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<ネタバレ>本作のラストシーンは余韻と言い、鮮やかさと言い、鳥肌ものである。わずか2時間30分という時間の映画で、これだけ感情を揺さぶり、鑑賞後にあれこれと考えさせる脚本と監督の手腕の良さには恐れ入るばかり。ヒュー・ジャックマン演じる我が子をさらわれた父親の本作における行動心理は果たして観る者に如何なる感情を与えるだろう?怪しい青年アレックスを自ら監禁、拷問。彼の殴られ、腫れ上がったその顔が画面に映し出された瞬間、正直胸が痛んだ。彼の発した「助けて…。」は、その時はまだ分からなくても本音だった。同じく我が子をさらわれた友人であるフランクリンは拷問に対して「もし犯人じゃなかったら?」と。その妻は情報は欲しいがケラーのする事には関わらない、と言う。3者の感情、苦悩に思考すらままならない。ケラーは事あるごとに神に祈りを捧げている。オープニングの狩猟も生きる糧のため。そして暴力による拷問も我が子を見つけ出すため。信仰心(信念)は己の行いに対する正当化の理由の様に感じてしまう部分も、犯人の思考(信念)とリンクして恐ろしい事だと思う。決定的な違いは神を信じずに戦いを挑んだ犯人と、神に祈りを捧げ続けたケラー。それがラストシーンに繋がると思えるのは信仰者だけだろうか?一方で当事者でないが故、理性で動ける刑事のロキ。捜査=仕事なのでケラーとはまた違った視点の物語がある。しかし刑事である前に1人の人間として感情を抑えられずに致命的なミスも犯してしまう。誰一人として完璧に描かれず、人間の弱さと苦悩を浮き彫りにする。寒々しい田舎町の風景、打ち付ける雨、憂うつな筈なのに、後味の悪さはさほど感じない。それは2人の幼い命が救われたからだろうか?ただ、本当に何の罪も無かったアレックスに対する仕打ちを振り返ると、本当に気が滅入る。『罪を憎んで人を憎まず』なんて言葉があるが、僕には答えは出せそうにありません。