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21.  イントゥ・ザ・ワイルド 《ネタバレ》 
世を儚み、文明社会と縁を切って、自然と共に暮らしたいと願う人はいるだろうが、実行する人は稀有である。それを敢行した人の実話なので貴重だ。彼は潔癖な性格だ。それは、車、身分証明書、お金、名前まで棄てて、過去と完全に決別した上で旅立ったことからも窺える。潔癖ゆえ、私生児たる出生の秘密と、家庭内不和がどうしても許せなかったのだろう。遁世の理由は「愛よりも金銭よりも信心よりも名声よりも公平さよりも真理を与えてくれ」という言葉が近く、真の人間たる姿を求道していたのだろう。 都会出の彼が、最初からアラスカ行を計画していたとは思えない。放浪しながら、もっと厳しい環境に身を置こうと、思いついたのだろう。「人生において必要なのは、実際の強さより強いと感じる心だ。一度は自分を試すこと。一度は太古の人間のような環境に身を置くこと。自分の頭と手しか頼れない苛酷な状況に一人で立ち向かうこと」 人を拒む厳寒の自然の中に身を置き、自然の恵みだけで生きるには、強靭な精神力が必要だ。彼は、世を捨てたのではなく、生きている証しとして自分の限界を試したかったのだろう。人間とは何かという真理を見つけたかったのだろう。彼は価値観の定まらない軽佻浮薄な若者ではなく、確固とした哲学を持っていた。だから出会う人達との間に交流と友情が生まれ、強烈な印象と影響を与えた。特に最後に出会った老人との交流は胸を打つ。老人は、若い頃に妻子を交通事故で失くした退役軍人だ。家族を喪失した老人と、家族を捨てた若者とが、お互いの身の上を話し合い、理解し合い、遂に、老人は若者に養子にならないかと申し出る。人間も捨てたもんじゃないと思わせてくれる。結果として彼が落命したのを理由に非難する気はない。自然との暮らしは死と紙一重なのだ。 「偽りの自分を抹殺すべく、最後の戦いに勝利して、精神の革命を成し遂げるのだ。これ以上文明に毒されないよう逃れて来た。たった一人で大地を歩く。荒野に姿を消すため」このような人はもう現れないのではないか。劇中彼をキリストになぞらえた人がいたが、宜なるかなである。勇気ある冒険をした彼を賞賛したい。遺憾なのは、彼が増水した河に沿って移動しなかったこと。実際四百m先に鉄道があったらしい。又、廃バスが無ければどうやって住処を確保する積りだったのか。移動手段を車や貨車に頼ったのはどうしてか。気になる点である。
[DVD(字幕)] 8点(2014-11-30 19:38:57)
22.  モロッコ 《ネタバレ》 
大変灰汁の強い、大人の恋愛映画だ。男を信じられなくなった女と、女を信じられなくなった男が異国で邂逅する物語。女、アミーは流れ流れてモロッコに辿り着いた旅芸人で、舞台で歌を唄うが、林檎も売る。男、トムは三年前に過去を捨てて、外人部隊に身を投じた二枚目の兵士で、女には目がなく、上官の妻との関係が露見して問題となる。二人は一目で相手を気に入るが、心に傷があるため疑心暗鬼で、気持ちの探り合いで終始する。トムの前線行きが決ると、トムは脱走を決意し、アニーを誘った。アニーは誘いに応じる。ところが、アニーが金持ちと婚約しているのを知ったトムは身を引く。また男に騙されたと思った女が、別の男との結婚に同意しながらも、男を忘れられず、男の本心を知って追いかけるまでの心の動きが肝だ。劇的な展開は無い。 気怠げな上目遣いの表情、甘ったるい指の仕草、軽妙で洒落た会話、物憂げにくゆらす煙草、ルージュの別れの伝言、鏡に投げつけられる酒、飛び散る真珠、卓子に彫った名前、裸足で後を追う姿、様々の洗練された恋の仕草や表情が見られのが特徴で、この映画の最大の魅力だろう。アミーの仕草はとりわけ魅力的だ。 擦り切れた心が癒えるには、異国と言う舞台が必要だった。人は異国にいると、時に望郷の念にかられ、時にもの寂しくなり、世捨て人の心もつい緩みがちになる。暑苦しい日中、灼熱の砂漠、そして戦争という悲劇が気持ちを駆り立てる。二人の心の渇きと憔悴を暗示するのに相応しい。この映画は舞台立てに成功し、且雰囲気づくりが秀逸だ。とても才能のある監督と思う。遺憾なのはトム役の役者が大根であること。 尚、砂漠では水分の蒸発が著しいため一日6Lの水が必要となる。その為、砂漠を横断するには食糧と水を運ぶラクダか馬が不可欠とで、軍隊が歩いて横断できるものではない。又日中の砂の地表温度は70℃以上にもなるので素足では灼けてしまう。監督は全てを承知の上で、あえてあの衝撃的な最終場面を選択したのだろう。印象に残った科白は次の三つ。「結婚するほどの男はいないわ」「女にも外人部隊があるのよ。ただし、制服も軍旗もない。勲章はもらえない。だけど勇敢よ。傷つくのは心だけ」「もう一度、男を信じさせてくれるの」
[DVD(字幕)] 8点(2014-11-30 05:16:39)
23.  フード・インク 《ネタバレ》 
