<ネタバレ>戦後一貫して日本の美を追い求めた川端康成が、京都を描くために .. >(続きを読む)
<ネタバレ>戦後一貫して日本の美を追い求めた川端康成が、京都を描くために京都に住みついて原作を執筆した。違う環境で育ち、偶然出会った双子美人姉妹の物語。姉の千重子は捨て子にされたが、育て親に恵まれ、呉服問屋の令嬢として乳母日傘で育てられた。捨てられた理由は、貧困と「双子は育ちにくい」という迷信のため。苗子は実の両親の元で育ったが、幼い頃に二親とも逝去。苦労して育ち、今は北山杉の土地持ちの住み込み奉公と山仕事を兼業して暮らす。特筆すべきは苗子の驚嘆するほどの奥ゆかしさ、慎み深さだろう。自我を前に出さず、相手を思いやる心、謙遜の情にすぐれている。原作者の説く日本の美の体現者だ。両親が亡くなったのは、姉を捨てた神罰と信じ、両親が亡くなった後は、その罪はいつか自分に降りかかるものと覚悟している。姉に対して何も望まない。北山杉で会う場合も、村人の目を憚って山中で会うという気の使いよう。姉の家も訪ねる折も、わざわざ夜にする遠慮深さ。それを迎える姉の両親の気配りも良かった。呉服問屋で一緒に暮らさないかという申し出は断わる。贈られた帯も付けない。姉と同泊したのを今生最上の喜びと表現。優しさも兼ね備える。山で雨に降られた時は姉にかぶさり、寝る前には姉の布団を温めたる。別れるとき、姉の差し出した傘を受け取ったのは、形見替わりとしてだろう。姉を慮ってもう積極的に会う気はないのだ。典型的な相手に尽くす型の女だが、自分の生き方を貫く強い女でもある。一方千重子は素直に育ち、良妻賢母型で、両親のいう事に逆らわない生き方で満足している。両親の持ってきた結婚話も受諾する。運命を受け入れているだけのように見えるが、実は運命を切り拓いている。未来の夫の忠告に従って、家の商売の勉強を始めるのもその証左。捨子ながら幸福な家庭環境の下で育ったのも偶然ではないだろう。”紅殻格子の前に捨てられる”という運命を引き当てたのだ。巫女的な力を宿しているように思う。これは双子を演じた山口百恵が、恵まれない家庭環境に育ちながらも国民的スターになれたことと重なる。苗子は、彼女が「赤いシリーズ」で演じた”薄幸ながら力強く生きる少女”の分身だ。彼女の二面性を合わせ鏡のように見せてくれる映画のように思える。偶然の産物だろうが、彼女の引退作品としてはこの上ないものだったと思う。アイドルを越えた女神、山口百恵が”日本の美”として記録された。