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61.  アイアンマン2 《ネタバレ》 
前作では、巨大軍事企業の社長かつ天才科学技術者トニー・スタークが、テロ組織に拉致され間一髪のところで生還した経験から、自分の進むべき道を問い直し、会社の軍事部門を廃止し、戦闘スーツを身に着け世界を守るヒーローとしての活躍を始めると意思表示をするところで終る。 本編では、アイアンマンのおかげで各地の紛争は鎮静化され、平和が維持されているという場面から始まる。 ヒーローの活躍場面が省略されているわけで、物足りない。 代わりに、その余りの威力を危惧した国から、軍事兵器として接収されそうになるという、ヒーローの活躍に水を差すような展開になっている。 このヒーロー、飄々としているのは良いが、おちゃらけが過ぎるのが難点だ。 前回では拉致された際に受傷し、生命の危機に瀕するという真摯な場面があった。 だから、他の場面で見せるおちゃらけとバランスが取れていた。 今回は徹頭徹尾、おちゃらけ路線。これでは、危機が危機におもえなくなってくる。よって感情移入もない。 酔って踊りながら、群集の面前で火器を使用しての西瓜割りなどの危険行為も目に余る。 第二のアイアンマンも、トニー監視役の友人が、暴れるアイアンマンを止めようとして着用するというさえない登場の仕方をする。いわば仲間割れで、集中心が削がれる。 恋愛パートだが、毎度痴話喧嘩レベルの言い争いの繰り返しで新鮮味がない。秘書を社長にしたのはよいが、軍事会社が軍事をやめてなにをしているのか? 父親が遺したフィルムをヒントに新動力源を発見する挿話はよかった。冷めがちだった父親との絆を深め、人間らしい感情を取り戻した瞬間だ。 さて、ライバルだが、トニーの父親の元同僚の息子イワンが、父の研究を奪ったトニー父子に恨みを抱いているという設定。 独自開発した戦闘スーツでトニーを急襲するものの撃退される。しかしトニーのライバル企業のハマーに救出され、新兵器の開発に協力する。最終的にイワンはハマーを裏切り、新兵器軍団を伴ってアイアンマンを襲うという、どうにも複雑な展開。善対悪の戦いになっていない。この外にシールドやブラック・ウィドウなどが登場し、流れが途切れがち。これでは、いくら戦闘場面が魅力的であっても爽快感は得られない。スーツケースからの流麗な変身場面のみ印象に残っている。
[DVD(字幕)] 6点(2013-08-01 13:05:43)
62.  海底二万哩 《ネタバレ》 
子供向け映画でありながら、どの場面も手を抜かず、丁寧に仕上げられており、好感がもてる。 本物とみまがう潜水艦、迫力ある軍艦への突撃攻撃、巨大イカとの死闘、エキストラの数など、大作の雰囲気が漂っている。 しかし残念だが、特撮ものは時間の経過と共に色あせる運命にあり、本作も例外ではない。 今でも十分に観賞に耐えれるが、取り立てて見事な出来栄えとはいえない。 原作の書かれた1870年は、動力といえば蒸気機関しかなく、電球も発明されてなかった時代だったことを勘案すると、その豊かな想像力には感心させられる。原作は悲観的だが、本作は原作以上に悲観的だ。超凡な頭脳を持つ科学者のネモ艦長は、新エネルギーをはじめ、人類を幸福に導く数々の傑出した発明をものにしながら、それを世界に秘匿している。彼は過去に、戦争のための強制労働をさせられ、家族を殺されたという心的外傷により、人間を信じることができなくなっている。自分の発明がやがて戦争に悪用されることを極度に恐れている。それで信条を同じくする同士たちと潜水艦に乗り込み、七つの海を冒険し、海の神秘を体験しながら、自給自足の生活を送っている。いわば”人類の孤児”だ。 彼は戦争を憎むあまり、軍艦や火薬を積載した輸送船を見つけると攻撃を仕掛け、沈没させてしまう。戦争という暴力を憎みながら、暴力を使ってしまうという矛盾に満ちた人物である。 ネモと好対照なのがアロナクス教授で、人類の未来に対して楽観的だ。二人はお互いに認め合いながらも、意見は平行線で最後まで合意に達することができない。最終的にネモは秘密を死守するため、基地を爆破し、潜水艦もろとも海の藻屑と消える。 絵空事のようだが、考えてみれば、今日にでも何者かが将来人類を滅亡に導くような大発明、大発見をするかもしれない。原発事故で分ったように、人類に有益な発明に見えても、使い方を誤ったり、事故が起れば、たちまち人間に牙を剥く。 そういう意味で、誰もネモを笑うことができない。 もし水爆より数段も威力のある非核爆弾の原理を発明したとしたら、誰でも一瞬、発表をためらうのではないだろうか。 ウェルズが提示した”戦争をやめられない人類の愚かさ””科学の進歩に対する不安と恐怖”は、今でも新しい。 演出面でネッドや助手が空回りしている印象があった。ネッドは笑いがとれないし、助手は不気味さが漂う。ミスキャストである。
[地上波(吹替)] 6点(2013-07-21 23:24:09)
63.  モハメド・アリ かけがえのない日々 《ネタバレ》 
モハメド・アリは、ベトナム戦争への徴兵に対して良心的兵役拒否を貫き、ヘビー級王座を剥奪された。さらにボクサー・ライセンスも取り上げられ、復帰まで3年7か月間の空白を余儀なくされた。復帰後、王者ジョー・フレージャーに挑戦するが、判定負けを喫する。それから3年余の紆余曲折を経て、ようやく新王者ジョージ・フォアマンとのタイトル・マッチが実現する。本作品は、後に「キンシャサの奇跡」として有名になる、その試合を取材したドキュメンタリー映画だ。 アリは巨大なものと戦っている。 当時史上最強、ゾウをも倒すといわれた鉄腕ファイター、ジョージ・フォアマンが対戦相手だが、戦う相手はそれだけではない。 先ず兵役拒否したことへの社会的バッシングがあった。 マスコミや評論家はおおむね、盛りを過ぎた元チャンピオン、アリに勝ち目はないと予想していた。 そして黒人差別問題。