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<ネタバレ>あらゆる人工臓器が存在する未来の舞台で、頭ん中もいじれる設定となると、主人公の脳がどんなことになっちゃうか自然と危険を感じるので、ラストのオチは「やっぱり」でした。けれど、ハッピー・エンドと思わせて、いきなり地に落とす感じは、僕にとっては『惑星ソラリス』以来で結構刺激的でした。と、言いつつ・・・あのラストは結局のところ「ハッピー・エンド」か「バッド・エンド」か、後になってジワジワと考えさせられました。観客の目から見ればバッドだけど、主人公本人の意識はきっと「ハッピー」なんですよね。「人の幸せっていったいなんなんだ?」と考えてしまいました。「死んでしまいたい」と思うほどのバッドな体験記憶を引きずっている人でも、脳が別の体験にすり替えてくれるなら、その人は不幸から解放される。「毎日、好きな場所で好きな事して暮らしていることにしてもらえるテクノロジーあったらいいな~」と思ったりして、でも、直後に「そういう救いが本当に必要な人に、その技術を買える金はきっとないんだろうな」「結局、リアルでもバーチャルでも、いい思いするのはお金持ちだけか」と溜め息。テクノロジーの力を借りなくても、あまりにヒドイことがあると脳ミソが勝手に別世界の扉を開くケースもあるわけだけど、「正常じゃない」と精神科に連れて行き元に戻そうとするのが良いのか、そのまま別世界に居させてあげるべきなのか・・・そんなことも考えました。この映画は『命』そのものが『金』次第の世界を表していたけど、よくよく考えれば突然失業してホームレスになった人なんかも衣食住なしに命を保持していくのは難しいわけで、憲法では『最低限度の生活』が保証されていても、金も地位も失ったら途端にメチャ不利な人生ゲーム。つめた~い社会では「働いて金支払っていかないあんたが悪いんじゃん! 自業自得」で片付けるんだろうね。そういう論理で人の命も扱われる時代はもう始まっているんだなーって、ちょっと怖い。そういや、ちょっと前に観たムーアの『シッコ』でも保険と医療の問題が恐ろしい印象を残した。今回観た『REPO MEN』は『金』につきまとっている「義務」だの「責任」だのの問題にグイッと踏み込んで「そんなこと言ったって、あーた、この状況からどうやって真っ当な生活に戻れんのよ?!」みたいなところを掘り下げてくれたら、かなり社会派なSFに昇華したのでは? と思ったり・・・。