米国の食品産業の問題点を取り上げた作品。通常の経済の仕組みでは、消費者の需要が先にあり、生産者がそれを供給する。しかし米国では違う。農業が高度に工業化され、メジャー食糧企業による寡占状態にある市場では、供給が需要に先行する。安くて栄養豊かで、しかし健康には決して優しくない食品が市場を席巻する。味が良くて、健康にも良い有機農は、値段が高くて太刀打ちできない。悪貨が良貨を駆逐している状態だ。お金の無い人は安価な食品を選ぶしかない。肉が野菜より安価なので、肉中心の食生活になり、結果健康被害に陥り、ひいては国の医療費を圧迫する。 食糧問題は最終的にコーンの問題にたどり着く。農薬耐性のある遺伝子組み換え種子を用い、農薬と化学肥料を使って大量生産し、政府が助成金をつけて世界一安値にした上で、大量に輸出する。輸入した国の農業は壊滅的な打撃を受け、畜産業は飼料をコーンに依存するようになる。恐ろしいのは、食糧メジャー企業が、お金にものを言わせ、政府、裁判官なども牛耳っていることだ。風評被害法なるものを成立させ、商品や会社に批判も言えない。「要らぬ不安を与えるから遺伝子組み換えの表示はしないほうがいい」という主張がまかり通る。反対するものは徹底的に叩く。風に飛ばされた遺伝子組み換え作物と自然交雑した近隣のコーン農家に対して、特許のある種子を保存したとして、巨額の損害賠償を請求する。裁判になると費用がかかるので、結局泣き寝入りするしかない。 メジャー企業は、商品の心象が悪くなるという理由で、家畜の飼育や屠殺の様子を見せない。消費者は聾桟敷におかれている。 「食品は一円でも安ければそちらの方を買う」という未成熟な消費者から脱却したいものだ。安いのには、それだけの理由があるのだ。それを知った上で、賢い消費をしたいものだ。良質の実録映画である。
[DVD(字幕)] 9点(2014-11-29 23:38:05)
24.  生きるべきか死ぬべきか 《ネタバレ》 
いきなりヒトラーの出現と劇中劇で始まり、観客を煙に巻く。 ハムレットの“To be or not to be”の台詞が始まると必ず席を立つ観客が居て、演者のヨーゼフが目を剥く。 ナチスの将校になりすましてスパイの教授と会ったと思ったら、今度はその教授になりすまして、本物のその将校に会う。 教授になりすましていると、教授の死体と対面させられ、機転を利かせて何とか脱出に成功する。 エアハルト大佐とシュルツとの無責任な罪のなすりつけあい。 ベニスの商人のシャイロックの台詞を空んじているが、役に恵まれない役者がナチス相手に大芝居を打ってみせる。 最初のヒトラーを演じた役者が、本物のヒトラーになりすます。 最後のオチもハムレット。 危機の連続、笑いの連続で、密度が濃く、まくしたてるような展開で、間延びが無いのが最大の取り柄だ。敵が情け容赦ないナチスなので、緊迫感もある。笑いに必要な、緊張と緩和のめりはりが利いている。よくまあ、これだけ考えたものだと感心する。性に関する下品な笑いが無く、上品で洗練されている。ただ、ナチスドイツによるポーランと進行という一大悲劇を笑いの舞台にしてよいのかと考えてしまう。第二次世界大戦中の製作なので事情は複雑だ。ヒトラーを笑い飛ばしたいという気持ちが昂じて、製作に至ったのだろう。劇中で実際に何人かが死ぬが、それは不要で、笑いに徹して、誰も死なない演出ならもっと楽しめたと思う。ヨーゼフの妻の浮気相手のソビンスキーをもっと可笑しな人物にして活躍させれば、もっと面白かったと思う。安心して観られる作品だ。
[DVD(字幕)] 8点(2014-11-28 17:22:19)
25.  欲望(1966) 《ネタバレ》 
抽象画風のやや難解な映画だ。現代人の「虚無と孤独」が主題だと思う。主人公の写真家は、「現代人、特に男性」を象徴する。経済的に恵まれ、仕事も成功しているが、心は空虚である。移り気で何をしても満足できず、熱中しやすく、冷めやすく、時に人道主義的で、時に冷淡で、女性に惹かれながらも蔑視し、日常生活に飽き、どこか別の世界に行きたいと願う。写真家の人物描写が興味深い。底辺の労務者を撮るが、同情はしない。飛んで階段を登ったり、スライディングして電話をとったりと落ち着きがない。モデル撮影に熱中したかと思うと、さっと止める。静寂を感じると車のクラクションを鳴らす。骨董屋ではプロペラを欲しがるが、スタジオでは見向きもしない。二人の少女と戯れるだけ戯れると、まるで別人となり殺人事件の写真解明に向かう。ライブハウスではギターネックを欲しがるが、通りにでると捨てる。自分というものが無く、周囲の刺激や雰囲気に大きく影響を受けてしまう。殺人事件は事実だ。拡大写真に消音器付拳銃が映っているし、死体も触って確認している。注意深く観ると、デモのプラカードを乗せた写真家の車を追跡する男女同乗の車に気づく。男はレストランを窺っていた怪しい人物で、殺人の実行犯だろう。女は唐突にスタジオに登場したのではなく、追ってきたのだ。スタジオが物色されて写真とネガが奪われたのも、事件が事実であることの証明だ。だが写真家は事件を目撃したという事実に確信が持てなくなる。写真とネガはないし、語るべき相手がいない。抽象画家の恋人と編集者に話すがまるで通じない。画家の恋人には「まるで抽象画」といわれるし、編集者に「何を見た」と訊かれて、「何も」と答えるしかない。「伝達の不毛」「人間関係の不毛」だ。虚無を象徴するのが「無音世界」だろう。無音に耐えきれず、クラクションを鳴らすし、ギターネックに執着したのも音に惹かれたから。公園の死体が消えた後、彼は自分を失って彷徨う。カメラだけを信じて生きて来たのに、それさえも信じられなくなった。そこでパントマイム・テニスの無音世界に出遭う。影響されやすい写真家は、パントマイムに参加し、見えない球を投げ返す。すると聞こえるはずのない打球音が聞こえてくる。無音世界が真実になったとき、写真家の姿は消えた。意識ともども無音世界に行ってしまった。60年代ロンドンの現代アートを刻み込んだ貴重な作品。
[DVD(字幕)] 8点(2014-10-05 20:33:42)
26.  君のためなら千回でも 《ネタバレ》 