本名カシアス・クレイを奴隷の名として拒絶し、イスラム教に改宗し、モハメド・アリと改名したのも、根本には黒人差別が存在したからだ。 アリは、これらの敵に対して独特の戦法を講じた。 マスコミに対して、わざと大口を叩き、試合への関心を煽り、報道を加熱させた。フォアマンに対しては「お前は弱い」「ミイラのように動きが鈍い」と挑発し、精神戦を展開。差別社会に対しては「黒人は美しい」とアピール。 試合の場所がアフリカと決まると、「まるで故郷に帰ってきた気分だ」と、アフリカのファンを味方に付ける。 大口を叩くことによって世界の関心を集め、自分の商品価値を高め、同時に自分を追い詰め、豊富な練習量で武装する。 実にクレバーで、魅力的な男だ。貧しい環境で育ったこと、人種差別を受けてきたこと、懲役拒否により社会から手ひどい罰を受けたこと、すべてを味方にしている。二枚目的な面貌もあいまって、大人気を博するのも当然だ。 この試合で勝利したことにより伝説は作られ、アリはアメリカン・アイコンとなった。 今後、このような神がかったようなカリスマ性をもつボクサー、いやスポーツ選手は出ないのではないか。
[DVD(字幕)] 7点(2013-07-19 21:21:48)
64.  タイタンの逆襲(2012) 《ネタバレ》 
ギリシア神話の登場人物を総動員させて、神や半神やクリーチャーの迫力ある戦闘場面を魅せるファンタジー映画。神々の戦いが主軸となる。タイタン(巨神)族のクロノスは父により冥界に閉じ込められるが、反抗して王位を奪う。姉と結ばれ、ハデス、ポセイドン、ゼウスらの子種を得るが、「子供に王位を奪われる」という予言を恐れ、子供を飲み込む。ゼウスは母の計らいで生き延び、ハデス、ポセイドンらはクロノスの兄弟ガイアの策略で腹から吐き出される。兄弟は連合して父とに戦い、勝利して父を冥界に幽閉する。戦後ゼウスとハデスは仲違いし、ハデスは冥界に下る。以上が前段階。時は移る。人間の神への祈りが減り、神の力は衰え、冥界の壁が崩れ始める。壁が崩壊すれば、クロノスが地上を跋扈し。この世は闇に閉ざされる。危機感を募らせたゼウスは神々と半神の力を結集して、冥界の壁を建て直そうとする。だが、ゼウスを憎むハデスとゼウスの子アレスが裏切り、ゼウスは冥府に監禁され、その力をクロノスに吸われる。かろうじて難を逃れたポセイドンだったが、ゼウスの子ペルセウスに事実を告げるとやがて命が尽きた。ペルセウスとポセイドンの子アゲノール、それと何故か女王戦士になっているアンドロメダがゼウス救出に向かう。色々と展開があり、ハデスは改心し、アレスはペルセウスに刺殺され、クロノスは地上に放たれる。神々と人間の連合軍対クロノスの戦いが最終決戦。いわば神々の骨肉の争いに人間が巻き込まれる形だ。親子の情愛を絡ませることで物語に深みを与えようとしているが、成功しているとはいえない。ときに物語の進行を妨げている。アレスがどうして、あれほど父を憎むのが伝わらない。ペルセウスも当初は父に対して冷淡すぎる。ペルセウスの子はただ突っ立っているだけの存在。クロノスの心情は計りしれない。ただ「親、子、愛」という言葉が空回りしている。見所である戦闘場面だが、神々が弱すぎるのが問題。矮小化されて人間と区別がつかない。キメラ、サイクロプスの方が数段迫力があった。神々の戦いなのだがら、巨大化し、空を舞い、雷雲を呼び、雷鳴を響かせ、海を逆巻かせ、山を動かしての一大スペクタクルにすべきではなかったか。巨大なだけで溶岩を投げるだけのクロノスと、美女でないアンドロメダにも失望した。CG,VFXは一流だけに甚だ残念である。B級怪獣映画と割り切れば楽しめる。
[DVD(字幕)] 7点(2013-06-22 15:41:05)(良:1票)
65.  パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々 《ネタバレ》 
ギリシア神話を下敷きにして、現代のニューヨークを舞台に、盗まれたゼウスの最強兵器「稲妻」をめぐっての冒険譚。冒頭の巨大ポセイドン出現場面では期待したが、以降の威厳の感じられない神々には幻滅させられた。総じてファンタジー色が少ない。高校生とファンタジーでは親和性が薄い。原作の12歳の方が適切だ。活躍する舞台は地上ではなく、天上などの異次元にした方がよい。そうすれば園芸店にメデューサがいて客を石に変えているが人間に露見しない、という矛盾がなくなる。ゼウスがポセイドンを呼び付けるが、そこは高層ビルで、共に人間の姿。摩天楼をオリンポス山になぞらえているのはわかるが、神同士なら天上で会えばよい。ファンタジーはイメージが大切だ。カインの渡し守もハデスもその妻も人間の姿。手抜きであろう。ゼウスはこれといった理由もなく、ポセイドンの息子パーシー(P)が犯人と決めつける。そしてポセイドンに「期日までに持ってこなければ戦争だ」と脅す。それでいて息子との面会は許さない。酷い神だ。Pは継父の酷い悪臭で神々から隠されているという。酷い設定だ。でも何故隠すのか?「Pが稲妻を盗んだ」の噂が広まり、「稲妻」を奪いに魔物が現れる。魔物に居場所が分るのに、ゼウスには分らない?母が冥界の支配者ハデスにさらわれ、ハデスは「稲妻」と母の交換を条件とする。Pは仲間と母の救助に向うが、先ず冥界からの帰還に必要な「真珠」を見つける必要がある。ここからペルセウス神話をなぞっての冒険が始まる。宝探し、怪物退治、ロード・ムービー、旅の仲間等の要素で、最大の見せどころ。が、残念ながら盛り上がらない。緊迫感がないのだ。「ジュラシック・パーク」の恐竜の迫力と比較すれば一目瞭然。前段のキャンプでの訓練もチャンバラにしか見えなかった。冥界で、ハデスを説得して母を返してもらうという最大の難問が立ちはだかるが、労せず解決してしまう。カタルシスは得られない。帰還してルークと一騎打ち。彼が「稲妻」を盗んだ真犯人で、楯に隠してPに与え、冥界でハデスに渡るように企んだのだった。「稲妻」が実践で使用されるが、驚くほどの威力はない。羊頭狗肉だ。夜の場面が多く、見にくい。何故魔物の近くに真珠があるのかは謎だ。真珠を守っている様子はなく、ハデスとも不連絡。真珠が足ずに一人冥界に残るが、後にPがゼウスに頼んで戻してもらう。無駄な挿話はやめよう。
