1. 犯罪者が事件現場にまき散らした殺意を採取、そのデータから仮想 .. >(続きを読む)
1. 犯罪者が事件現場にまき散らした殺意を採取、そのデータから仮想世界を生成して中を観察し、潜伏する犯人や行方知れずの被害者を特定して、事件捜査を劇的に進歩させるという、一見不可解な設定を持ったポストサイバーパンクレクイエム。
この作品は昭和64年に東京足立区綾瀬で発覚した、解決済みの現実の少年犯罪を始めとする戦後起きたあまたの凶悪犯罪を、目を背けずに見ることを企図して制作されたと思われる。骨格はこうだ。まず、被害者を4人のキャラに分割した。4人とも女性だ。1人は格闘マニアに殴打されて殺害され、1人は捜査中の被疑者から電気ドリルで体に穴をあけられ、1人は、生まれ持った異能の脳内で赤の他人の殺意に入れかわり立ちかわり蹂躙されて、リアルの生活どころではなくなってる人で、もう1人は、仮想世界に現れる、いつ見ても両目を剥いて死んでいる死体である。この分割は、現実のああいった事件に、絶望も好奇も、「考えたくない」というあきらめや嫌気もなしに我々が向き合うのに、不可避的に必要だ、この確信から、作品の設計が始まったと思われる。
この制作意図からの逆算で組み上がった難解な設定はこうだ。殺意の仮想世界「井戸」の中は、いつも天変地異の真下で人々が逃げ惑う、犯罪被害者の錯乱を絵にしたような空間が広がっている。そのイドに、「井戸端」の刑事たちの監視下でダイブする能力者は、最初はいつも記憶がない。イドの中で目覚めると、いつも死体の「カエルちゃん」と手をつないで倒れている。そして彼は思い出す。おれは名探偵だ。カエルちゃんの死の謎を解かなくてはならない。この主人公は、殴打死した少女の父親で、彼の妻は一人娘の惨死にショックを受けて自殺していた。
宮崎勤の事件報道でアニメの地位が地に落とされ、酒鬼薔薇に大人たちが出し抜かれた、平成最初期の数年間、私たちの精神はどうやらそうとうすさんでいた。吐き気がするほどひどい凶悪犯罪に震え上がり、少年法の制約のような理不尽に対する政治や社会の無力を見せつけられ、毎日続く不快なニュース、スッキリと解決されない現実を自由主義社会の住民として処理できずにフラストレーションをためつづけ、私たちが自由に生きる土台となる生活基盤、それをもはや投げ出すことが、唯一解であり最新のトレンドであり自由の正当な表現であり、暮らしにスパイスをくれる鑑賞物であり、進化が行き着いていくらでも余裕があるテクノロジーにふさわしい、竹を割ったような心意気であるかのように、我々みなが思い込んでいた。わかりやすさと思いやりと決断力をひけらかしながら、一億総中流のお前たちが救うべき気の毒な人はこっちにいるぞと誘導する声の裏で、やり直しを許さない暴力に我々が最も近くまで寄って行った時。これが、「台所から政治を変え」た、あの時代の実相だった。
30年を経て突如そのことに思い至らせたこのアニメを、僕は嫉妬するのも忘れて考えつづけている。これが、我々が長年見なかったことにした被害者の遺志を拾ったアニメだからである。頭蓋に穴をあけられても動じずに犯罪者に立ち向かう本堂町ちゃん=名探偵ヒジリ井戸の自由な精神が、自分の半身を精神の牢獄から救い出し、戦列に加わった彼女の超人的な観察眼を武器に、正義感にあふれる屈強な同僚に背中をあずけて、世の中にひそむ殺意に挑み、社会を揺るがす事件の解明に今もどこかを飛び回っているというイメージは、我々を救ってきた世界中の多くの名作物語と、同じものである。アニメは最後に完全解決を迎え、主人公たちの新たな人生をつむぐ物語がこのあと始まっている。そんな後日談は描かれなかったが、名探偵が登場する物語が血わき肉踊る大冒険でないわけがない。