悪感は、その後何年も石ノ森を憔悴させ、苦しめることになる。しかし年を追うにつれて喪失感や罪悪感は薄まり、本作品では、姉は残留思念となって弟を守ってくれる崇高な存在にまで昇華されている。石ノ森にとって感慨深い作品であるのに違いない。そういう意味で、大友キャラではなく、石ノ森キャラで観たかった。