[DVD(字幕)] 6点(2013-06-20 22:04:03)
66.  バイオハザードIV アフターライフ 《ネタバレ》 
第一、冒頭の東京での戦闘場面。ヒロインのアリスとそのクローン達の襲撃により、悪の枢軸アンブレラ社の地下要塞は損壊を受け、機能不全に追い込まれる。非情なる議長ウェスカーは部下らを見棄て、ただ一人飛行機で脱出し、特殊爆弾による自爆装置を起動させ、部下もろとも地下要塞を爆発させる。だがアリスはいつの間にか飛行機に忍び込んでいた。アリスが銃を突きつけると、ウェスカーは振り向きざま、首に特殊遺伝子無効化ワクチンを注射する。飛行機が富士山に激突して爆発炎上するがアリスは奇跡的に助かる。 第二、アリスとウェスカーの最終対決場面。死闘の果て、アリスがウェスカーの口に銃弾を撃ち込み、勝利を収める。クリスとクレア兄妹がとどめを弾丸を撃ち込む。それでもウェスカーは復活し、またもや飛行機で脱出する。機上、アリスらの船の自爆装置を起動させるが爆弾は機内にあり、爆発する。アリスが予想して潜ませておいたのだ。上記2点に映画の制作方針が集約されている。安易な設定、強引な展開、御都合主義等の誹りはあえて甘受し、美女がゾンビや敵役をひたすら倒すアクション・シーンを魅力的に描くことに専念したのだ。もともとゾンビを倒すテレビゲームの映画化なので、堅いことは言いっこなしという暗黙の了解がある。ビジュアル重視なのでセクシー美女が多数登場し、ここぞという場面ではスーパー・スローモーションでじっくり鑑賞となる。ヒロインと敵役が超人的な能力を持つのに対し、ゾンビ共は弱弱しく、あっけなくなぎ倒される。テンポを速めるため、非主要人物の描写は記号的でしかなく、次々に消えてゆく。話題作りのためプリズン・ブレイクのパロディも取り入れる。ホラーや人間ドラマ要素を抑え、3Dアクションを気楽に楽しむ娯楽作品に徹したところに成功の要因があるだろう。印象的なアクション場面が2つ。飛行機が山に激突した瞬間にストップモーションとなり、そのままカメラが奥へパンする場面と、アリスが大勢のゾンビ共を引連れて屋上から飛び降り、縄伝いに垂直降下する場面。その適確な映像処理を讃えたい。難点は、スローモーション過多なこと。飽きさせては駄目。素早いカッティングとの併用で緩急をつけるのが肝要。大斧の巨大処刑人はギャグにしか見えず。「噴出する水」の演出のため、水道管の立並ぶ部屋が出てくるが、実際にあんな部屋があるか?必殺兵器の25セント硬貨弾は威力があるか?
[DVD(吹替)] 6点(2013-06-19 11:35:34)(良:1票)
67.  老人と海(1958) 《ネタバレ》 
84日の不漁の後、漁に出た老人が数日間かけて獲得した大魚と、それを喪失する顛末を描いて、生きるとは何かを問いかける。戦争を描いた文豪らしい骨太な主題だ。 老人にとって巨大マカジキはどういう存在だろうか。魚を獲ることは、自分を生かすことだが、同時に自分をすり減らすことでもある。魚との戦いには勝たなければいけないが、魚が憎くてそうしているのではない。魚には深い同情を示す。だから巨大マカジキを義兄弟と呼んだ。老人と魚とで一種の共依存関係が成立しており、勝利のあとに得られるのは幸福感と虚無感だろう。人間は他の生物の命を奪い、自分を削って生きてゆくしかないという自然の摂理。それを受け入れるしかないのだ。獲物が鮫に食われた時、老人は我が身が食われたような苦痛を味わったに違いない。満身創痍の死闘の果てに得た獲物が、必死の抵抗にも関わらず、あらかた鮫に食われてしまう。敗北だろうか、ただ運が悪かったで済むことか。そうではないだろう。老人は魚との格闘の中で、生きる悦びの神秘的な迸りを体験した。神の恩寵、祝福ともいうべきものだ。自分の中に眠っていた若さを数刻ながらも取り戻したのだ。老人の勝利といってもよい。老人が時折夢に見るライオンは自身の若さの象徴だ。家に戻って見た夢のライオンはさぞ光り輝いていたに違いない。 旅行者は皮肉にもマカジキの骨をサメの骨と勘違いする。自然と対峙せずに生活する文明社会の人間にとってマカジキとサメの違いはない。だが文明生活からは、真の生きる悦びは得ることはできない。 もう一つの題目は老人と少年の深い絆。老人はマカジキとの死闘の最中、あまりの疲労に思う、あの子がいてくれれば。少年は老人の痛んだ手を見て涙した。コーヒーを取りに戻るときも泣き続けた。それほど二人は一心同体だった。少年にとって老人はあこがれ、尊敬の対象であり、老人にとって少年は救い、慰みそのものだ。老人はかつて少年だったし、少年はいつか老人になる。両者は裏表の関係だ。共に貧しく、命がけで漁に出る海の男だからこそ、世代を越えた絆で結ばれるのだ。二人は貧しいが、決して不幸ではない。相手を思いやる、豊かで暖かな心に包まれているのだから。少年は言う、「今度は連れてって」。希望と未来がそこにある。海はいつでも新しい。少年にとっても、老人にとっても。
[DVD(字幕)] 8点(2013-06-14 00:41:59)(良:1票)
68.  ロレンツォのオイル/命の詩 《ネタバレ》 
