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<ネタバレ> これはつまり、正義の変身ヒーロー「中学生円山」が誕生するまでを描いた映画であった訳ですね。
彼はマスクを装着すると身体が柔らかくなり、さながら体操選手のような動きが出来るようになるという、何とも地味な能力の持ち主なのですが
「自らの性器を口に含んで自慰をしたい一心で、柔軟運動を続けてきた」
という背景を背負っていたりもして、一応は努力型のヒーローと呼ぶ事が出来そう。
その他「妄想を現実に変えてしまう」という便利な能力も備わっているみたいですが、こちらに関しては効力が曖昧で、何もかも自分の思い描いた通りに叶えてみせる事は出来ないみたいです。
構成としては「主人公円山の妄想」と「現実」が入り乱れる形となっており、観客によって「ここまでが現実」「ここからは妄想」といった具合に、解釈が分かれそうな感じ。
作中で起きる最も非現実的な出来事が「主人公が超人的な動きで弾丸を避けた事」ではなく「体育館で皆が主人公の自慰行為を応援してくれた事」だったりする辺りがユーモラスですが、恐らくは後者の体育館の件から、主人公の理解者である下井が撃たれて死ぬ件までが「妄想である」と解釈する人が、一番多いのではないでしょうか。
ご丁寧に「現実に負けるな」「妄想と向き合え」という台詞を重ね合わせる演出であった為、作り手側としても、それを想定していたのではないかな、と思えます。
ただ「下井が武器としている、ベビーカーを変形させた銃」が異様にスタイリッシュで、円山が妄想してきたレトロで分かり易いヒーローや悪役達と比べ、明らかに異質感があった辺りは気になりますね。
そもそも映画前半における、妄想の中で襲って来た「殺し屋下井」は、使用する銃のデザインもコロコロ変わるような適当さだったし、あの銃だけが浮いているというか「円山が妄想した代物にしては不自然」という意味で、妙に現実感がありました。
あれは円山ではなく下井の妄想の産物か、あるいは現実に作った代物なのか? と思えたりもして「もしかしたら終盤の戦いは、全て現実だったのかも知れない」という可能性を与えてくれる、良いアクセントになっていました。
個人的に残念だったのは、上述の体育館の件が非現実的過ぎて冷めてしまった事と「中学生円山」に初めて変身した時のデザインが、どう見ても単なる覆面レスラーみたいで、今一つ好みではなかった事。
下井の死後に届いたプレゼントのマスクは、ちゃんと恰好良かったので、意図的に「プロトタイプのマスク」として見劣りするデザインにしたのかも知れませんが、出来ればラストの「青い服に、赤いマスクとマフラー」という恰好で戦って欲しかったなぁ……と思わされましたね。
落ちぶれた韓国人俳優と、韓国ドラマに夢中になる人妻との不倫関係。
そして、老人の男性と小学生の女性との恋模様など、主人公の家族にまつわるエピソードも、しっかり面白かった辺りは、流石という感じ。
同じ宮藤官九郎脚本の「ゼブラーマン」と比べても、何処となくオシャレな感じが漂っていたのは、この二本のエピソードにて、色恋沙汰を扱っている事が大きかったように思えますね。
下井と円山の最後のやり取り「おめでとう」「ありがとう」には、感動を誘うものがありましたし
「正義っていうのは、人を殺しちゃいけない理由を、ちゃんと知ってる人の事だ」
という台詞も良かったです。
そして極め付けは「まだ早いって言われた」「もう遅いって言われた」「最初のキス」「最後のキス」の対比であり、年齢差のあり過ぎるカップルの悲恋が、何とも切ない余韻を与えてくれました。
主人公の円山だけでなく、その母親と、妹も
「韓国ドラマに夢中になっている」→「そのドラマに出演している俳優と出会う」
「同い年の男の子には興味ないけど彼氏が欲しい」→「素敵な老人の彼氏が出来る」
といった具合に、都合の良過ぎる出来事が起こっている為
(もしかしたら、この一家全員に妄想を現実に変える力があるの?)
とも思えるのですが、そんな中で、唯一妄想をしない父親の存在が、何とも良い味を出していましたね。
家族の中で、彼だけは現実に満足して、幸福を感じている為、妄想する必要が無いという形。
実に羨ましくなるし、それって、とても素晴らしい事なんじゃないかと思えます。
「何があっても、お父さんお前の味方だからな」
と言って、悩み多き息子を抱き締めてみせる姿なんかも、コミカルな演出なのに、妙に恰好良い。
妄想に耽る事の魅力だけでなく、きちんと現実と向き合って生きる事の魅力も感じられた、バランスの良い一品でした。[良:1票]