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<ネタバレ>昔、大道に客を集めて踊る紙人形を売る香具師がいた。江戸川乱歩の時代の話みたい。でも実はいまも見かけます。
客に自分の周りを円形に囲むよう呼び掛けた男が、人の輪のまん中に人形を置く。ピエロの絵が印刷された紙の胴体に紙テープの足がついただけのお粗末な代物です。男が呪文をとなえると、人形がピョコンと起き上がりひょこひょこ踊るような動作を見せます。たしかに奇妙な光景ですが、人の輪の外から見ている者には仕掛けは一目瞭然。踊る人形を感心して見ている人々の中に一人、ポケットに手を半分突っ込んで何やら指を動かしている人物が。
集まった客の中にサクラが仕込まれているんです。
じつは人の輪を見えない糸が横切っていて、一端を立木や手すりに結び、反対側をサクラが手に持っている。
糸の真ん中の位置に人形があるというわけ。
ほかの客と一緒に踊る人形を面白がって見ているサクラが実はその人形を操作している。
テレビで演じられるマジックでも、マジシャンの手際にびっくりしている客がじつはタネの大部分を操作してるなんてのがあります。
メディアリテラシーとか、いろいろに啓発的です。
僕の知り合いにもこれ買っちゃったやつがいるくらいなので結構騙される人もいるのでしょう。
人の輪があってサクラがいる状況でしか再現できないおもちゃなんて持っていても何の意味もない。買って帰って仕組みが分かった瞬間にゴミになってしまう。
騙して売れてしまえばそれでオーケーという商品です。
「シックスセンス」ってそんな映画です。
観客を騙すこと一点に全振りした映画ですね。
騙されたことに爽快感を感じるような映画、たとえば「スティング」などはありますが、「シックスセンス」はそれとは違う。
この映画の登場人物には、映画のシーンに現れる以外の生活時間は存在しない。あるとすればこのお話は完全に破綻してしまうのです。
主人公の小児精神科医は、自らの患者に腹を撃たれます。その後看ることになった少年は幽霊が見えるという症状を持っています。少年は語ります。「幽霊は自分が死んだことに気づいていないんだよ」と。
ほら、公明正大だろと制作陣は言うでしょう。
しかし映画に映っていない時、彼はなにをしているのでしょう?
寝たり風呂に入ったりしないの?
少年を看ることになった経過は?依頼人とは会ったの?
少年の家でその母親と一緒に腰掛けて少年を見守っているシーン。
この状況ってまったく会話せずにいられるもの?
会話のない妻には無視されていると感じるのに少年の母親にはそれを感じないの?
むちゃくちゃ好意的に考えれば成立しないわけでもないのかもしれません。
物に触れることはできないが、念動力を使うことができる。
それを自分では手でドアを開けたり機械を操作したりしていると思い込んでいるとか。
他人とのコミュニケーションも取れていると思い込める。でも妻との間でだけはなぜかそれが成立しないとか。
幽霊ってどんな設定でもできるから便利ですね。
移動ができない地縛霊と移動できる浮遊霊がいるのを筆頭として。
目に見えないが写真や鏡には写る。逆に目には見えるが写真や鏡に映らない。
物に触れることができない。逆に人に触れて驚かすことができる。
自分が死んだことに気がつかない。逆に死んだことを覚えていて人に恨みをぶつける。
ものを考えることができる幽霊とできない幽霊はこの映画にも登場します。
幽霊から幽霊が見えるのか見えないのかもご都合次第。
幽霊からは人間が見えないなんて設定の映画もありました。
いったい幽霊ってなんなんだ?人間の想像力って大したものですよね。
ところで、「シックスセンス」の冒頭にはブルース・ウィリスからのお願いと称して「この映画にはある秘密があります。まだ映画を見ていない人には、決して話さないで下さい」というメッセージが表示されます。
これは全く余計なお世話というか、必然性が理解できません。
観客はこのメッセージを見たことで、どんな秘密があるのか推理を始めてしまいます。
その結果だいたいこの秘密に思い当たってしまう。ぼくもそうでした。
騙される快感を自ら奪ってしまっています。
といったことを僕は2002年頃に自身の雑文サイトに掲載しました。
ところが数年前に書店で松本人志さんの著書を立ち読みしていたところ、これと全く同じ内容のことが書いてあるのを見つけてしまいました。
原稿の雑誌掲載も僕の雑文と同じ時期。
このシンクロニシティにはびっくりしました。というのも大げさで、結局は誰もが思っていたことなんでしょうね。
本当にこんな余計なことをしてなにをしたかったんですかねえ。