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<ネタバレ>孤児の少女のラブストーリーといったような前時代的少女小説の世界を、アイドルを主人公に据えて描くというのは、大映ドラマの例を持ちだすまでもなく80年代における一つの潮流であったように思う。そういう意味で本作の物語自体は、少なくとも80年代当時は、そう突飛なものでもなかったのかもしれない。突飛なのは物語ではなく、相米慎二によるその描き方だ。開巻劈頭、十数分に渡って数シーンワンカットで繋がれていく長回しに、もはや必然性などかけらもない。ケレンじみたアクロバティックな荒技を見せたいから、有無を言わさず見せる、それだけだ。あるいは、物語を語る上で重要な核となる殺人事件を一旦は描きながらも、肝心のその真相は、うやむやなまま我々の目前で放置される。説明するなど野暮なこと、とばかりに、ことの顛末を語る真犯人の独白にあえて音楽をかぶせて掻き消してしまう念のいれようだ。アイドル映画を乱暴に作家主義のカルト映画にねじ変える相米は、そんなふうに物語ることを時に拒絶し、破綻させもする。その一方で彼が熱心に描くのは、花の首飾りやら王冠をあしらった斉藤由貴がオートバイの二人乗りで無意味にのけぞりながら松田聖子の「夏の扉」を歌う可愛らしくも危険な曲芸だったり、彼女が榎木孝明、世良公則らとトライアングルを陣どって三角形に「対話」する空き地でのせつないキャッチボールだったりする。そうやって彼は斉藤由貴が全身を使って生き動くさまを一心に捉え、あげくのはてには北海道の冷たい河に服を着たままの彼女を無謀に飛び込ませる。『ションベン・ライダー』では河合美智子が『お引越し』では田畑智子がそれぞれ海や湖に入るシーンがあるが、本作の斉藤由貴の場合、足も着かず流れも速い大河ゆえその危険度は桁違いだ。思えば歴代の相米映画の活発で動的な少女たちの中で、異色と言えるほど内省的かつ静的な印象のある斉藤由貴である。このあまりの乱暴さは相米にとって、彼女から全身全霊の動的輝きを捻り出す賭けだったのかもしれない。そしてその賭けはまんまと成功している。バックに流れるふざけたような笠置シヅ子の「買い物ブギ」は、賭した期待に見事応えた斉藤由貴に捧げる、相米の照れ隠しいっぱいの、愛だ。言うなればこの映画はガキ大将が好きな女の子に宛てたラブレターである。乱暴でハチャメチャで強引で素直じゃなく支離滅裂な、そんな愛いっぱいのラブレターなのだ。[良:1票]