(ネタバレ)モノ投げて暴れるわ、交渉でもスタンドプレーに走る .. >(続きを読む)
(ネタバレ)モノ投げて暴れるわ、交渉でもスタンドプレーに走るわ、なんかジャイアンなんですけど。示談交渉のときに、破格を提示して裁判に持ち込んだのは主人公の意図だと思っていました。直前に、雨の車の中で“月曜の朝に死んだ”息子の話を思い出しているシーンがあるので、そのモンタージュから、気まぐれで心を入れ替えたんだと思った。しかし、DVDの特典映像では、「裁判を恐れる企業から大金を取れるとタカをくくっていた」というトラボルタ自身の語りとともに交渉のシーンが挿入されていたので、それこそ「気がついたら後戻りできない状態になっていた」というほうが正しいのかな。それに、本編のナレーションでも「被害者に同情するのは失格だ」とあったから、それとの整合性との部分でもそう考えるべきか。私としては、その部分の取り違えをしたことで、いっそう主人公のキャラクターが掴めなくなっていった気もする。気まぐれで同情してみたりもするし、頭もいいのか悪いのかわからないし・・・っていう。そういうのもあったため、眼前に繰り広げられる現実離れした光景を楽しもうというスタンスを取るしかなかった。とはいえ、ジャイアン的立ち回りを楽しみつつも、同時に主人公のその気まぐれっぷりは十分に印象として際立たせていたので、おいけてぼりにされるcivilの立場というものも相対的に強く印象に残った。キャサリン・クインランの醸す「枯れた感」がそれを手伝い、「私たちが失ったものと比較できるとお思い?」と抑えたトーンで吐き棄てるくだりは、胸に迫ってくるものがあった。長~い前フリがここで帰結した感じ。civil actionとは、常にないがしろにされ、顧みられてこなかったはずの、弱者たる市井の大いなる力そのものなのだろう。その力は、主人公の人生を狂わせ、社会を衝き動かすという形で働きかける。後味は決して悪くない。ここでは、ラジオ野球中継を誰にも邪魔されたくない弁護士も、金策のことしか頭にない弁護士(←ちょっとかわいそうに思っていたが)も、主人公と同列に扱われる。交渉でのやり取りに緊張感がなく、極めてビジネスライクなのも、被害者のないがしろ感を強調するためのものだろう。