実際の殺人事件をモデルに作られたようだが、冒頭の「1964 .. >(続きを読む)
実際の殺人事件をモデルに作られたようだが、冒頭の「1964年」のテロップは最後まで楽天的にさせてはもらえなかった。
1964年といえば、ビートルズが初渡米した年。 ベトナムが空爆を受ける前年。 アメリカが特に変わろうとしている年だったはず。
でも、それ以上に考えさせられたのはKKKによる「人種差別」。
これを他人事と考える日本人がいたら、私はもっと真剣に考えるべきだと訴えたい。
50年後、日本の人口は現在の半分になると言われている。今も介護ヘルパーが足りないという理由で東南アジアから外国人を招いている現実。
現在在住する友好的な外国人ならまだいい。
しかし、自国の営利目的のために招かれた人たちと私たちは共存することができるか?
私たち日本人はKKKほど残虐な行動を取らないと信じたいが、横浜ではアメリカ兵が街中で老人を殴り殺して財布を奪い、その金で風俗店へ足を運んだという事実がある。周囲の日本人は誰一人助けようともしなかったという。
沖縄のアメリカ兵によるレイプ事件もそうだ。
と言いながら、私たち日本人は自分より弱い者に対する「いじめ」という娯楽まで覚えてしまっている。
私たちは…特に発展途上国の違う文化を受け入れ、共存することはできるか?
私たち日本人は、1964年のミシシッピーの住民と同じ、人種差別の第一人者である自覚をまず第一に考えるべきだと思う。