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<ネタバレ>むかし、小学生に上がったばかりの頃に、どこかの映画館で本作の看板を見て、本能的に恐怖を感じ、長い間、ホラー映画だと思っていた。 実際に観てみると、違っていた。「イレイザーヘッド」のリンチらしい怪奇趣味的な作風はそのままで、人間の残酷さ、倫理観について、強く心に訴えかけるヒューマンドラマとなっていた。 興行師のバイツは見たままだが、ケンドール夫人の行いは、自身の名声を高めるための偽善にすぎないし、トリーヴスは「私のしていることはバイツと同じなのでは?」と苦悩する。そして、病室のメリック氏を酔客に見物させて、その見物料で稼ぐ男もいた。 この全員が、自身の生活のためにメリック氏を "利用" していることだけは事実であり、メリック氏もまた、それに依存しなければ生きてはいけない、、それもまた事実。 私はと言えば、やはり興味本位で見世物小屋を眺めるようにその様子を眺めてみて、深く心に突き刺さりはしたけど、その理由と映画の答えは、私の稚拙な表現力ではうまく言葉にできない。 →2025/1/19 追記。 デビッド・リンチ監督が亡くなり、その追悼で再鑑賞。 メリック氏が「こんな姿に生まれて、母はさぞがっかりしたでしょう」と、トリーヴス夫人に告白するところでは、とても涙を禁じ得ない。 メリック氏の心の美しさ (そのもの) 、本作が最も描きたかったのはそこであり、憐憫、善悪、損得、保身、、そういう感情が浮かんだ時点で、既にメリック氏の心は置き去りにされていることに、はたと気づく。