1. <ネタバレ>元セーラームーンの監督さんである幾原邦彦の作家性は、その時代 .. >(続きを読む)
1. <ネタバレ>元セーラームーンの監督さんである幾原邦彦の作家性は、その時代に子供たちに伝えたいメッセージを、一番届いて欲しい若者が楽しめる言語で語るとゆうものです。「少女革命ウテナ」ではお姫様幻想を破壊し、「輪るピングドラム」では見捨てられた子供たちの生存戦略をぶっ飛んだお話の中で描きました。若者の言語なんで、一見、めちゃくちゃふざけた世界観で、「なんやこのヘンテコなアニメ、よーわからん」、と僕みたいなオッサンはついていけなくなります。特に前作である「ユリ熊嵐」では女の子の言語にふりきっていて、オッサンの僕は観るのがしんどくて(でも結局、最後は泣けちゃうんですけどね)。その反省をふまえたのか、今作はだいぶわかりやすいエンタメになっておりました。てゆーか幾原邦彦の過去作品を見ていたおかげか耐性がついてたみたいで、もう最初から最後までワクワクが止まんなかったです。春河と一稀のツナガリのくだりなんかボロボロ泣いちゃいました。幾原邦彦の語るテーマは常に、その時代の苦しんでる子供たちへの突破口です。それを、バカバカしいドタバタ劇の中に巧みに配置し、まるでサブリミナル効果のように、子供たちの深層心理に届くように描いていきます。今回のお話の基本ラインは「それぞれの悩みを抱えた浅草に住む3人の男の子が河童になって、カッパゾンビなるものとミュージカル調で戦う」ってゆーモノです。とにかく色んな所がぶっ飛んでいて、しかし、そんな中にも、幾原邦彦が伝えたいモノがいくつもまぶされています。前作「ユリ熊嵐」では、あなたのスキは本物かをずっと問われていました。そこからの流れをくみ、今回は主にツナガリについてです。今や社会は分断を若者たちに強いてきます。それは人々のツナガリだけでなく、過去からも分断されていきます。昔から脈々と続く大切な何か、歴史の中で犠牲になった人々の思いからも分断されていきます(記号化されたモブがチョンマゲなのは過去の人々の思いみたいなモノだと思います)。そしてツナガリはとてもやっかいで、しんどくて、面倒くさくて、切れちゃうと痛いのです。でも人は基本的にツナガリたいんです。しんどさに負けて、ツナガリ=欲望を手放すことは、自分の中の妄想や虚構(ウソ)の簡単な欲望に向かう事になります。最後に吾妻サラが言います「忘れないで、喪失の痛みを抱えてもなお、欲望をつなぐものだけが未来を手にできる」と。僕は今のコロナ禍は人々を分断する最大の試練だと思っています。それと同時に、人々のツナガリたいとゆう思いを逆に増大させる痛みにも思えます。つまり、また始まると思うのです。強いツナガリが。ツナガリの終わりはツナガリの始まりなんです。円になってるんです。アニメの中にも何度も円が出てきます。春河の合言葉は「はじめからおわりまで、まるいえんでつながっている」です。そして皿も円です。円は縁でもあるんです。そう信じたい。そんな事をアニメを見ながら考えてると、まるで今の出来事を予言したみたいにタイムリーなアニメだなーっとも思えました。
2. ものすごく人を選ぶ作品だなぁって感じでした。
自分には .. >(続きを読む)
2. ものすごく人を選ぶ作品だなぁって感じでした。
自分には全然合わなかった訳ですが。
伏線作品好きな自分にとって
この作品にいろんな伏線があるのはなんとなく分かるのですが
答え合わせの為に再度見直したりする魅力をあまり感じなかったです。
最終話で色々納得できる解が得られると思ったんですけどねぇ。
ってことで3点で