アミール(A)は、自分出生後の母の死への負い目もあり、屈折している少年だ。ハッサン(H)とは親友だが、H父子はAの父の使用人で、被差別民という微妙な関係にある。HはAにひた向きに尽くすが、Aは年長者から被差別民と友達なのをなじられたことから、Hを疎むようになり、遂には、彼に時計泥棒の濡れ衣を着せて家から追い出す。卑劣な少年だ。ソ連がアフガンに侵攻すると、A父子は米国に亡命する。ここから物語は糸の切れた凧のように、アミールの恋愛や作家になる話や父の死など、緩慢な展開に移行し、21年が経過する。ソ連侵攻下のアフガンの様子など一切出ない。ある日、恩師を見舞う為パキスタンを訪れ、Hがタリバンに殺されたこと、実はHはAの父の隠し子で、AとHは母違いの兄弟ということを知る。Aは衝撃を受け、罪の意識に苛まれながら、Hの息子ソーラブ(S)の救出に、危険なカブールへ向う。ここからが臆病で卑怯者だったAが生まれ変わる転換場面で、最大の山場となる。廃墟と化した故郷、タリバン圧政下で苦しむ民衆、生命を賭けた救出劇、相応に見応えがあるが、不満も残る。Sを「稚児」に男が、かつてHに性的凌辱を加えた男と同一である偶然。SにHと同様、パチンコを持たせる作為。車で逃走するAらをタリバンが追走しない上、検問所に連絡もしないというお粗末さ。一本道なので容易に補足可能。救出劇が困難であればある程、AのHに対する贖罪の意味が増し、観客の溜飲も下がるのを理解していないようだ。AはSを米国に連れ帰り、養子にするが、幸福な家庭ではない。凧揚げで、はしゃいでいるのはAだけ。Sは「自分は汚れて」いると感じているし、Aの妻は別の男との同棲の経験があるし、舅は固陋で気難しいし、隠し子発覚でAの父の高潔さは失墜した。Aは今後も慙愧の念に堪えないだろう。凧合戦は平和の象徴だ。しかし、凧揚げは広場でするものだ。電信柱の林立する町中では上手く揚がらないだろう。道路には車の往来があるし、柵の無い屋上は危険だ。Hがどうして凧の落ちる場所を知悉している「Kite Runner」なのかは不明のままだ。Hが父親から、風向きを読む術を習うような場面がほしい。アフガンで「七人の侍」が人気があったのは驚きだ。60年代のアフガンを再現して見せたくれたのは嬉しい。鑑賞後感はすっきりしないが、それがアフガンの現状なのだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-15 13:32:06)
27.  続・猿の惑星 《ネタバレ》 
衝撃的で、確固たる命題に貫かれた前作に較べると、何とも野放図で、まとまりが無い。 大人の事情で主人公が変わってしまったのは許そう。 この映画の主題は核の恐怖だ。人類滅亡どころか、地球の全生命消滅に繋がる核の恐ろしさが伝わるかどうかが、成功の鍵を握る。結論として、衝撃的な最終場面はあるものの、核の恐怖はさほど伝わらない。理由はいくつかある。 第一に地底人の描き方の問題だ。テレパシー、幻影、幻聴、思念で人を操る等、余りに現実離れしている。たかが二千年先の人類なのに、変質しすぎている。テレパシーで苦しんだり、仲間同士で殺し合いをさせられる場面は、絵的に表現するのが難しく、小芝居しているようにしか見えない。従って、緊迫感が無い。又、高度な知能を持ちながら、猿に対して有効な対抗手段を持たないのも不自然。逃げも隠れもしないのも謎。核爆弾を“聖なる武器、平和の武器”と崇めるが、猿には核兵器の知識がなく、抑止力にはならないのは明白だ。核信仰の根拠が不明だ。 第二に、猿が武力で禁止地区を侵略する動機が希薄。食料を求めてとのことだが、猿村の周辺は自然が多く、食糧増産には困らないだろう。禁止地区こそ食糧がなさそうだ。発見した地底人をいきなり皆殺しにするのも無茶である。 次に、チンパンジーがプラカードを持って「自由と平和」を訴えるデモをするが、これは露骨に製作時の時局を取り入れたもので、製作意図が見え見えで、興ざめする。 細かいことだが、馬車を奪って逃走するブレントをすぐに猿が追跡するが、奪う場面は目撃されていないので不自然だ。地下鉄のレールは二千年経てば錆びて跡形も無いと思う。 最大の不満は、前作での疑問、「どうして猿が人間を支配する世界になったのか?」に対する明確な答えがないこと。答えがないまま地球を破壊してしまうのは暴挙に等しい。地底人の醜怪な顔の理由も明かされない。ブレントもテイラーも対して活躍しないのも不満だ。ノバは人形に過ぎない。誰もが物足りなさを感じるだろう。 核爆発を阻止しようとしたテイラーが、最終的に核のスイッチを押すのは辛辣だ。人間は感情で行動するので、偶発的に何をしでかすかわからない。核は、危険すぎる「守り神」である。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-15 01:55:40)
28.  猿の惑星 《ネタバレ》 
SF映画史上燦然と輝く屈指の名作。衝撃の最終場面がつとに有名だ。 戦争を繰りかえす人類をこれほど痛烈に、辛辣に、壮大な規模で批評した作品は他に知らない。冒頭の独白は、最後を見てから振り返ると、胸締めつけられる。「宇宙では、人間のエゴが空しい、寂しくなる。宇宙の奇跡である人類、偉大な生物人類、相変わらず互いに戦い、子供を飢えさせているか?」悲しいことだが、現代にも通じる箴言だ。 テイラーを科学者肌の温厚な性格にせず、やや粗暴で闘争心旺盛な性格にしたのは、人間の愚かさを強調する演出だろう。彼が戦争で滅亡した先文明人の象徴となっている。 作品が面白いのは“驚き”が連続するからだ。宇宙船の墜落事故。女性飛行士の死。人間による服を奪われる。馬に乗った猿による人間狩り。喉が傷つき話せない。もう一人の宇宙飛行士の脳外科手術。銃、カメラ、宗教など人間に類似する猿の文明。ザイアス博士は頑迷蒙昧なのではなく、すべてを知っていた。高度文明の危険さを理解していたからである。そして、衝撃の最終場面。畳み掛ける展開で飽きさせない。時代背景も重要だ。当時世界は冷戦の緊張下にり、核戦争の恐怖が蔓延していた。そこにこの映画は、戦争の愚かさと文明滅亡の恐怖を示し、人類に警鐘を鳴らした。その意義は大きい。核戦争が避けられた理由の一つに、この映画が挙げられるかもしれない。そうなら、世界文明遺産に指定する価値がある。 不備な点もある。二千年にしては猿の進化が早すぎる。