一つの命を支えるのにどれだけの犠牲と献身と努力が必要であることか。命の重さを噛みしめる映画だ。内容は重いが希望もある。子供が難病にかかったらどうするかが主題。普通の親なら不運を歎き悲しみ、周章狼狽し、治療は医者任せにするだろう。だがこの映画の両親は違った。医者が治せないのなら自分達で研究し、命を救おうと決意する。副腎白質ジストロフィー(ALD)は、X染色体の異常で、体内の脂肪酸の分解酵素が欠損している為に、脳に炭素数24と26の長鎖脂肪酸が蓄積し、これが白質のミエリン(髄鞘)を溶解してしまう病気だ。発症すると、徐々に脳の機能が低下し、体の機能が衰え、2年程で死を迎えるという。最初に長鎖脂肪酸を含む食べ物を制限する食餌療法を試みるが、検査値は却って悪化した。原因を調べると、食事から長鎖脂肪酸が得られないと、生合成による長鎖脂肪酸が増産されてしまうということが判明した。そこで一計を案じ、体に無害な長鎖脂肪酸を摂取することで、体に「今は十分な長鎖脂肪酸がある」と思い込ませ、長期脂肪酸の生合成を阻止するという案を思いつく。試行錯誤の結果、炭素数18(オイレン酸)と22(エルカ酸)の長鎖脂肪酸の4対1の混合液を摂取することで血中長鎖脂肪酸値が正常値に戻ることを突き止めた。この混合液がロレンツォのオイルだ。次に破壊されたミエリンの再生研究に取りかかるが、これは現在進行中ということで映画は終る。事実を元にしたドキュメンタリー風で、時系列に沿って事象が淡々と描かれるが、特筆すべきは、心理描写の巧みさと深みだ。演技も演出も秀逸で、海よりも深い子を思う親の気持ちは勿論、自己犠牲の葛藤、パートナーを思いやる気持ち、患者の親睦会や医者との軋轢、看護婦や親族との衝突、安楽死の示唆、絶望と希望など、両親の精神は混乱を極め、愛情と狂気がないまぜになって迫ってくる。両親の奮闘以外にも、善意からエルカ酸の抽出を買って出たイギリスの老科学者、自ら治験を買って出た妻の妹、同じ病気の子を持ち夫婦に理解を示す近所の主婦、そしてアフリカから看病にやってきてくれた幼馴染の青年など、周囲の温かい心にも支えられた。ロレンツォ君も苦痛に耐え、必死で病気と戦った。これらが感動を産むのだ。オイルは万能薬ではないが、多くの患者を助けたのは事実で、医療史としても画期的な出来事だったと思う。
[DVD(字幕)] 9点(2013-06-13 14:20:05)(良:1票)
69.  大陸横断超特急 《ネタバレ》 
今までに観たことのないタイプの誠に稀有な映画。ミックス・ジャンルの傑作として特筆すべき作品。脚本の狙いは明らか。鉄道旅行、恋愛、ミステリー、コメディ、アクション、暴走パニックと、多種のジャンルを融合して、今までにない映画を作ろうという野心が見てとれる。音楽に巨匠ヘンリー・マンシーニを起用し、クライマックスの列車がシカゴ駅に激突する場面で、実物大のセットを使用していることからも映画作りに対するスタッフの熱意と意気込みは十分伝わる。 長距離列車の乗客が偶然死体を目撃したことで、国際的絵画偽造団の陰謀に巻き込まれるという筋書き。 列車紀行情緒から始まり、恋愛、殺人、ミステリー、コメディ、アクション、パニックと様々な要素が加わってくるのは見物である。 基本的に列車内ではシリアス、線路外ではコメディ路線となる。 旅行中の電車の窓に突如死体がぶら下がり、死んだと思われた教授が現れるミステリーな展開はヒッチコックを連想させる。 三度も列車から落っこちては舞い戻るという反復のおかしさは、キートンを連想させる。 美女?との恋愛を絡めたミステリーとアクションは007シリーズを連想させる。かといってパロディではなく、自家薬籠中の物にしているところが手柄だ。 惜しむらくは主人公二人が美男美女でないところ。全体を貫く大きなテーマである恋愛要素が弱くなってしまっているからだ。例えば、アラン・ドロンとイザベル・アジャーニーが主演していたとしたらどうだろうか。映画史に残る怪作になっていたに違いない。 脇役は文句なく素晴らしい。自家飛行機で羊の群れを追い回す中年農婦のぶっ飛びぶり、西部劇マニアの田舎保安官のまぬけぶり、相棒となる車泥棒の黒人の良き人ぶり、コメディ・パートが頑張っている。黒人乗客係やヒッピーたちもいい味を出している。ヒロインは最初こそ積極的だが、その後はずっと受け身で大した活躍もしないのが気になった。 一方、ミステリー・パートはアラが目立つ。陰謀の謎が明らかになり、悪党共の正体が割れるのが早すぎる。もっとサスペンスを持たせるべきだ。偽教授を用意する必要性は感じられない。仮に偽教授が講演をしてもすぐにばれてしまうだろう。列車内で連邦捜査官が殺されているのに捜査されないのが不審だし、肝腎の教授の死体の行方も不明のままだ。
[DVD(字幕)] 8点(2013-06-13 01:22:45)
70.  アルゴノーツ 伝説の冒険者たち(TVM) 《ネタバレ》 
ギリシア神話を基底とした旧作「アルゴ探検隊の大冒険」をリメイクしたTVミニシリーズを再編集したもの。ビデオ版は120分、DVD版は180分「完全版」。ビデオ版にて鑑賞。TV版ながらVFXの質は高めで、テンポもよく、有名俳優が目白押しなので観て損はない。 旧作では、人間は神々の恣意によって踊らされる存在であることが強調されていたが、本作では神々の登場は最小限に抑えられていて、人間による冒険譚として落ち着いて観れる。もっとも半神ヘラクレスが同道して大活躍するが、実に人間臭く描かれているので感興を削がれることはない。ただ短縮されているので、神が突如登場するなどの混乱はみられる。 神話では王道である貴種流離譚。高貴な血筋を引く者が、何らかの理由で両親や国から遠く離れた場所で暮らしていたが、やがて冒険や旅を通じて、本来の自分の地位、姿を取り戻すというもの。 本作品では弟の反乱により王が殺され、王の子のジェイソンは親衛隊長によって辛うじて城を脱出し、半獣人の国に住んでいたが、あるとき記憶を取り戻し、冒険の旅に出る。旅の目的は、何でも夢が叶うという黄金の羊毛を獲得すること。旅の仲間は、ヘラクレス、泥棒、驚異的な視力を持つ青年、元親衛隊長、野獣をも宥める音楽を奏でる楽士、ジェイソンを慕う幼馴染の女など多彩。クリーチャーは怪鳥ハービー、火を吐く巨牛、通る船を沈める島、骸骨剣士、羊毛を守るドラゴンなど、一部旧作と違っている。黄金の羊毛を守護する女魔術師がいるのだが、ジェイソンに恋をして味方につき、最後には結婚するところが目新しい。 ところで人間の夢を何でも叶えるという究極の宝であるはずの黄金の羊毛だが、最後になってどんでん返しがあった。ジェイソンが唐突に、「毛皮に魔力はない。みんながあると思い込んでいただけだ。そんなものに頼らず、運命は自分で切り拓け」などと言い出すのだ。肩透かしをくらうこと請け合いである。伏線が全くないのだから。無事王位に着き、結婚して、めでたし、めでたしの大団円で物語は終るが、中途半端な印象はぬぐえない。あえて黄金の羊毛の能力をちゃらにするのなら、何らかの事情で能力が失われたとすべきだろう。
