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<ネタバレ>南北戦争を舞台にした大作。ワイラーの西部劇はこれが一番好きだ。
「西部の男」はゲイリー・クーパーとウォルター・ブレナンの演技以外見所が無いと言っても良いパッとしない作品だったし、
「大いなる西部」は「丘の一本松」の二番煎じだし何より主人公の正義面が鼻に付いた。
大根ペックに絵に描いたような善人なんかやらせるな。ペックは「アラバマ物語」や「無頼の群」みたいに少しひねた男や熱血漢の方がずっと魅力的だしカッコイイ。
「友情ある説得」は、そういった説教臭さや博愛主義的な正義面が無いのが良い。
レッド・パージ(赤狩り)への批判は元より、“本当の勇気とは何か”を考えさせてくれる。
暴力を否定するクェーカー家教の一家は、暴力のぶつかり合いで全てを片そうとする南北戦争について疑問を持つ。
本作のクーパーは、一家の長として温厚で落ち着きのある父親だ。妻の言いなりかと思いきや、負けず嫌いだったりいざという時には頼りになる男でもある。
アンソニー・パーキンスの青臭い正義感を抱いた優しくおっとりした様子は、若きクーパーの風格(「オペラ・ハット」等)を感じさせる。
ストーリーは基本ユーモアがあるが、抱える問題はフランク・キャプラのように「笑いの中の重さ」を持っている。
「或る夜の出来事」がコメディのフリをした恋愛映画だったように、この作品は心暖まるほのぼのとした情景の裏に、戦争という理不尽な暴力と辛い現実を映し出した映画でもある。
パーキンスが兵士として人を殺めてしまった場面は、彼の主義と現実との心の葛藤が伝わってくる。
一番暴力を否定していたあの母親ですら、家族を守るために南軍兵をほうきで殴ったりしていた。
戦争とは、何かを奪うために始まるのだろうか。
それとも、何かを守ろうとしていつの間にか大切な何かを奪ってしまうものではないのだろうか。
祈るだけで現実から逃避する宗教とは違い、クェーカー教は行動によって集団に訴えかける考えがあるそうだ。
あの母親も、パーキンスも、クーパーも「誰かを守るため」に自ら行動を起して行く・・・。