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かっぱ堰さんのレビューページ
プロフィール
コメント数 12
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  怪奇大作戦 [25話] 《ネタバレ》 
実相寺監督・佐々木守脚本のエピソードで、この組み合わせは第5話以来である。第23話に続いて(一つ飛ばして)今回も京都が舞台になっており、レギュラーの面々と町田警部がまた出張して来ている。 ファンの間では評価の高いエピソードだが、自分としてはそれほど気に入っていない。その理由は主に、昔が正しい/今は間違っているという思い込みが感じられることである。教授の助手が、一千年前に(西暦969年/安和二年、藤原氏の全盛期)美しい文化が栄えたと言っていたのまではいいとして、都市景観まで美しかったろうと思う根拠は何なのか。また教授の「近頃の京都の変わりよう」という発言は、単に自分が生きていた範囲の昔と比べているだけのことで、年配者にみられる勝手な決めつけにしか思われない。さらに街や人のありようと仏像がどう関係するのかもわからなかったが、まあ昭和40年代の時点での素朴な問題意識を未整理なままで出していたと思うしかない。ついでにいえば、京都にいながら「…大和しうるはし」という一文を引くのでは、盗品を奈良県に隠す意図でもあるかのように聞こえる。 そのほか人物の関係では、恋人未満の2人の思いはくみ取れるが、個人的に問題だったのは教授の助手(観音様?)がどうも好きになれないことである。申し訳ないが第23話の「信子はん」の魅力には負けている。  なお今回はレギュラー紅一点のさおりちゃんも出張に同行したようで、他のメンバーと一緒に和風旅館で座卓を囲んでいたが、ここでの言動を見ているとまるで酔っ払いのように見える(鼻もテカテカしている)のは非常に変だ(酒は出ていない、そもそも未成年では?)。今回最も面白かったのはこの場面だった。
[DVD(日本ドラマ)] 5点(2018-11-10 22:22:58)
2.  怪奇大作戦 [6話] 《ネタバレ》 
なぜか吸血鬼の話である。最初に洋館で棺の中から吸血鬼が出て来るが、本来は現代(昭和43年)の科学犯罪を扱った番組のはずなのに科学的な説明がつくわけでもなく、最後まで単なる吸血鬼の話で終わってしまう。これは劇中人物にとっても意外な展開だったのではないか。現代の吸血鬼は売血業者だ、といった戦後の風潮を反映した感じの発言もあり、何らかの社会批評を絡めた話かと思えばそうでもない。また単なる吸血鬼の話としても問題があり、最初にポーランドが出て来たのは渋いところを狙ったかと思ったが、最後のナレーションなど聞くと、もともと小説の登場人物だったドラキュラを単純に吸血鬼と同一視してしまっており、いくら昔の番組とはいえこれはさすがに考えが足りない。 さらにストーリーの面でもいい出来には思われない。題名の「地獄」はタイアップ先の「別府地獄めぐり」を意識したのだろうが、物語に即してみれば、劇中の若い男女が陥った境遇を表現していたと取れなくもない。しかし特に若い男の人物像が共感を妨げるものがあり、また時々出る錠剤の意味が不明瞭なこともあって万人に訴える悲劇にはなっていない。そのほか一度死んで葬式もしたはずなのに何もなかったことになっているなど不審な点もあり、また特に最初と最後のナレーションが、物語で表現できていないことを言葉で説明して適当に始末をつけたように聞こえる。どうも何かの事情でやっつけ仕事になってしまったエピソードのように思われた。 なおレギュラー紅一点のさおりちゃんが出ないのも不満足な印象を残すことにつながっている。  しかしそれでも当時これを見た子どもとしては十分怖いエピソードだったと記憶している。この回は別府市の観海寺温泉にあった観光ホテルと全日空のタイアップで製作したものだが、こんな番組と提携しては誘客には逆効果であり(子どもだったら絶対行きたくない)、これは見通しが甘かったのではないかと言いたい。ホテルだけでなく別府全体が“吸血鬼の徘徊する街”になってしまっているのはまずくないか。 ちなみにそのホテルはすでに廃業したとのことで、いまこれを見て行きたいと思っても残念ながら無理である。現地は空き地になっており、その向かいの敷地に同名の介護付有料老人ホームが新しくできているようだが関係はよくわからない。