[ビデオ(字幕)] 6点(2013-06-12 02:21:33)
71.  タイタンの戦い(1981) 《ネタバレ》 
「タイタン」とは何か?タイタンはオリンポスの神以前に世界を支配していた巨人族。クラーケン(北欧神話)はギリシア神話には登場せず、アンドロメダを襲うのはケートス(鯨系の怪物)だが、ゼウスはクラーケンを使ってタイタンを倒し、後にクラーケンを地下に封印したという異説もあるらしい。本作品では、ゼウスが「最後のタイタン、クラーケンを解き放て」と言っているので、クラーケンはタイタン族という設定のようだ。◆アルゴス国王アクリシウスは、罪を犯し国を辱めたとして、娘ダナエとその赤子ペルセウスを箱に閉じ込め、海に流した。ペルセウスはゼウス神の神子だったため、怒ったゼウス神は、大海獣クラーケンを放ち、アルゴス王国を民もろとも滅亡させた。これが物語の発端だが、「罪を犯し国を辱め」だけでは何のことか不明だ。ギリシア神話では「王は彼の孫によって殺される」という神託を得たため、娘と孫を川に流した。◆女神テティスの子、カリボスはヨッパ国の王女アンドロメダの婚約者だったが、「月の泉」を動物狩りに利用して、ペガサスを絶滅寸前に追いやったことでゼウスの怒りを買い、世にも醜い姿に変えられた。悲嘆にくれたテティスはゼウスへの意趣返しとして、アンドロメダに結婚できない呪いをかけ、ペルセウスをヨッパに瞬間移動させ、この世の辛酸をなめさせるよう謀り事を巡らす。テティスは、アンドロメダの母が娘と女神の美を較べる発言を聞きとがめ、アンドロメダを30日後にクラーケンの貢物にさせると宣告。これが冒険の前段階で、非情に凝ったものだが、複雑すぎて把握しにくい。◆要衝は、ペルセウスとカリボス、双頭の犬ディオスキロス、蛇女メデューサ、スコーピオン、クラーケンとの一連の戦闘場面だが、今となっては古い撮影技術で、まどろっこしい。クリーチャーの美的センスは素晴らしいものがある。ペルセウスは剣、兜、楯を労せず得るが、何らかの献身、奮闘によって獲得する展開の方が望ましい。困難が大きい程、見所があるし、感情移入も容易になるからだ。主人公の俳優の容姿が凡庸で、神の子には見えないのも減点だ。途中から金属フクロウが一行に加わり、思いのほか大活躍するのが嬉しい。フクロウはペットのような存在で、物語に彩りを添え、癒しを与え、格好のアクセントになっている。映画を退屈せさずに観せるためには、こういったものが必要だと認識させられた。
[DVD(字幕)] 6点(2013-06-11 18:28:23)
72.  探偵物語(1951) 《ネタバレ》 
出だしの雰囲気は大変よい。大都会ニューヨークの警察署を舞台に、多種多様な犯罪者とそれを取り締まる刑事たちの折衝、談判、駆け引きを実録風に描く。社会派的内容、手堅い演技、的確なカメラワーク、リズミカルな展開で佳作を印象づける出だしだ。 主人公マクラウド刑事は、非情なほど正義感が強く、犯罪に対して一切の妥協を許さない。それは悪党であった父親に対する近親憎悪に由来する。犯罪者を見ると父を思い出し、父を思い出すと憎悪が湧くという構図だ。その性癖が犯罪者に向けられているうちは問題がないが、妻に向けられたとき、心の仮面に裂け目が生じ、暗黒面が顔を覗かせる。純粋と信じ切っていた妻に過去の男がおり、子供を堕胎させていたという衝撃。しかも堕ろしたのはマクラウドがいま最も熱情を注いで追及しているシュナイダー医師だった。マクラウドは妻を心の奥底では愛しながらも責め立てずにはいられない。容赦ない言葉での面罵と問責。妻は懸命に哀願し、許しを請うが、遂に「あなたは自分が正義と思っているが、一片の思いやりもない。残酷で嫉妬深いだけ。父親と同じよ」と決定的な言葉を残し去ってゆく。暗い家庭で育った人間は、明るい家庭を築くのを夢みる。その夢が潰えたとき、自殺願望が頭をよぎる。拳銃を持った強盗犯に素手で向かったマクラウドの行動には明らかに自殺願望がみえる。血まみれで倒れ、死の間際に神の許しを乞う姿が痛々しい。 ちょっと待て。タフな刑事による硬質な犯罪捜査劇を期待していたのに、クライマックスが男女の愁嘆場とはこれいかに。前半が終わって、鑑賞者の最大の関心事はシュナイダー医師の連続殺人事件のはず。これが放りっぱなしである。事件の詳細も不明のまま終了でえは、鑑賞後感はよくない。期待外れである。途中から、万引き女の行動が鼻に付くようになり、見る気が失せるのを覚えた。初犯で引っ張って来られたのなら、打ちひしがれているはずなのに、周囲を子細に観察し、刑事の気を引こうとしたり、窃盗男に付き添う女に慰めの言葉をかけたり、場違いな別れの挨拶をしたりと、ありえない行動ばかり。シリアル劇に夾雑物が迷い込んだようで、違和感を覚えた。強盗犯の最後の行動も唐突で、現実味に欠けるきらいがある。どこか白々しい幕引きにみえた。
[DVD(字幕)] 6点(2013-06-05 16:09:12)
73.  シャーロック・ホームズ/シャドウ ゲーム 《ネタバレ》 
