1.Netflixにて鑑賞。
『ブレイキング・バッド』の安易な便乗企画かと思っていたのですが、そこは天下のNetflixだけあってスピンオフでも一切手を抜かず、『ブレイキング・バッド』と同等のクォリティを維持しています。
一見するとインチキ臭い風貌でムダなおしゃべりが多く、何かにつけて「金、金」とうるさい印象はあるものの、ソウル・グッドマンは常に依頼人のために最善を尽くす男だったし、ウォルターやジェシーがどれだけ暴走してもまぁ何とかなってきたのは、彼がブレーンとして付いていたおかげだと言えます。本作に登場するのは弁護士になりたての頃のジミー・マッギル(ソウル・グッドマンの本名)ですが、当時のジミーは時系列的に後となる『ブレイキング・バッド』のソウル・グッドマンとは対照的に、弱者に味方する正義漢にして、筋が通れば無償での仕事も引き受ける熱血漢。本作では善良なジミー・マッギルが闇落ちしてソウル・グッドマンになるまでの物語が描かれます。
とにかく素晴らしいのがジミー・マッギルの人物像であり、前述の通りの正義漢ではあるものの、軽口を叩いたり、大きな目的のために小さな悪事を働いたりするため、正義の押し売りになっていないという点が絶妙でした。また、金が欲しいという本心は『ブレイキング・バッド』の頃と変わらないものの、本作のジミーは情に負けて損な仕事を引き受けてしまう人情家であり、頑張ってもなかなか報われない姿が笑いと哀愁を誘っています。ジミーを『ブレイキング・バッド』とはかけ離れた立ち位置に置きながらも、きちんと繋がった人物像としている点も素晴らしく、「ウォルターが変貌しすぎで、もはや別人格」との批判が一部にあった『ブレイキング・バッド』の反省はきちんと活かされているようです。
『ブレイキング・バッド』の良かった点も本作には活かされています。『ブレイキング・バッド』はキャラクター劇であり、息詰まる展開や、意外なドンデン返しという要素はあえて希薄にし、キャラクター達の物語をじっくり描くことで成功したドラマでしたが、本作も基本的には同様の路線を歩んでいます。ドラマの中心にあるものはあくまで人情劇であり、視聴者を煽るような急展開を入れていません。そのことが、本作に心地よいテンポと空気感をもたらしています。