人間が話せない理由が不明。調査で土壌は何も育たないというが、植物はある。調査で放射能汚染は無いというが、核戦争はなかったのか?猿が英語を話すなら、地球とすぐ分る。これが最大の疑問点だが、これは原作を改変した功罪だ。原作との違いを挙げる。不時着した星は地球ではない。ロケットは湖に沈まない。猿は猿語を話し、姿は地球の猿と違う。自由の女神は出て来ないが、別の衝撃の最終場面がある。 最後に、「『猿の惑星』は原作者ピエール·ブールが日本の捕虜になった経験を基にして書かれた」は、都市伝説である。仏語版ウィキペディアに、彼は、仏領インドシナで、親ナチス・ヴィシー政権への抵抗運動に参加したが、1942年に仏軍に捕まり、重労働を課せられ、2年後に脱走したとある。「戦場にかける橋」が実状とはかけはなれた内容であることもこれで説明がつく。捕虜の経験は無いのだ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-12 16:49:51)(良:1票)
29.  U-571 《ネタバレ》 
独軍の暗号機エニグマの解読は、英軍のUボート鹵獲等の功績によって行われた。それをあえて、米軍が行ったことにするという意味が分からない。強引に史実を変える理由や必要があるわけでもなく、単なる娯楽映画に興を添えるために史実を拝借した程度のことだろう。浅慮である。 航行不能となったUボートが救難信号を発する。それを傍受した米軍はエニグマ獲得を目的に、潜水艦をUボートに偽装し、救助と思わせてUボートに乗り込み、敵艦を拿捕する作戦を立てる。作戦は予定通りに運び、艦内に乗り込んで占拠に成功するものの、独軍駆逐艦が現れ、偽装潜水艦を撃沈されてしまう。敵艦に乗り込んだ米兵達はUボートを操作して、帰還しようとする。これが前半だ。奇抜な発想で興味を引く。これに並行して兵員の絆、自己犠牲、副艦長の成長物語が描かれる。そつのない脚本で、合格点はつけられる。が、洗練されてはいない。副艦長の成長物語を描くのに急で、とってつけたような印象になってしまっている。駆逐艦との戦闘は御都合主義が目立つ。仕様を超えて深く潜るとか、魚雷が発射できないとか、捕虜がモールス信号を送るとか、死体と油を放出して沈んだと偽装するとか、手垢がついた演出だが、見せ方が上手く、悪くはない。艦砲一発で無線設備を粉砕する。魚雷一発で駆逐艦を撃沈する。この二つが気になる。戦艦は鋼板が厚く、二重壁構造で、艦内部も複数に区切られているため容易には沈まない。沈むにしても時間がかかる。商船と勘違いしていると思う。また爆弾が誘発しない限りあんなに爆発炎上しない。潜行可能な潜水艦を使っての撮影が功を奏して、写実的に描かれていたのに、爆発場面だけは現実味に欠ける上、CGも粗雑で残念だ。それに、真正面に進んでくる敵艦に対して魚雷を当てるのはとても難しい。船同士が無線で通信する場面が全く無いのも不自然。無線に答えられない時点でバレてしまう。無いものねだりを言うようだが、敵軍に対する尊敬が感じられないのが遺憾だ。名作「Uボート」にはそれがあったから、評価が高い。「勝った、万歳」で終っては底が浅い。戦争の凄惨さが描けていないということだ。英雄の影にも悲劇が付きまとうのが戦争だ。 
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-04 23:41:43)
30.  キング・アーサー(2004) 《ネタバレ》 
有名な「中世のアーサー王伝説」ではなく、その伝説の雛型となった、まだイギリスがローマ帝国の支配下にあった時代の騎士達の創作物語。 騎士達がローマ帝国の傭兵だったという仮説を基に、騎士達が南進してくるサクソン人を駆逐して、アーサーがブリトン人とピクト人(ウォード)の王となる話。「時代考証はそこそこに、ただ話が面白ければよしとする」という製作姿勢なので、内容は粗雑となる。 ランスレットが傭兵となる場面で始まり、「語り」も彼だが、彼は途中で死んでしまう。生き残ったものが語るのが当然と思うが。 アーサーはペラギウスの弟子で「人は皆自由に生きる権利がある」などと近代的な思想の持ち主。異端を許さず、師を死に追いやったキリスト教に怒りを感じている。 アーサーの両親がウォード人に殺されたので、彼等に対しては強い憎しみを持つ。故にウォードの族長マーリンからサクソンとの共闘を持ちかけられても拒絶した。しかし、最後はいつの間にか、当たり前のように共闘している。この辺りは説明不足だ。作品は騎士達がサクソン人を駆逐する話だが、史実ではサクソン人がイギリスに定着して、中世になってアーサー王伝説を作った。つまりアーサー王伝説を作った人たちを否定するような内容になっている。矛盾は感じなかったのだろうか。氷河での戦いだが、氷が割れそうなら、氷の厚い川の端を通ればよいだけの話。誰だってそうすると思うが。騎士が遠矢でサクソンに味方する裏切り者を射殺するあたりから漫画的になってくる。裏切り者が木の上にいるとどうして知ったのか。 バドン山の戦いで、敵方の罠を察した族長が先遣隊を送り出すが、案の定全滅させられる。しかしその後、何の対策も立てないで全隊を突進させる。よくわからない展開だ。指関節を折られて衰弱しきっていたグィネヴィアが、急にアマゾネス化して勇猛な女兵士に変貌して、言葉を無くした。戦いに勝利し、アーサーとグィネヴィアが結婚して大団円だが、結婚式はストンサークルの中でというおまけつき。ストンサークルはケルト人以前の古代の遺跡だが、アーサー王伝説にも登場するし、見栄えがよいので使用したのだろう。政策姿勢がよく表れている。真面目に史劇に取り組むつもりは最初からないのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2014-09-03 16:35:47)
