<ネタバレ> これほどまでに冷徹なリアリズムに徹しつつも「物語」としての .. >(続きを読む)
<ネタバレ> これほどまでに冷徹なリアリズムに徹しつつも「物語」としての面白さを堪能できる時代劇はそうない。
一般に「仇討ち」というと、「私怨」に基づいた「討つ者=善」「討たれる者=悪」という図式でとらえがちである。だが、今作を観れば、「仇討ち」が幕府や藩主の許可により行われるまでの過程には、仇討ちを果たさなければ互いの「お家」の面目を損なうという価値観、そして藩としての威厳や秩序を守ろうという保身的思考がはたらいているのが如実にわかる。
さらには家督相続が至極大事とされる武家社会にあって、主人公のように二男以下に生まれた者は能力や人格に関わらず当家に無卿の「部屋住み」という肩身の狭い立場に置かれ、挙句の果てには口減らし的に他家に婿養子に出されてしまうという悲哀。
結末の「仇討ちイベント」もそうした武家社会に孕む理不尽な「お家大事」の論理が無用の犠牲を生むのである。仇討ちの助太刀として動員され、斬られた武士たちはまさに犬死にそのものだ。つくづく武士の家なんぞに生まれないでよかったと胸を撫でおろしてしまう。
あえて注文をつけるならば、本作が無類の剣豪ヒーローを主役とするものではなく、武家社会の非道に翻弄された挙句に無残な最期を遂げる悲哀を描くものと考えれば、いかにも「THE武士」という屈強なイメージ満々の中村錦之介より、兄役の田村高廣、あるいはあまり出番のなかった小沢昭一のような「武士」の匂いの強くない役者を主人公にしたら、一層深みのある物語になったのではないか、などと思ったりもした。