[DVD(日本ドラマ)] 4点(2018-08-25 18:42:47)
3.  怪奇大作戦 [5話] 《ネタバレ》 
ファンの間では劇中歌が有名なエピソードである。脚本・監督は特撮TV番組「ウルトラセブン」(1967)の欠番エピソードと同じ佐々木守・実相寺昭雄の組み合わせだが、この番組のこの回では変に羽目を外したところもなく、テーマもわかりやすく表現されている。  テーマに関しては見ればわかるとして個人的感想を書くと、まず劇中の犯人の主張は全く容認できない。誰かが罪なく死ぬのならその他の人間を罪なく死なせていいはずだというのは理屈にもなっておらず、今どきこういうテロリストまがいの発想にはつき合っていられない。 また注意しなければならないのは、こういうのを見ると妹に同情するあまり兄の主張も否定しづらくなるわけだが、実際やっていたことは妹の意志でも何でもなく、基本的には兄側の事情によるものだということである。妹と同年配の女性を狙っていたのは八つ当たりのようでもあり(cf.第21話)、また若い女性を殺すことで本人の満たされない性的欲求(妹への愛情?)のはけ口を見出そうとする変質者だったかも知れないわけで(cf.第16話)、この役者の面相自体がそういうことを疑わせるものがある。 簡単に誰かのせいにして済ませる話でないのは作り手側が曲者なのかも知れないが、しかし結局は、社会への反発も割り切れない個人感情もまるごと機動隊が踏みつぶす形になっており、どうも最後は権力を糾弾する方へ話を振らずには済まないらしい。通俗的な締め方ではあるが、この時代はそういうのが普通だったと思うしかない。 ただし自分も生きたい/誰も死んでほしくないという思いの相克に苦悩する妹はまともな人である。「胎内被爆」というものの存在は当時すでに知られていたわけだろうが、それを含めて後々まで尾を引く被害の理不尽さという点で、現在なら「夕凪の街 桜の国」を読んだ方がいい(映画ではなく原作の方)。  なお個別の場面としては、国立大学のボロい校舎の裏で所員2人が煙草をふかしている構図がよかった。またレギュラー紅一点のさおりちゃんは、今回はあまり可愛く映っていないが(監督のせいだ)、職場に芸能雑誌を持ち込むいまどきの(昭和40年代の)若い娘で、そこから事件解明の手がかりを拾う利発さを見せていた。
[DVD(日本ドラマ)] 5点(2018-05-30 23:56:20)
4.  怪奇大作戦 [23話] 《ネタバレ》 
実相寺監督のエピソードだが、突拍子もない奇抜な演出などはなく(眼鏡に映る炎がわざとらしい程度)、わりと堅実に映像化されている。終盤に出た「戦争のたびに科学が進歩する」という台詞はいかにも当時の意識の高い人々が食いつきそうなネタだが、話の中身とは特に関係がなく、そのように適当に格好つけて締めるのが当時の習慣だったのか、あるいは第21話と同じく脚本家のハッタリか。  今回は京都が舞台で、レギュラーの面々は京都府警に招かれて出張したような感じである。劇中人物の名刺に出ていた古美術店の住所は実在の地名で、実際に美術工芸品店が多いことで知られた通りらしい(知恩院の門前町とのこと)。 物語としては、京都の古美術商に代々贋作を強いられてきた家の男が復讐する話になっている。翌年には大阪で万国博覧会(ポスターが見えた)が開催されるような時期でもまだ旧時代の悪弊が残っているという告発のようでもあり、古い日本の因習に抑圧された若い世代の境遇がやるせないともいえる。ただし似たような設定は最近の映画(「嘘八百」2017年)でも使われているので、もしかすると素人が知らないだけで、本当にこういうことが今も連綿と続いていたりするのではないか??と勘繰ってしまうところもないではない。 ほか今回は所員に危機が迫った一瞬の緊迫感が印象的で、その後遺症で所長が鼻をかんでいたのが気の毒だった。また特撮面ではとにかく寺院の炎上場面に度肝を抜かれたが、正確にいうと本物の寺に火をつけるはずはないので合成かと思っていたら全焼してしまったので全部がミニチュアだったとわかった、ということである。