31.  アレキサンダー 《ネタバレ》 
アレキサンダーの幼少からその死までを丁寧に描き、知られた挿話をほとんど盛り込み、大王の足跡を辿るだけでなく、心の内面にまで迫ろうという姿勢には好感が持てる。CGによりガウガメラの戦い、バビロンの街並み、インドでの密林戦などが見れただけでも満足で溜飲が下がる。特に鷹の目線を交えて大俯瞰で描いたガウガメラの戦いは見応えがあった。しかしながら人物像に関しては違和感があった。大王の言動があまりにも現代的過ぎるのだ。「自由、人種の融合」など理屈っぽい上に、よくしゃべり、よく悩み、よく泣く。人物像の真に迫ろうとするあまり、表現に力みがあるように思える。新解釈で描きたいという気持ちは分るが、所詮古代の人物である。数少ない資料から人物像を掘り下げるのには限界がある。現代の価値観で解釈を加えたところで説得力に乏しい。両親の愛に餓え、腹心の裏切りに怯えるという英雄の弱みを強調するより、英雄は英雄らしく描いた方が受け入れられやすいのは自明の理だ。蛇信仰に熱中して夫を憎む母の狂気や暴力的な父に対する反抗心や男色趣味を殊更強調しても意味はほとんどなく、混乱をもたらすだけだ。大王の東征が「人種の融合と調和」なのか「征服と支配」なのかを映画の中で解釈する必要もない。東征の遠因を「母から逃れるため」「父を乗り越えるため」と精神分析的に捉えるのはよいが、それは示唆する程度に留めておけばよい。一義的な解釈を押しつけても反発されるだけだ。こういう人物だと決めつけても、畢竟詮無いことだ。曖昧模糊たる「アレキサンダー大王伝説」を多元的に描き、笑いを交えるくらいの余裕が欲しかった。描き方に余裕が無いので観ていて疲れる映画だ。事実を羅列するにとどめ、解釈は観客に委ねるのが好ましい。各地に築いたアレクサンドリアの様子や如何に統治したかが描かれていないのが不満だ。軍事面だけでなく政治面も描いて欲しかった。大王の妃やペルシャ王妃をわざわざ醜女に描く意図が不明だった。
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-03 05:09:43)(良:1票)
32.  エル・シド 《ネタバレ》 
中世スペインの武将で、イスラム教徒からも「エル・シド」と尊称された男の英雄譚。 花嫁シメンを迎えに行く道中で、街に攻め込んできたムーア人と遭遇し、激戦の末、首長を捕えるが、憎しみの連鎖を断つため、平和を誓うことを条件に開放してやる。この行為が反逆罪として告発され、その審理中に侮辱されたエル・シドの父がシメンの父である最高戦士に決闘を申し込む。エル・シドはシメンの父に謝罪を要求するが拒絶されると決闘となり、殺害してしまう。シメンはエル・シドを憎むが、領土争いの一騎打ちを制したたエル・シドは王からの褒美としてシメンとの結婚を許される。ここまでは非常に劇的で、後半の展開を期待させる。だが良いのはここまで。異教徒相手の英雄騎士物語を期待したのに、恋愛、暗殺、王位継承争い、裏切り等、内輪のもめごとが延々と続き退屈する。内容はそれでも良いのだが、表現が薄っぺらで、人物像が一貫していないので物語に入り込めないのだ。エル・シドは異教徒に寛大で平和共存を望んでいるが、それ以上にスペイン王に忠実だ。追放されたり、妻子を人質に取られても王に忠誠を誓う理由が見出せない。鍵を握りそうなエル・シドの父は途中から登場しなくなる。シメンは結婚してもエル・シドを酷く憎み拒絶するが、彼が追放された途端に再び愛するようになる。まるで別人になっており、脚本の欠点だ。第2王子アルフォンソは複雑で、謀略を巡らしたり、強がったり、弱音を吐いたり、エル・シドを憎んだり慕ったりで、人物像がつかみにくい。信頼にたる人物でないのは確実で、この男にエル・シドが忠誠を誓うのは首を傾げる。ムーア人の王ユサフとの最終対決おいて、両国の大軍団が入り混じる戦闘場面は迫力があるが、一夜明けての決戦は何ともあっけない。死んだと思っていたエル・シドを前にするとムーア軍は一方的に潰走するのだ。馬の下敷きとなるユサフの死もあっけない。まるで漫画だ。もっと観客をじらせる「タメ」が欲しい。エル・シドは生きてていたのか、伝説のように死体を馬に乗せて駈けさせていたのか、不明のままだ。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-02 21:02:39)(良:1票)
33.  スパルタカス(1960) 《ネタバレ》 
冒頭から剣闘士が反乱を起こす場面まではまことに調子良く物語が進み、興趣をわかせる。死ぬまで苛酷な労働を強いられる鉱山奴隷の愍然たる実態、峻烈極まる剣闘士の訓練風景、命ぜられるままに剣闘士の慰みの相手をさせられる女奴隷の悲哀、会話を交わすことも叶わぬ奴隷同士の悲恋、気まぐれと好奇心だけで剣闘士の真剣試合を望む二人の女性の残酷さ、現代の価値では推し量れぬ古代ローマの側面をまのあたりにするようで、惻惻として胸を打つものがあった。古代のこととはいえ、理不尽に人権と自由を奪われた者の気持ちは想像に余りある。しかし、反乱が起ってからは調子がおかしくなる。反乱軍がスパルタカスを頭目に戴くようになる過程や彼のカリスマ性等が十分に描かれない。とりわけ軍の知識もないのにどうして正規軍を破るほどの軍事力を持ちえたか、どうして短期間で能率的な軍事訓練が可能だったか、数万人規模の寄せ集めに過ぎないのにどうして規律が保てているのか等、疑問に思うところが多い。「奴隷から開放されたい」という思いで一致しているのはわかると、思いと規律とは一致しないものだ。戦闘は何度も繰り広げられているのに二度しか描かれていないのは遺憾だ。スパルタカス軍が諸処の戦いに勝利しながら、各地の奴隷を吸収して勢力を膨らませていく過程で、彼の人となりやカリスマ性を描く、というのが常道ではなかろうか。