<ネタバレ>報道が、情報が、人を殺す、社会を捻じ曲げる。
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<ネタバレ>報道が、情報が、人を殺す、社会を捻じ曲げる。
スピルバーグの『ミュンヘン』でも描かれた、
1972年のオリンピックで起きた「黒い九月事件」をアメリカの放送局の視点で描いた社会派ドラマ。
全編の9割がスタジオのみの展開であり、直接的な犯行シーンが一切ないことから、
前代未聞の事件に対する混乱、情報が錯綜するクルーたちの判断が"報道することの重み"を突きつける。
パソコンもない時代、当時のテロップが如何に表示されていたのか興味深い。
注目を浴びたいがためのインパクト重視の報道により、犯人側に重大な情報が提供されてしまう皮肉さ。
情報の裏付けを取らないまま、人質解放のニュースを流し祝杯を挙げたその矢先の急転直下、そして最悪の結末へ……
未曽有の事態によって生み出された悲劇を教訓に、その繰り返しによって現在の平和が成り立っている。
テレビの報道バラエティで活躍する某ジャーナリストが本作へのコメントを寄せていたが、
別の記事で偏向報道を是として開き直る姿勢に呆れ果てたことがある。
日本のオールドメディアを見ていると、過去からむしろ何も学んでおらず、
フラットな視点もないまま扇動しているとしか思えない。
視聴率さえ取れれば、メジャーリーガーの自宅を空撮しても構わないほど良心の呵責もなく、
自分たちに都合の悪い情報は"報道しない自由"を行使するわけ。
その積み重なった信頼のなさがネットやSNSといった新たなメディアへと移行するきっかけになった。
だからといってネットが真実でもなく、プロパガンダもデマもディープフェイクもあふれる世界で、
どれが正しいかを見極め、誰もが情報を発信できることに身が引き締まる思いだ。
テロの生中継という結果的に凶悪犯を喧伝させる事態にさせたこと、そして9億人がその生中継を目撃したということ。
ラストのテロップが静かに重くのしかかる。