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<ネタバレ>この監督の専門である写真撮影シーン(空虚な成功というものの記号)が5割くらいは占めているように感じた、これはちょっと多すぎでワンパターン。原作に忠実な形式であるとかはともかく、映画のコンテキストではオーソン・ウェルズの『市民ケーン』や『上海から来た女』を想起した。そう思うと親しみが湧いた、が、『市民ケーン』における映画の語りの余剰部分としての「ローズバッド(バラの蕾)」のようなもの、つまり視点からこぼれ落ちるもの、を『へルタースケルター』も追求してもよかったのではないか。もっとこぼれ落ちるべきなのだ。だから、ラスト近くで渋谷の交差点で進行役的な人物(大森)が作品を包括的に説明するかたちは不要であろう。