彼の内面に迫る演出が欲しい。本作品の本質は、スパルタカスという人物を描くことだからだ。だが、それらの描写は簡略され、彼とバリニアの恋愛面が強調されている。最後に彼が処刑されても子供は残るという「希望」を描きたかったのは分るが、均衡を欠く。敵将のクラッサスがバリニアに異常に執着したり、元老院のグラッカスがバリニアを救出して自由の身分を与えてから自死するなど、不自然な展開で、どんどん興が削がれていく。彼女にそれほどの魅力を感じない。詩を吟じるアントナイナスの存在は無くてもよろしい。特に風呂場でのクラッサスとの妙な場面は意味不明だ。群集場面で奴隷の行進や生活の様子が幾度となく映し出されるが、それだけで感情移入するわけではない。映像だけでは不十分で、やはりきちんと群像劇として描く必要がある。剣闘士の試合をもっと見せるとか、残忍な二人の女性のその後を描くとか、クラッサスが復活させた十分の一刑を描くとか、盛り上がる方法があったろうと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-02 18:04:19)(良:2票)
34.  ミニヴァー夫人 《ネタバレ》 
戦争の悲劇を題材にしているが、反戦映画ではない。戦意高揚映画の範疇に属するのだろうが、正面切って戦争を扱っているにしては手ぬるい内容だ。 題材として二本の柱がある。ミニヴァー家の息子ヴィンとベルドン家の娘キャロルの結婚と薔薇の品評会である。 二人が出会って、結婚に至る経緯、ベルドン夫人という障壁、幸福な新婚生活の様子等は端的によく描けている。 しかし、最大の悲劇であるキャロルの機銃照射による死は眠るようなものであり、ヴィンの悲嘆にくれる様子や涙は映さない。 品評会で優勝したバラード駅長の死に至っては描かれることはなく、神父の口から死んだと報告されるだけだ。 ミニヴァー夫人最大の危機である逃亡ドイツ兵との遭遇も、あっけなく相手が気絶してしまうという幕切れで、緊張感が持続しない。 どこか現実味に欠け、喜劇めいてさえいる。戦時中のことゆえ、検閲を配慮してのことだろうが、これでは伝わるものが弱い。 物語がぶつ切れになっている憾みもある。 冒頭でミニヴァー夫人の買った帽子、ミニヴァー氏の買った車が後の話に活かされていない。 家政婦と、戦争が始まったとき真っ先に出征していった彼女の恋人が、その後登場しない。 ミニヴァー氏が船を避難させる作戦に参加するが、その詳細が描かれない。 仔細だが、気になることがある。薔薇の品種の名前をつけるのに、知り合いの夫人の名前をつけるものだろうか?勘違いされそうに思うが。又、キャロルが品評会にバラードの薔薇を出品させないように、ミニヴァー夫人にバラードの説得を依頼するが、これは筋違いだろう。直接バラードに伝えれば済む話だ。ろくに話もしたことない人の家に乗り込んで、厚かましい依頼がよく出来たものだ。上流者階級とはこういうものなのだろうか。品評会に出品が二つしかないというのも張り合いが無い。 脚本に一本筋が通ってない上に、戦争の本質にまるで触れようとしない“綿で包んだような”内容では感情移入のしようがない。
[DVD(字幕)] 5点(2014-09-01 22:27:21)
35.  チャップリンの独裁者 《ネタバレ》 
恐怖の独裁者ヒットラーを徹底的に茶化す。稀代の喜劇王チャップリンの面目躍如たる作品だ。 政治を風刺した映画の中で最も完成度が高く、永遠に語り継がれる作品だろう。 作品の本質は喜劇。そこは世界に冠たる喜劇王のこと、千姿万態の職人芸で何度も笑わせてくれる。最後の感動的な演説を度外視しても十分楽しめる作品に仕上がっている。特に世界地図の風船が爆発する場面はぞっとするほど風刺が利いている。 チャップリンは、喜劇と悲劇は表裏一体であることを信条として作品に体現してきた。ここでの悲劇は個人的なものではなく、「人類愛と民主主義の消滅」という人類の悲劇だ。 製作当時、民主主義撲滅と民族浄化を掲げるナチス・ドイツによる世界蹂躙戦争によって、人類愛と民主主義は危機に瀕していた。それに対する心の叫びが最後の演説となった。役を捨てて素をさらけ出すという禁じ手を用いてまでも訴える必要を感じたのは、それだけ危機感を募らせており、一有名人として世界に訴える責任を感じていたからだろう。いわば止むに止まれぬ良心の吐露だ。世界中に独裁主義の暗雲が吹き荒れる中、その心情は察するに余りある。 映画の成功の要因の一つに、最初と最後に演説を対比させる構成の妙がある。一方は意味不明のでたらめ語、一方は床屋役を捨て去って真摯に人類愛を説き、天国の母に希望を誓うチャップリンの心の声。この対比により両者の違いが際立つ。 映画は床屋の戦闘場面で始まる。これは被害者である床屋も、かつては戦争に加担する兵士だったという皮肉を込めている。政治に流されたままで、自ら声を出して民主主義のために戦わなければ、いつかは戦争に巻き込まれてしまうという危惧と反省の表明だ。 映画中盤で、ユダヤの女性が親衛隊に親切にされて驚く場面がある。人種は違っても、同じ人間だから同情もすれば、共感もする。困った人を見ると助けたい。そこには希望がある。最後の演説がなくとも、同様の趣旨がきちんと描かれている。 常に市井の人々の視線で作品を撮り続けてきた巨匠だからこそなしえた作品であるに違いない。躊躇せずに「偉大な作品」と呼べる。 気になる点は、床屋が20年間も保管されていた点、風船の場面の切り替えで足の位置が合わない点、ナチスを想起させるワグナーのローエングリンを演説の最後に使った点。 
[DVD(字幕)] 10点(2014-09-01 17:28:03)
36.  ローマ帝国の滅亡 《ネタバレ》 
