<ネタバレ>全体の印象としては、『グッド・ウィル・ハンティング』の裏面と .. >(続きを読む)
<ネタバレ>全体の印象としては、『グッド・ウィル・ハンティング』の裏面としてのこの作品を捉えている。
これはわかりやすいと思うので以降は別の観点から。
テーブル上のコントロール可能な空間との対比として、コントロール不可能な対人関係が徐々に自分を苦しめていく。最終的には教授の援助が無ければ最終的には切り抜けられなかったわけだが、それを含めて、鼻を折られたインテリが、「人間」を学んだ上での再起、そして、あえて再度それを乗り越えての、実力のみのチャレンジに挑むという一連の流れが潔い。
KGBとの初回の負けは実力の負けではなく、それはチャンピオンに勝った直後の、慢心による負け。2度目の最終戦は必然の勝ち。作品を通じての更なる成長で見えなかった(KGBのクセ)が見えるようになる。更にそれを捨て、「それで勝てなければその程度」と挑んだ最終戦に完勝する。
最終戦をあえて抑えた演出で、ありがちな「ストレートフラッシュで逆転!」みたいにしなかったのが良い。
最終戦までの布石として現実でほぼ出る可能性のないフルハウス以上は「イカサマ」という演出で、否定される。
その上で無粋だがあえて解説すると、
最終カードスペードAでKGBの「Aではだめだったろ?」は、フラッシュがありえない状態(4枚目がクラブ以外でないとフラッシュの確率は消滅)では、マイクは事前に出ている6・7・10・2のどれかの2ペア以下想定(最初の2+3枚でのストレートの可能性は0ではないが確率的に除外したと思われる)
→5枚目Aでフルハウスにならなかった(=場のカードでペアが出来なかった)
それに対し自分(KGB)は6・7・10どれかでの3カード(おそらく10)で勝ちを確信!←実は負け。
通常は、作品冒頭の勝負のようにKGBのカードを見せてこれを演出するが、ここではあえて最初にこちらのストレートを見せ、更に4枚目のクラブ2(=フラッシュが無いので実質勝ちの確定)で、以降は表情の読み合いを鑑賞者に「みせてくれてる」。
良作です。