Menu
 > レビュワー
 > スロウボート さん
スロウボートさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 73
性別 男性
自己紹介 映画をいっぱい観るようになったのは、大学生になってから。
映画を創作できること自体とてもすごいことだと思うので、
なるべく誠意のあるレビューを書こうと思っています。
好きな映画のレビューだけ書こうと思っていたのですが、
ちょっと個性が埋没してしまいそうなので、おいおい酷評も
入れちゃおう。

☆好きな監督☆

黒澤 明
山中貞雄
溝口健二
エルンスト・ルビッチ
フランク・キャプラ
ビリー・ワイルダー
アルフレッド・ヒッチコック
ミロス・フォアマン
チャン・イーモウ

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順12
投稿日付順12
変更日付順12
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  ゴッドファーザー PART Ⅱ 《ネタバレ》 
前作のアドバンテージを最大限に生かし、ドン・ヴィトーのエピソードを単なるエピソードではなく、もう一本の柱にしてしまった大胆なプロットが本作の勝因でしょう。長尺ですが、とても面白いです。ただ、これは前作が傑作であったからこそなし得たプロットであって、良くも悪くも、ここにコッポラの「興行師」としての側面が見て取れるのも事実でしょう。何かを創り上げていく、築き上げていく過程よりも、その何かを守っていく、維持していくことの方が遥かに難しいという、哲学的なテーマ。実のところ、これは、古今東西、幾度となく繰り返し謳われてきたテーマであって、言わば「王道」ものと呼べるもの。ですから、今さらこのテーマに関して云々語るのは野暮ってものでしょう。終わり方も実に素晴らしいです。兄を死に追いやった末のアルパチーノ演じるマイケルのクローズアップ。ここで彼が見つめる視線の先にあるもの、それは父であるドン・ヴィトーの姿に違いありません。観客もマイケルの孤独感と閉塞感をここで共有することになり、思わずドン・ヴィトーの姿を思い浮かべしまうはずです。何度観ても素晴らしいラストカットです。しかし、ここで僕の脳裏に去来したのはデニーロのドン・ヴィトーではなかった。ここで僕の脳裏に去来したのは、前作のあのマーロン・ブランドのドン・ヴィトー。これが本作が続編としていかに秀作であるかを示す証拠だと思うのですが、マーロン・ブランドは本作には出演していない、にもかかわらず、劇中何度も何度も、マーロン・ブランドのドン・ヴィトーが脳裏をよぎるのです。そして勝手に前作を思い起こし、オーバーラップさせながら勝手に感動してしまう。前作のアドバンテージとはまさにこれです。前作のイメージを台無しにしてしまう続編が多い中、これはまさに出色の続編です。コッポラ監督の巧みな興行術が見事にはまった彼らしい一品!(笑)。
8点(2004-11-29 21:54:19)(良:1票)
2.  ショーシャンクの空に 《ネタバレ》 
物語がレッドを通して語られるため、全編を通して、やや説明的過ぎるところもありますが、時間軸をうまく操作しながら、観客を離さないストーリーテリングの巧みさは秀逸です。重厚な人間ドラマをたっぷり堪能しました。ただ、「あの塀を見ろ。最初は憎み、しだいに慣れ、長い年月を経て頼るようになる。」と言う、囚人たちの心理を一発で表現してしまう見事な台詞に代表されるように、この映画の持つ重みは、映像的要素ではなく、むしろこういった印象的な「台詞」の数々によって支えられていることは間違いないでしょう。「希望」や「勇気」を讃えるために用意されたラストシーケンスも印象的です。とは言っても、このラストが即時に「爽快感」に繋がるかと言えば、個人的にはノーでした。この映画全編を通して僕が感じたのは、人間が自ら創り出した、法律、法制度に支えられた「社会」というものの曖昧さであり、不完全さです。無実の罪で刑務所に入れられる者、あるいは、罪を犯しながらも罰せられない者。こうした事例は腐るほどあるはず。また、アンディが看守に財産運用の手ほどきをしていく辺りは、法制度、あるいは人間社会の不完全さをあからさまに描写しています。理不尽が存在するのは、塀の中だけではなく、塀の外であっても同じことなのです。この映画でいう「希望」とは、あくまでも、この理不尽、あるいは不運に襲われた時に「楯」になるべくものなのです。