犯人の台詞で「この寺は本物か偽物か」と言っていたのは残念ながらよくできた偽物だったことになるが、その偽物を作ったスタッフの力量がどれほどだったかはDVDによって後世に残されている。  なおレギュラー紅一点のさおりちゃんは、今回は東京にいて一人で留守番していたらしく出て来ないが、代わりに古美術商の跡取り娘の「信子はん」には心惹かれるものがあった。女には権利がある、男には義務があるなどと無理に現代風にふるまってはいたが、実際は男に依存するばかりの古風な女だったのが不憫で愛おしい。また変に顔が大写しになるせいで殊更に色っぽく見えたりもする。この松川純子という女優さん(当時25歳?)は、どうやら昨年(2017年)亡くなられたようで少しショックである。
[DVD(日本ドラマ)] 7点(2018-03-11 21:28:13)
5.  怪奇大作戦 [21話] 《ネタバレ》 
かつて傷害事件で回復不能な傷を負った女性が、それを恨んで世間一般の若い女性に復讐しようとする話で、被害者の死に方がかなり衝撃的で恐ろしい(ただし特殊メイクはあまりテカテカしない方がよかったのではと思う)。恐らく1957年に有名歌手がファンに塩酸をかけられた事件が関係者の念頭にあったものと思われる。 またそもそもこの番組自体が本当に子どもに見せようとしたのか怪しいところが多いわけだが、この回はまた目に余るものがある。犯人の父親が経営しているという「新宿スチーム会館」とは一体何なのかと思うが、その上に業態を明瞭に示す「トルコ」という言葉をあからさまに出すのが良識的でない。 犯人は身体に残った傷のために結婚できないと言っていたが、それよりそもそも堅気とはとてもいえない家の出で、また微妙なことだが「大山」という名字は、この頃なら「大山倍達」という人物の名前で知られていたのではと思ったりする。制作側がどこまで何を考えていたかはわからないが、台詞に出ている以上に裏の事情があるのではと勘繰ってしまう話である。  ところで今回は、大まかにいえば女性の美しさが罪を生む、という感じの話に見えるが、最後のまとめ方があまりに観念的で唐突で、劇中の出来事を受けた教訓になっている気がしない。確かに犯人(演・田島和子)は美形で色気があって自分としても正直見惚れてしまったが、美しさ自体が問題というよりも、そもそもトラブルを生じがちな人物ではないのかということもあるはずである。野村がさおりに言った「君が犯人になってたかも知れない」という言葉も説得力に欠けており、どうも犯人固有の事情による事件を無理に一般化して格好つけたようにしか見えない。 また男は女の外見ばかりにとらわれる、という皮肉も含まれていたかのも知れないが、そうだとしても終盤の一言にしか出て来ないため、この話から感じられるのは要は“オンナは怖い”ということでしかない。実際この回の脚本は原案段階からかなりの変更があったとのことだが、できたものを見る限りは孤立的で意味不明な出来事や台詞も多く、構成の緊密さを欠く印象なのは残念だった。  なお今回はレギュラー紅一点のさおりちゃんが大活躍の回で、これは牧と同質の直観力が認められてのことだったようである。今回はテーマのせいか普段よりも美少女寄りに見えていたが、犯人の色っぽさに対して可愛らしさで十分対抗していた。
[DVD(日本ドラマ)] 6点(2018-02-11 20:50:53)
6.  怪奇大作戦 [16話] 《ネタバレ》 
「かまいたち方式真空切断装置」というようなものを使った猟奇殺人の話で、犯人の若い男が若い女性ばかりを狙うというのが変質者的である。 映像的には最初の場面で、橋の上で一瞬でバラバラにされた人体の一部(靴?)がドブ川のようなところにボチャっと落ちるのが衝撃的である。実際殺されたのは2人までで、3人目の犬を連れていた育ちのよさそうなお嬢さんが無事だったのはほっとしたが、その後に的矢所長の言っていた「せめて犬ころだったのが不幸中の幸い」という発言は、多分現代の犬好きの人々には許してもらえないと思われる。  そういうことを好んでする犯人の心境は、見ても実はよくわからない。「他人に恨み」とか「社会に不満」とかで割り切れることではないようで、当然ながら視聴者としても簡単に同調できそうな話ではない。 