笑いあり、アクションあり、スローモーション推理ありの新感覚ホームズ第二弾。製作者や役者がノリノリで作っている様子が窺えるとても勢いのある作品。19世紀の時代セットは素晴らしく、どこからCGかわからないほど上手に作り込んである。アクション映画の制作費に100億円以上かけれる環境が羨ましい。推理も”それなりに”というか、”かなり”あって、伏線が丁寧に回収されてゆく爽快さがある。推理ものとしても合格点。ただ展開のテンポが良いというか、早すぎて未消化のまま進んでゆく懸念がある。従いてゆくのがやっとで、娯楽映画特有の「心地好い緊張感の持続」は得られない。今回の相手は、最大の宿敵モリアーティで、世界大戦の阻止という犯罪史上最大級の目的がある。ホームズの恋人アドラーが殺されたり、革命家の男が妻子を人質に取られているので自殺を強要させられたりと、基本的にシリアス路線なのに、ホームズは終始おちゃらけているし、モリアーティも小物のワトソン夫婦を狙うなど意味不明な行動が多い。真面目一筋のハドソン夫人が料理用の蓋付皿に鼠を容れて持って来たりと、どうも目線が定まらない。ホームズの女装やマイクロフトの裸など、原作に対するリスペクトが無いのも気になるところ。ご都合主義で、ラインバッハの滝の上に和平会議の会場となる建物を造ってしまっているが、場所が危険すぎてありえない。推理で面白かったのは、植物の本と枯れた植物から、暗号を読み解くところ。驚いたのは、酸素吸入器の伏線。あんな小さいもので滝から脱出できるとは。迷彩服は安直すぎて不可。単にワトソンを驚かすためだけにしか使われていない。笑ったのは、両手両足を踏ん張って天井に潜んでいたコサックの暗殺者。隠れる必要などなく、普通に客を装って、占いの女を刺殺すればよいのに。最も疑問だったのは、和平会議での暗殺場面。政府高官を暗殺するのに、わざわざ政府高官の一人を気絶させ、あらかじめその顔に整形した人物が政府高官に成りすますような手の込んだことをする必要はないだろう。政府高官であれば誰を殺してもよいのだから。ただこれらの難点は、勢いがあるので、鑑賞中は気にならない。それだけ魅力に富んだ作品ということ。
[DVD(字幕)] 7点(2013-05-21 16:24:07)(良:1票)
74.  ガフールの伝説 《ネタバレ》 
ふくろうが高度な文明を営むという世界観だが、鉄器文化を持つことに大いに違和感があった。飛躍しすぎていないか。 鉄剣、鉄兜、鉄面蓋などで武装していては、人間の古代戦士と変わりなく、ふくろうである必然性がなくなる。各種ふくろうの特性を生かした肉体同士での戦闘場面が見たかった。 悪の王国の最終兵器である、砂嚢をしびれさせて動けなくするという「特殊金属」は説明不足の誹りを免れないだろう。何のことやらわからない。砂嚢は鳥類の胃の一部で、食物を砂で細かく砕くものであるので、「砂嚢を麻痺させる」とか「頭ではなく砂嚢で感じろ」といわれてもぴんとこない。心眼のようなものと察しはつくが、すっきりしない。極め付けは「月光麻痺」。月の光を真正面で受けると麻痺してマインド・コントロールされるという安直な設定にはげんなりさせられる。 物語は善悪の王国の対立を軸に、「ガフールの勇者たち」という伝説を盛り込んだ冒険戦記もので、これといった目新しい要素は見当たらない。何より不満なのは、前の戦争の契機と経緯、勇者伝説の詳細が語られないことだ。なので最終決戦場面でも感情移入できない。唯一意表を突くのが、兄がダークサイドに堕ちるという展開だが、どうしてそうなるのかが描写不足だ。弟とそりが合わないだけで、両親の愛情を得られており、心に傷を持つわけではない。妹を攫い、弟を殺そうとする心の闇が見えないので説得力がない。補助的登場人物の扱いもぞんさい。両親は途中で居なくなるし、弟と行動を共にする家政婦の蛇は大した活躍を見せない。旅の仲間はかろうじて合格点。ジルフィーは小さすぎて恋人役には不足。大臣ふくろうのみえみえの裏切りと、時を移さぬ退場は、急ぎ過ぎ。主人の成長物語としても不満が残る。危機はそこそこ描かれているが、幸運に助けられている面が大きい。兄殺しの葛藤が薄い。もっと子供らしい知恵を発揮しての活躍をみたかった。美点はCGの華麗さとアクションの優雅さに尽きる。感動することはないが、CG技術の発展には唸らされる。美術を見るような鑑賞法が最適だろう。
[DVD(吹替)] 7点(2013-05-13 14:19:23)(良:1票)
75.  ザ・グラディエーターII ローマ帝国への逆襲 《ネタバレ》 
冒頭カエサルが登場するので、時代は紀元前1世紀、初代ローマ皇帝誕生前の話。甲冑などもその時代のもの。と思っていたら、最後のナレーションは「この暴動は反乱となって帝国を滅亡へと導く。西暦410年聖なるローマは異民族に占領された」とあった。よくわかりませんね。わかるのは、円形闘技場が木造作りで小規模なのは映画の低予算の都合ということ。 ローマ軍に家族や恋人を殺され、奴隷となり、さらに剣闘士に仕立てられるという過酷な運命を疾走する女たちの話。異常なほどカット割りの多いアクションには辟易。スタント・アクションを誤魔化しているだけ。センスはあるので惜しい。女優陣の性的魅力のアピールに重きを置きすぎているきらいがある。女優陣の演技不足とおざなりの筋立で、彼女たちの悲しみ・苦悩は伝わらない。美点はある。まず音楽は一級品だ。脚本も凝っている部分がある。悪役の総督の苦悶が描かれている。辺境の属州に左遷させさられた嗟嘆が、彼を狂気へと駆り立てたのだ。元剣闘士の男も十分に描かれている。非常に個性があるのと恋愛の意外性で、作品に奥深さを加えている。好ましい。恋人を殺された悲しみ・怒りは伝わってくる。結局のところ映画の良さは、監督の情熱次第。エロに走ったところをみると、古代ローマ帝国史などには興味がないのでしょう。
[DVD(字幕)] 6点(2013-05-12 03:17:23)
76.  乱暴者(あばれもの) 《ネタバレ》 
