映画館だから最後まで観られたが、家だったらおそらく途中でやめ .. >(続きを読む)[良:2票]
映画館だから最後まで観られたが、家だったらおそらく途中でやめていただろう。話が進むにつれ、母に対する申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
私の母も認知症で一人暮らしができなくなり、わが家に来て、施設に移り、最後はホスピスで6年前に亡くなった。彼女の心象風景もこんなだったのだろうか。
「覚えてないの?」「もう忘れた」「さっきも言ったように」―。なんで、こんな言葉を何度も口にしてしまったのか。困惑した母の表情が脳裏によみがえる。物がなくなったとか、家に帰りたいとか必死に訴える姿に苛立ったり、苦笑したりした自分に腹が立つ。もうやり直すことができないだけに、つらく、悲しい。
映画の話をすると、アンソニー・ホプキンスはアンソニーを演じているのではなく、アンソニーその者にしか見えなかった。大俳優に逆に失礼かもしれないが、ドキュメンタリーを見ているようだった。次々とわが身に降りかかる、理不尽で理解不能な出来事の数々。何を言っても否定され、時には怒り、時には泣いて、それでもすべてを受け入れるしかない。ありのままの認知症患者がそこにいた。
認知症。矛盾と不条理に満ちた、時の牢獄にとらわれた日々は、どれほど苦しいか。想像すると、背筋が寒くなる。やがて自分もそうなることを思うと、正視するのが苦しくなる。
身内に認知症患者を持ち、似たような体験をした人は、本作を冷静に観ることはできないだろう。映画好きの女性の友人は「アルツハイマー病の父と娘…、10年ほど現実だったので、観られないですね」と言っている。ほかにも同じ思いの人は多いはずだ。
ただ、父母が元気な方、認知症でもまだ深刻でない方、そんな人たちにはぜひ観てもらいたい。私のような悔いを残さないためにも…。[良:2票]