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<ネタバレ>あまりに早い最期だったアンドレイ・タルコフスキー。この「サクリファイス」が、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した7か月後に、タルコフスキー監督は逝った。1986年12月28日だった。
「鏡」で、草原を渡る"風"を描いた。「ノスタルジア」で、この世とあの世の間を取り持つ"水"を描いた。
「サクリファイス」では、自分の投影でもある家を焼き尽くす"火"を描いた。
それらは、あまりに美しく、何度も観たい思いにかられ、観るたびに、ある種の"不思議"に包まれる。
アンドレイ・タルコフスキー監督の故国ロシアへの愛は、「ノスタルジア」で思いきり描かれていましたが、この「サクリファイス」では、その思いがもっと重く、胸にのしかかってきます。
タルコフスキー監督は、私たちに何を伝えようとしたのか?--------。
彼の映画には、いつも「死」と「神」とがつきまとう。全てのものは、象徴されてそこにある。
時には風景までもが、象徴の一端を担っている。
喉の手術で声の出ない息子に、父アレキサンデルが海岸に枯れ木を植え、「毎日、水をやるんだよ」と言う。
その日はアレキサンデルの誕生日でもあった。親友の医師、不思議な郵便配達人もやって来る。
その夕方、唐突に核戦争が勃発したというニュースが流れると、妻はヒステリーを起こし、子供も手術の痛みに苦しんで寝ている。
アレキサンデルは、無神論者だったが、つい神に自分を犠牲にするから彼らを救ってくれと祈るのだった--------。
この「サクリファイス」は、スウェーデンの俳優・スタッフによって撮影されています。
しかし、タルコフスキーは言う。「この映画は、スウェーデンでスウェーデンの俳優によって演じられたが、これはロシア映画である」と。
青い空と海、白い道と緑の野、道端に枯れそうな一本の貧弱な木。そして、父と喉の手術をしたばかりで声の出ない幼い息子。
父は息子に「昔偉い坊さんが、若い僧に、枯れ木に毎日決まった時間に水をやりなさいと言った。それを忠実に守って水をやっていると、枯れ木が生き返ったんだよ」と、話して聞かせます。
この映画の舞台にタルコフスキーが選んだのは、スウェーデンのゴトランド島だ。遥か海を隔てれば、故国ロシアの大陸がある。
海はタルコフスキーの、心の距離を縮めていただろうか?--------。
そして、撮影されたのは、海岸より少し外れた場所らしく、白い砂と松林の海岸が延々と続いている。
そこはあくまでも静かで、平らで、そんな時ふと恐ろしい感覚にとらわれるのは、「サクリファイス」のように、静かな地面の底から地響きが聞こえ、核戦争が始まったのが本当のことなのではないかと、愚かしい想像をめぐらしてしまう時だ。
幼い息子は、父が精神病院に送られてしまってから、父の言いつけに従って、海岸の枯れ木にバケツでせっせと水を運んではかける。
そして、木の根元に寝そべって、空を見上げ「なぜ、はじめに言葉ありきなの、パパ?」と今はもういない父に問うのだ。
父が果たした"犠牲"への報酬は、この子のこの言葉にあったのだろうか?
白い砂浜と青い空は、無情なまでに強烈で、炎上する家の炎の色と、妙に相容れない不協和音が、「サクリファイス」の崩れ折れそうなイメージを残すのだ。