1.《ネタバレ》 子ども番組として素直に受け取っておけばいい範囲を逸脱しているので、大人の立場で真面目に応対しなければならなくなっている。
このエピソードで大問題になっているのは、人類がかつて侵略者だったとして敵のノンマルトに非難されていることである。しかし、本当に人類が侵略者だったとしても今さら地球を明け渡して去ることなどできないわけなので、これはノンマルトの攻撃を正当化し人類側の譲歩を狙ったイメージ戦術という程度に思っておくしかない。真に重要なのは侵略者の汚名を認めるかどうかということではなく、現実問題として未来に向けた両者の安定的な関係を作ることである。
その場合の前提として、「人間が人間のことを考えるのは当たり前」という台詞はその通りである。ここでの「人間」が利害共同体としての意味を持つ言葉なら、その共同体の利益を人類が優先するのは当然であり、同じようにノンマルトがノンマルトのことを考えるのも当然ということになる。そのような前提で、相手が弱者だからと一方的に譲歩するのでなく、いわば同じ「地球人」として対等な立場で交渉し、例えば人類はノンマルトの生存権を認めて生活圏を侵害せず、その外では人類の海底開発を認めてもらうといった形の合意を図ることが望まれる。
しかしそこに至る方法として、今回ノンマルトがやったことは得策と思えない。事前に一応警告はあったが、いくら子ども番組でも子どもが使者ではまともに受け取れないのは当然であり、人類側からすれば突然に海底開発基地・船舶・漁港を攻撃された形になっている。例えば人類を交渉の場に引き出すため、最初に何気なく実力を見せて脅しをかけるというなら意味があるが、そのために一般住民の死者(多分)まで出しては人類側が引けなくなる。それなりの文明人に見えながら、まともな交渉もなく勝ち目もない戦争を始めたかに見えるのは、太平洋戦争開戦時の日本の判断にも劣るというしかない。
なお最後にキリヤマ隊長が海底都市を破壊したのは人類が侵略者と認めたくなかったからで、海底開発のためというのは単なる言い訳のように思われる。逆にいえば当時、それを名目にすれば誰も文句がいえない大義としての力が「開発」という言葉にあったのかと思った。現在ならまた別の大義が世界を支配しているだろうが、そのような大義に隠れて富と力を追求するところに人類の悪が生じる。
その他個別の登場人物に関して、
○少年はいわば広報官役だが、年少者らしく他人の主張をそのまま信じて言うだけの子どもの使いに見える。「魂」であれば浮世離れした立場で中立を気取っていられたかも知れないが、しかし今回少し日がずれていれば、命日に訪れた母親も災難に遭う恐れがあったのであって、それをこの少年は容認できるのかと言いたい。
○少年の母親は子どものためにと思って毎年海に連れて来ていたとのことだが、もしかして自分のせいで子どもを死なせてしまったと思い込んでいなかったか。もしそうなら思いつめない方がいいと言いたいところだが他人が言っても仕方ない。
○ダンは自分が侵略者に協力しているのではないかと悩んでいたが、実際やったのは民間に被害を及ぼす怪獣退治だけなので緊急避難的な対応といえる。海底都市の破壊には立ち会わず隊長の勝利宣言も聞いていなかったので、人類の罪を背負わされなくて済んだ形である。
○アンヌはダンと二人で海に行ったことを周囲にも知られていて、ほとんど仲間内公認の間柄になっている。今回は終始二人で一緒に行動し、体験と思いを共有することで心の関係が一層深まったと思われる。
○小学校の児童はポインターが来たので、わーいと言って駆け寄って車体にたかっていた。勝手にドアを開けて頭を突っ込んだり上に乗ったりしていたが、リアウインドウの下にはミサイルを積んでいるはずなのでそこに乗っては危ない。靴を脱いで上がっている女子は行儀がいいようでもあるが、脱いだ靴を車の上に置いては意味がない。