ローマ帝国の崩壊が180年即位のコンモドゥス帝から始まっているという大胆な仮説には首肯しかねる。崩壊の三百年も前の皇帝に崩壊の濫觴を求めるのは無理なのではなかろうか。 史実のように謳っているが、ローマ帝国という舞台とローマ皇帝の名前を借りただけの創作である。 未婚皇女役を豊満な中年女優が演じている点で興ざめし、まともな悲恋物語として見れない。 コンモドゥスは闘剣試合に夢中で、政治には向かない暗愚な人物とされるが、闘剣場面が一度も登場しないのでどういう人物か推測しかねる。彼の心の内に狂気が宿っていたとして、その原因を少しは示唆してほしいものだ。最終場面で、突如として名乗り出た実の父を刺殺し、平和に暮らすババリアン人を虐殺させ、妹を焚刑に処すよう命じ、大衆の面前でリヴィウスと一対一の死闘を演じる。唐突感が半端ではない。コンモドゥスという人物を理解できるように描いてもらいたい。 対するリヴィウス軍指揮官だが、辺境国に対して融和政策をし、恒久平和を実現しようする先進的人物だ。しかし、その主張を元老院にするは部下まかせで、多くの戦闘場面に登場するので、その人となりと主張と行動が一致せず、ちぐはぐな印象だ。平和を主張させるなら平和的人物として描くべきだろう。少なくとも善人顔の俳優が演じてほしい。 巨大舞台装置や大群衆場面も心動かされるものがない。“見せ方”が尋常一様で、画面が迫って来ないのだ。戦闘場面も群集が騒ぐ場面も無難な仕上がりで、そこそこの迫力が出ているが、度肝を抜く演出はない。どちらも広がりがなく、閉塞感漂う印象を受ける。鑑賞後、時間を無駄にしたとも思わないが、佳い映画を観たという実感も湧かない。どの人物にも感情移入できないのはお墨付きだ。
[DVD(字幕)] 5点(2014-09-01 05:29:29)
37.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 
史劇の最高峰に位置する伝説の作品。ローマによるユダヤ属州の圧政、かつての親友への怨讐、ガレー船による戦闘、四頭馬車競争、癩病、キリストの奇跡と内容は盛りだくさんだ。変容の物語としても読める。 ベンハーは、友人メッサラの姦計により冤罪をこうむり、ユダヤ豪族からガレー船の漕ぎ手という奴隷身分に堕とされるが、臥薪嘗胆の末、海戦中に助けた司令官の養子に迎えられてアリエス二世となり、宿願の帰郷を果たす。ベンハーは、最初はメッサラとの再会を喜び旧交を温めることを望んでいたが、密告を要求されたため断交する。奴隷になってからはメッサラへの復讐心に燃えるが、メッサラの死後は圧政の根源であるローマ帝国への反抗へと怒りの矛先が変わる。しかし、磔上のイエス・キリストの「敵を許す」という箴言に触れ、心から怒りの感情が消えるのを覚える。魂の浄化である。変容は他にもある。ベンハーはメッサラに復讐するつもり、つまり殺害する気でいたが、それが四頭立て馬車競争にすり替わる。メッサラが事故死したので復讐を果たした結果となった。物語は途中までベンハーの復讐譚だが、終幕はキリスト受難劇へと変貌する。これらの劇的な展開が感動を呼ぶ最大の要因だろう。映画では触れられていないが、二人が短気なのが災いの元だ。密告をめぐる諍い程度で絶交することはない。かつての親友でもあるし、お互いに立場上の利用価値も高いのだから。瓦落下事件のとき、メッサラはベンハーに恩を売って友情を回復させることもできたし、母妹の助命を条件に密告させる方法もあった。短慮が身を滅ぼす結果となった。気になる点がある。ベンハーが奴隷になってもエスターからもらった指輪をはめている。エスターの父親が急に登場しなくなる。メッサラが、ベンハーが自分の母妹は死んだものと思っていることを知っている。キリストに帰依してないのに母娘の癩病が瞬時に治る。尚原作では、メッサラはベンハーの財産を奪い、エスターの父親に現金の在処を尋問して下半身不随にしてしまう。馬車競争の時アラブの族長が賭けを申し出たのは、財産を奪い返す意味があった。メッサラは馬車競争事故を生き延び、ベンハーに刺客を送る執念を見せる。ベンハーと、東方三博士のバルタザールの娘との間に艶聞がある。1925年映画ではキリストは死んだ赤ん坊を蘇生させる。
[DVD(字幕)] 9点(2014-08-30 14:55:18)
38.  GODZILLA ゴジラ(2014) 《ネタバレ》 
ハリウッドが本気で作った「ゴジラ(G)」に拍手。真実に迫る巨大怪獣の姿に恐怖を覚え、怪獣対決の醍醐味も十分に堪能できた。但し顔の造形は“大熊”似で、敵怪獣ムートー(M)も昆虫系生物で「怪獣美」に欠ける。暗い場面の連続には辟易し、「エイリアン2」そっくりの場面には驚いた。フィリピンの地底、化石ゴジラの胎内で孵化したMは海に入り、日本の原発に地中から侵入して、施設を崩壊させ、卵を産み付けた。15年後、孵化したオスMは飛翔、ハワイに着陸。米軍が攻撃するも、オスMが電磁パルスを発生させ、電子機器を無力化させてしまう。Mの宿敵のGもハワイに到来。両者は激突するもオスMは米国西海岸へ飛翔。ネバダ州の核廃棄物処分場にはフィリピンで発見された繭が保管されていたが、それが羽化し、メスMが誕生。二匹のMはサンフランシスコで合流、追ってきたGもそこに上陸。両者対決し、当然Gが勝つ。人間は仕掛けた水爆を解除するのに大童。水爆は海上で爆発。人間劇は家族愛が主題。妻が死んだ原発事故の原因を突き止めるジョーの執念は、本人死亡であっけなく終幕、後に続かない。ジョーの息子フォードは他人の子供を保護したりするものの、自分の子供とは疎遠で、妻とも疎遠。家族の気持ちが空回り状態だ。ジョーの執念の調査が怪獣退治に結びつき、フォードも父の執念に動かされて軍隊に復帰するという展開なら物語に繋がりができた。又、フォードの息子は母親と行動を共にし、Mに襲われたところをジョーかGに助けられる、あるいはジョーの犠牲で助かる、というようにすれば物語が深まった。ゴジラ第一作のような自己犠牲が見られないところが残念である。 GもMも放射能物質をエネルギーにしているが、Gは核施設を襲わない。核施設を襲い繁殖力の高いMは人類の敵で、各施設を襲わず繁殖しないGは人類の味方という構図だ。ところで最初に羽化したMは行方不明のままだ。日本も米国もMの繭を15年間も研究して、成果はほどんど無し。モナーク研究所は60年もGを追及して、成果はゼロ。このあたりも脚本の反省点だ。オスMが電磁パルスで電子機器を無力化する設定は面白いが、それが後半無くなるのは不自然だ。機能すれば核ミサイルの時限装置も無力する筈だ。フォードの日本の家にあった「○ニラ対ハブラ 火炎ビーム」という怪獣映画ポスターが気になった。教室に貼ってあった「蛾の一生」の絵といい、遊び心がある。