戦後の米国は経済的に豊かとなり、50年代にはティーン・エイジャーと呼ばれる社会集団が登場した。彼らはそれ以前のどの世代の若者より多くの余暇と小遣があった。彼らの一部が社会の退屈な枠組みや価値観に反抗を示し、暴れる若者、反逆児となった。ティーン・エイジャーはその後、カウンター・カルチャーとして数々の社会現象を巻き起こしてゆくが、この映画はその黎明期を伝えるもので、社会文化史的価値がある。音楽で言えば、この映画封切1953年の翌年にエルビス・プレスリーがデビューし、その翌年には映画「暴力教室」の主題歌「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒットし、ロック音楽が確立する。この映画でもリズム・アンド・ブルースでスイングする若者の姿が見られる。主人公はバイク集団だが、映画のヒットでバイク人気に火が付き、その後バイク集団が隆盛を極める。ちなみにヘルズ・エンジェルスの結成は1948年。ファッションではTシャツと革ジャン。それまで下着に過ぎなかったTシャツをブランドが上着として着てみせたことで、新しいカジュアル・ファッションとして流行した。黒の革ジャンは反逆児のイメージとして定着し、シルバー・ビートルズも愛用していた。ジェームズ・ディーンはブランドにあこがれ、彼のように演じようと努め、1955年の「エデンの東」の好演技につながった。スピルバーグ監督は「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」で、主人公にブランドと同じ格好をさせ、オマージュを捧げている。 さて映画だが、当時としては上映禁止措置がとられるほどショッキングな暴力描写と反社会的内容だったものが、今見れば、たいしたことはない。バイオレンスと呼ばれるほどのものはなく、ヒロインがレイプされそうになる場面に煽情的なものを感じる程度。低予算のため、ほとんどがチープなセットで演じられ、特撮も貧相だ。それでも主人公が大人たちのリンチに遭う場面は緊張感がみなぎるし、ヒロインとのひりひりするような恋のやり取りは見所となっている。ほとんど感情を現さない主人公が、ほんの一瞬泣き顔や笑顔を見せるが、そこが大変印象的だ。だが個人の内面の描写は一切無く、どうして彼らが暴れるのかはあかされないまま。そこが弱いところ。それでも一見の価値あり。
[DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2013-04-10 01:09:01)
77.  ウエスト・サイド物語(1961) 《ネタバレ》 
想像するにミュージカルの既成概念を打ち破った作品ではないだろうか。それまでのミュージカルといえば、お気軽に楽しく歌って踊って、ハッピーエンドの愛と夢と希望の物語で、シリアスなものは少なく、童話や空想物語に近いものだった。本作品は全編に溢れる若さと躍動感が特徴で、斬新な俯瞰カットやクローズアップや多カット編集により、汗の匂いが嗅げるほど役者に肉薄している。そして暴力抗争の末、少年ギャングの三人が亡くなるという悲劇。シリアス、暴力、ギャング、バッド・エンド、悲劇、これらはミュージカルにふさわしくない題材だ。「フレンチ・コネクション」「LAコンフィデンシャル」「ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」等のミュージカルは想像しにくい。素材と形式が合わないからだ。一方で「アウトサイダー」「理由なき反抗」等はミュージカルにしてもおかしくない。理由は登場人物が未成年だから。未成年者はその存在自体があやふやでどこか危なげ、童話や空想物語の人物めいた所がある。青春物語にすれば例え暴力や悲劇を扱ってもミュージカルになる。それの嚆矢が本作品だろう。スタジオを出て町に飛び出したのも特筆すべきこと。しいて命名すればストリート・ミュージカルの誕生。埃にまみれた昼の街の薄汚なさと混雑ぶり、露に濡れた夜の街の不気味な暗闇、それらの中に入り込むことにより、真実味が増し、演技と悲劇に重みが出た。もう一つ言えば芸術性だろう。綻びひとつ見えない完璧なシンクロ・ダンス、オーケストレーションの凝った編曲と演奏力の高さ、楽曲の素晴らしさは云うまでもない。シリアス加減のバランスも抜群で、例えば刑事やキャンディ屋のじいさんが「けんかはやめて~」と歌い出していたら台無しになっていただろう。昔のミュージカルでファッションも題材も古めかしいのに、どこか斬新さを感じさせるのはこれらの為だろう。物語は民族差別、恵まれない環境、若さの暴発、敵味方に別れた恋人、憎悪の連鎖、復讐殺人と盛りだくさん。あんな小さなナイフじゃ死なない、何故救急車を呼ばないのか、死体の処理や葬式はどうした、兄を殺した相手とその日に寝るのか、遅れると何故待ち合わせ場所に電話をかけないのか等、ツッコミどころはある。喧嘩に明け暮れるギャング団はアホだが、主人公二人は違うので感情移入できる。その設定の上手さ。上階の窓から投げつけたられた瓶は世間の冷淡視の象徴だ。
[DVD(字幕)] 8点(2012-12-25 00:37:19)(良:1票)
78.  海外特派員 《ネタバレ》 
時は第二次世界大戦直前、米国新聞記者の特派員ジョーンズは、欧州に戦争が勃発するかを探るため、和平の鍵を握るオランダの外交官ヴァン・メアへの取材を命じられる。平和団体の指導者フィッシャーがメアの歓迎パーティを開き、そこでフィッシャーの娘キャロルと知り合う。和平会議の直前、ジョーンズの目の前でメアが暗殺される。暗殺者を追って水車にたどり着くと、そこにはメアがいた。殺されたメアは替え玉だった。真相は、ドイツのスパイ組織が条約の秘密条項を聞き出そうと、メアを誘拐したのだった。この時点で見る気がだいぶ失せた。メアそっくりさんを使ったところで、死体がメアでないのは司法解剖を待つまでもなく、家族がみればすぐに判明すること。わざわざ替え玉を作って殺す理由はない。かえって証拠を残すようなものだ。風車の向きが飛行機との暗号なんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。スパイ組織なのだから、ちゃんと無線を使いなさい!無理に面白くするための不用意な作為が見える。その後ジョーンズはキャロルと婚約し、キャロルの父のフィッシャーが黒幕と分かるという安っぽい三流サスペンスの道をまっしぐら。ヒッチコックらしく丁寧で上品な作りで、おしゃれな会話やユーモアに溢れているが、脚本が悪いとどうにもならない。恋愛は無理やり、監禁されているメアが居場所がすぐにわかったり、捕まっても拘束されなかったり、目撃証人がいるのに警察がフィッシャーを捕まえなかったり、フィッシャーが逃亡する飛行機に簡単に同乗できたりと非常に甘い。特に監禁部屋からの「人形落ち」にはがっかりさせられた。あれぐらいのアクションができないものか。キートンを見習ってほしい。結局メアが秘密をしゃべり、戦争が勃発。すべての努力は水泡に帰す。その後もおまけがあって、飛行機が勘違いでドイツ軍艦に砲撃されてしまう。砲弾が壁を貫き乗客に当たるが減圧しないというリアリズムのなさ。海に不時着するとフィッシャーが自己犠牲で海に飛び込み、都合よく米国戦艦に救助される。緊張感や真実味はみじんも感じられない。
