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<ネタバレ>1作目にランボーって邦題を付けた日本では- John Rambo - が原題だけど、アメリカとかでは本作が -Rambo- だったそうな。
オープニングから(たぶん)本物の死体映像とかが出て、映画が始まっても地雷を撒いた田んぼを捕虜に走らせて爆散させるとか、ちょっと重たい感じ。
ランボーといえば孤独な戦争アクションヒーローってイメージ。それは2と3で根付いてしまったイメージかもしれない。2→3の流れ、マンネリ感からシリーズの続編は作られてなかったけど、ここに来て急に“人の手足がちぎれて血煙になって吹き飛ぶ”目を背けたくなるリアルな戦場を再現されたのでびっくりした。ランボーなのに。
ランボーが戦う理由。1では自分を守るための戦い。2では自分の過去と向き合う戦い。3は…すみません覚えてない(大佐を救うためだったけど、それだけだったかどうか…)。
3は飛ばして本作のランボーはサラ(他人)のために戦う。ミャンマーの軍事政権が許せないんでなく、たまたま出会って共感できた人を救うために戦った。
そう考えると、1はベトナム帰還兵の身に起きていること。2は娯楽作寄りとは言え、戦場の行方不明者の現状を。3は…すみません覚えてない(アフガンに展開中のソ連軍の何か)。
3は飛ばして本作はランボーの活躍を観せる映画というより、ミャンマーで現実に起きていることを、世界に広く伝えることが目的の映画みたいだ。
今回のランボーは、ミャンマーの問題解決のキッカケを作るでもなく、自分の目的を達成すると、メッセージ的な事を何も言わずに帰って行った。オープニングからの残酷な映像が、ランボーに語らせるまでもなく、何が必要かを語っていた。
正直言って、ランボーでなくても成立するストーリーなんだけど、マンネリ化して立ち消えたシリーズの心残り。戦場でしか生きられない悲しい男の話で終わっていたところに、長年ファンが観たかった映像を、最後のアメリカのシーンで観せてもらえた。長かったランボーの戦いが、ようやく終わった。