自分が地方人であることから、まずは都会に出て来た田舎者の鬱屈した感情が原因だったという見方をしたくなるが、しかし休日に喫茶店に集まって東北方言のような地元言葉丸出しで気安く笑い合う同郷の仲間もいるのに、犯人だけが異常者というのは地方出身だからともいえない。また当人の学歴とか、学生運動といった当時の世相との関わりを指摘する向きもあるが実際それほど明瞭でもない。それにしてもこれまで誰も考えたことのない装置を自作できるほどの才覚はあったわけなので、そういう内心のプライドが影響していたのかということは考えた方がいいかも知れない。 劇中の警察はすぐ痴情怨恨などという単純な話にしたがるようだったが、この男に関しては外部から適宜の解釈は可能にしても、本当の動機など本人さえ説明できるとは限らない。高度成長期の人心の変容がここで表現されているというよりは、人間にはもともと底の知れない心の闇があり、ただ社会が関心を持たなかっただけではないのかとも思われた。  なお今回は若い所員の野村という男が印象に残る。見張りを命じられていたのに屋台のおでんを食っていて大失態というのは「にんげんだもの」的エピソードだが、終盤のおとり捜査で所員が犠牲になったと思い込んで取り乱していたのは、この男だけが段取りを聞いていなかったということらしく情けない。一人で大騒ぎしたのは結果的に格好悪かったが、それはそれとしてなかなか愛嬌のある奴ではある。ちなみにレギュラー紅一点のさおりちゃんは今回も可愛らしい顔を見せている。
[DVD(日本ドラマ)] 7点(2018-02-11 20:50:50)
7.  怪奇大作戦 [8話] 《ネタバレ》 
この回は「燐光人間」というのが出ることになっているが、見た目としては液体人間である。個人的感覚としては円谷プロダクションが関わった特撮映画「美女と液体人間」(1958)、特撮TV番組「ウルトラQ」第19話「2020年の挑戦」と並ぶ、いわば“液体3部作”のような感じだが、特撮技術的にはどうも液体の質感が一定せず、「美女」の時代と大して変わっていないようなのは残念である。それでも当時見ていた者(子ども)には一定の心理的衝撃があって、自分としては劇中の緑色の液体が夢に出た記憶がある。  特撮はともかく大人の立場としてはドラマ部分が印象深い。中心人物の山本という男については父親の言葉が全てを物語っているが、この男に対する牧の態度について、最後に顔を逸らした場面からすればどうやら今回は深く感情移入していたらしいと取れる。 また一方の林洋子は性格が掴みにくいが、例えば他の同僚があからさまに山本を馬鹿にして笑っていたのに対し、この女はそういう態度を取っていなかった可能性もある。しかしそれは人柄の良さではなく単に関わりたくなかったとのことで、要は美貌による高慢さなのか心の狭さによる自己本位か、あるいは婚約者がそのように要求していたのかも知れないが、遺書まで無視するようではまともな人間として認知していなかったと思うしかない。  今回特に衝撃的だったのは最後の「特製ビール」による処置である。これは山本にとっては疑似的な結婚であり火葬であって、人間としての姿も心も失ってしまった山本を、せめて最後はいわゆる「冥婚」のように、花嫁人形と一緒に葬ってやる意図だったと思われる。そこまで山本の心情に寄り添ってやれたのは、親以外では牧だけだっただろう。 一方の林洋子にとっては極端にいえば疑似的な火刑だろうが、そこまで厳しく考えなくとも、一生の晴れの場でこのような騒ぎが起きたからにはもう普通のしあわせは得られないだろうことは容易に想像できる。少なくとも遺書の時点で誠実に対応していればこういう事態は避けられたのかも知れず、人としてなすべきことを怠った罪への後悔が、最後の表情になって出ていたようにも思われた。 ちなみに陰気で怖いドラマ展開の中に、変にユーモラスな場面を入れて和ませるのはこの番組のいいところである(シャーレとコーヒー皿の交換)。またレギュラー紅一点のさおりちゃんも可愛らしい顔を見せていた。
[DVD(日本ドラマ)] 7点(2018-02-11 20:50:48)
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