[映画館(字幕)] 8点(2014-08-28 05:29:58)
39.  アナと雪の女王 《ネタバレ》 
CGと曲の緻密さに比べて脚本の粗放さが目立つ。クリストフは子供の頃にトロールに相談をする王・王女・エルサ・アナを目撃しているが、その設定が活かされていない。クリストフがアナに一目惚れするというような展開なら面白くなった。トロールの説明がない。生態や能力、王とトロールの関係、何故クリストフはトロールに気に入られたのか等、疑問が多い。最大の疑問はエルサの魔法だ。どうして彼女だけ魔法が使えるのか、どうして魔法を自分で管理できないか、どうして冬の魔法だけ使えるのか。能力は両親から譲り受けたのだろうが、両親はあっさり遭難死してしまう。説明不足で世界観が確立されない。魔法で山が冬になったとき、クリストフが何故真っ先にトロールに相談しないのかというのも疑問だ。トロールは途中から登場しなくなるのも不満だ。彼等は魔法についてもっと知っているべきで、物語により深く関わってよい存在だ。アナとクリストフが魔女の宮殿に行きつくまでの冒険があっさりすぎる。。障害は狼の襲来程度。二人が相手を深く知り、真の愛に目覚める契機となる場面で、時間をかけてじっくり描いてほしかった。エルサが生物まで創り出せるのは問題だ。まるで神扱いで、生命の軽視につながる。雪だるまのオラフは、アナに真の愛情を示すような形で暖炉の炎に溶けて退場させた方がすっきりしただろう。生命を自由に創出できるのなら、ロボットのように、雪だるまが人間の代わりに働く奇妙な社会を想像してしまう。「魔法はいつかは解ける」という原則内の物語でないと安心できない。王子ハンスのまさかの豹変は意表を突いたが、過剰演出だ。ここで興味が一気に萎えた。観客に「まるで別人」と思わせるようでは脚本に問題がある。もっとうまいやり方はある。またハンスが、エルサを殺せば夏に戻ると短絡したのも理解に苦しむ。アナは自分が助かるのか、エルサを助けるのかの究極の判断を迫られたとき、エルサを助ける方を選び、その事が彼女を真の愛に目覚させ、心臓にかかった氷の魔法を除くことにつながった。しかし実際問題、アナとエルサは十数年も交流が途絶えていて、そのような環境で真の姉妹愛が育まれるかか疑問が残る。エルサが魔法を自由に使えるようになったのは真実の愛を知ったからだろうか?いずれにせよ、この映画だけでエルサを理解することは不可能だ。髪の毛一本一本を描け分けるCGほどの緻密な脚本であったなら。
[映画館(字幕)] 7点(2014-07-17 18:08:18)
40.  コルドロン 《ネタバレ》 
大昔、冷酷で邪悪な王が捕まり、生きたまま溶けた鉄の中に投げ込まれると、王の悪霊は固まってブラック・コンドロン(黒い大釜)となった。邪悪な人間が大釜を所有すれば不死身の軍隊を自分のものとし世界の支配者になれる。ホーンドキングは長年それを探し求めていた。キングの野望を防ぐには大釜を破壊しなけれならない。 少年ターランの飼っている子豚には予知能力があった。それを知ったキングは子豚をさらう。ターランは城に乗り込み、何とか子豚を逃がすが、自分は捕まってしまう。ターランは偶然勇士の剣を得て、知り合いになった森の住人ガーギ、エロウィー姫、老楽士、妖精らの仲間と力を合せて脱走に成功する。大釜は三人の魔女が持っていた。ターロンは勇士の剣と交換する。 しかし大釜を破壊するのは不可能で、邪悪な力を封印するには命あるものが自らの意志で大釜の中に飛び込まなければならず、飛び込んだ者は二度と外に出ることはできないことを知る。誰も飛び込む勇気のないまま、彼等はキングに捕まってしまう。 キングは大釜から死者の軍隊を呼び出した。それを見たターランは大釜に飛び込もうとするが、友達を殺させないと、ガーギが飛び込む。すると軍隊は倒れ、キングは大釜に飲み込まれた。老楽士は巧みに三人の魔女と交渉して大釜からガーギを戻させた。 各人の個性と物語とが上手くかみあっていない。臆病で友達のいなかったガーギが、友達を得、友達の代わりに犠牲となって大釜に飛び込むのは秀逸で、唯一感動できる場面だ。 騎士に憧れるターロンは勇士の剣を得るが、大した活躍もせず、剣も失ってしまう。光を操る姫はターロンとの恋愛がある程度で影が薄い。老楽士は最後の魔女との交渉のときに力を発揮するだけ。子豚は途中でいなくなる。妖精はいないのに等しい。キングはあっけなく敗北する。 設定は遼遠で、登場人物も豊か、いくらでも面白くなりそうなのに凡庸な出来栄えでおわっている。主人公の冒険も成長もほとんどなく、脇役にも魅力がない。光の玉やハープ等の品目を活かしていない。最大の問題は、死んだ者を生き返らせるということを安直に行っていること。これは禁じ手だろう。子供向けだからいいだろうという安易な考えは改めた方がよい。本当に面白いものは、大人が観ても面白いものだ。
[地上波(吹替)] 5点(2014-06-05 20:47:15)
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