[DVD(字幕)] 5点(2012-12-22 13:34:58)
79.  怒りの葡萄 《ネタバレ》 
「怒りの葡萄」は聖書の引用で、神が怒りをもって踏み潰す葡萄のこと。葡萄畑はイスラエルの家、神が喜んで植え付けた葡萄はユダヤ人を指す。甘い葡萄を待ち望んだのに、酸っぱい葡萄(争いばかりする人間)ができてしまった。この出来損ないの人間に対する神の怒りの比喩。刑務所帰りで、小作人の息子であるジョードが、一家で土地を追われ、移住したカリフォルニアでの悲惨な生活を通じて「怒りの葡萄」という神の視座を持つまでの成長を描く。ジョードに付き添い、導くのは元説教師ケーシー。彼は資本家と労働者の矛盾を指摘し、労働者の闘う術を教え、死をもって道を示した。彼の導きで、人の魂は大きな一つの魂の器の一部に過ぎず、万人の魂は一つだと悟るジェード。二人は洗礼者ヨハネとキリストだ。まだ何も分からないが、何が誤りで、それを正す方法を見つけるために旅立つジェードは、荒野を放浪する求道者キリストだ。神の視座を持つということは、踏みつけられる民衆側の視座を含め、あらゆる観点からの視座を持つこと。それは「俺は暗闇のどこにでもいる。母さんの見える所にいる。飢えて騒ぐ者がいればその中にいる。警官が人を殴っていればそこにいる。怒り叫ぶ人の中に、食事の用意ができて笑う子供たちの中に、人が自分の育てた物を食べ、自分の建てた家に住むようになれば、そこにいる。」という台詞につながる。彼は、真の”乳と蜜の流れる地”を目指して旅立つ。警察から追われる逃亡者としてではなく、希望を持った求道者として、世の不正を糺す先導者として。成長したのは他には母親。「女は男より変わり身が早い。男は不器用でいちいち立ち止まる。女は流れる川で渦や滝もある。あっても止まらずに流れる。それが女の生き方」と女性の力強さを自覚し、「金持ちは子供が弱いと死に絶える。でも民衆は違う。死なない。しぶとく生きていく。永遠に生きる」と民衆としての誇りを取り戻す。良い言葉だが、これには伏線(成長過程)があまりなく、唐突感が否めない。大恐慌と経済制度の変化の為に土地を追われた小作農民一家の困窮ぶり、零落ぶり、過酷な移住の旅、移住地での苛烈な現実が見所である。が、母親はふくよかすぎて貧農に見えない。又過酷さを見せつけるはずの「桃摘み」の重労働場面が省略されているのは誠に残念。「人間じゃない。人間があそこまで惨めになれるわけがない」とは見えず。出所するのを何故家族に伝えない?
[DVD(字幕)] 8点(2012-12-22 11:51:02)
80.  奇跡の人(1962) 《ネタバレ》 
三重苦を克服することは可能か、考えたことがある。結論として、生まれながらの三重苦の場合は、どう考えても無理と思った。言葉があるということをどう教える?ましてや話せるようになるなど。2才で三重苦となったヘレン・ケラーが克服したことになっているが、信じられないでいた。自伝を読んでも、釈然としなかった。水に触れさせ、今触れているものの綴りがWATERで、発音がウォーターってどうやって教える?ましてや手には触れられない物や抽象的な概念をどうやって?長年の疑問の一端が本作で氷解した。方法はこうだ。先ずふたりだけで生活する環境を整え、相手に自分を頼らせる。その意味が分からずとも、とりあえず指と指で文字を伝え、自分の顔に手を触れさせ、表情や首の振り加減で、うまくできたか、嬉しいなどの感情を伝える。躾は、ちゃんとできるまでは食事をさせなほど厳しくし、うまくできた場合は褒美のケーキを与えたりして誘導する。これを何度も何度も繰り返す。決して諦めない。そして最難関は「ものには言葉があって、今触れているものの綴りが指文字で伝えられているもの」と理解させること。これは本人が気づくのを待つしかない。 サリバン先生の熱意、母親にも勝るとも劣らない愛情には頭が下がる。体ごとぶつかり、決してくじけない、その鬼気迫る姿は胸を打つ。彼女自身かつて盲目であり、孤児として救貧院で悲惨な生活を過ごし、盲学校時代に二重苦を克服した人と出会っている。これらの経験が活かされている。逆にこれらの経験がなければ”奇跡”は成し得なかったろう。二人の出会いは神の祝福だ。 ヘレンの野獣児ぶりには度肝を抜かれた。ホラー映画顔負けの怖さがあった。エクソシストの少女のように、いまに首を180度回転させ白目を剥いて「WATER!」と叫ぶんじゃないかと想像したほど。食事を教えるシーンは屈指の名場面。 The Miracle Workerは「奇跡的な職人」で、ヘレン・ケラーのことではなく、アン・サリバンのこと。史実では先生20歳でヘレン7歳だから、役者の実年齢とはだいぶ違う。映画では触れられていないが、発音を教える方法は、生徒の指を先生の唇と喉もとに当てさせて、振動を覚えさせる。これを実際にアンとヘレンが実践説明している動画を見た。ヘレンが来日したときサリバンは既に帰らぬ人となっていた。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-21 16:30:05)
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