これを身に付けていなければ、ブルックスのように死を選ばざるをえないということになるのでしょう。まさに「必死に生きるか、必死に死ぬか」であって、この不完全な「社会」の中では、何かに「希望」を持っていなければ生きていけないのが現実なのです。この映画でいう「希望」とは、生きるために自らが己を守る「楯」なのです。ですから、ここで描かれる「希望」に、時として、非常に利己主義的なものを感じてしまうのは必然なのでしょう。レッドは幸いにしてこの「希望」という「楯」を手に入れ、アンディのもとに向かいますが、この再会が決して明るい将来を約束するものではないことは明らかではないでしょうか。この再会のラストで僕が感じたのは、「爽快感」などでは決してなく、むしろ、この理不尽な社会にあって、たとえ利己主義であっても、どうあっても「必死に生きることを選べ」という悲痛な、そして生々しいメッセージなのです。
8点(2004-10-30 19:46:41)(良:5票)
3.  ヴァン・ヘルシング
ヴァンパイアにフランケンシュタインということで、是非とも観ておきたい映画の一つでしたが、ある意味何やら非常に嫌な予感がする映画でもあったので、遅ればせながらやっと鑑賞の運びとなりました。結果としては、この嫌な予感が見事に的中。冒頭から効果音と音楽がひっきりなしに鳴り響き、あまりの仰々しさに思わず閉口してしまいました。テンションが上がったまま、上がりっ放しで、壊れちゃった映画です。映画は物語を自由に創作していくものなので、辻褄が合わないとかそうゆう部分を突っ込むのはあまり好きではありません。でもこの映画はそれいぜんにストーリーらしいストーリーがほとんどありません。つまるところ、食材は豪華なのに味が全くしない料理を食べているかのようです。こっちまで壊れそうでした。映画に入り込める一つの要素としては、この次一体どうなるんだろうとか、最後はどうなっちゃうのかな、といったモチベーションがある程度必要だと思いますが、この映画には「別にどうなってもいいや」としか思えないほどの薄っぺらなプロットしか存在していません。何しろ、全編ほとんど決闘、対決シーンなんですから。おかげで何度も途中退場を申し入れようとしましたが、結局、最後までこのけたたましい作品にお付き合いしました。そんなにこけおろすなら、最初から観るなと言われそうですが、ほんとその通りです。これは観るべきではなかった。選択した自分がダメダメ君だったとしか言い様がありません。というわけで、これはヴァンパイアとフランケンシュタインの味のないフルコース。もう少しで倒れそうでした。個人的にはあまりお勧めできない映画です。
2点(2004-10-03 04:05:20)(良:1票)
4.  デイ・アフター・トゥモロー 《ネタバレ》 
いやはや、エメリッヒ監督の愛国心にはさすがに頭が下がります。これは「アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための映画」と言い切ってしまってもいいのではないでしょうか。この映画の骨格を成しているのは地球温暖化?環境問題?それとも父子の親子愛か?いやいや、どうも違うような。。。そうではなくて、この映画の主題はまさに孤立してく現代アメリカへの警告でしょう。襲いくる大津波や凍りついていく大地。そして約束を果たさんとする父の勇姿と息子の信頼。これらのスリルや感動は見事なアミューズメント。でも、こうした「前振り」を楽しんでしまったあとに残るのは、国境を越えて南の国に逃れる「おごれる北の人々」の無惨な画であり、見事に北半球だけ凍り付いた地球の姿です。エメリッヒ監督は、この「おごれる北の人々」に警告を発すると同時に、世界の中で孤立していきそうな現在のアメリカの姿をここに提示しているのでしょう。しかも、大統領がいとも簡単に消されてしまうプロットに至っては、まさにこの憂いがアメリカ人の民意なのだと言いたげです。そして、ラストシーケンスでは「アメリカは孤立しない」という無邪気でストレートな物言い。CGは世界最高峰で文句なし、その意味ではハリウッド大作なのですが、このエメリッヒという人、あくまでも「庶民派」の監督さん、いつもアメリカの民衆の味方なのです。「アメリカ万歳」でいいじゃない。日本も「日本万歳」の映画をもっと作ったらいいのです。
7点(2004-07-05 23:16:45)(良:1票)
5.  12モンキーズ 《ネタバレ》 
少々鼻につくような技巧的なプロットですが、娯楽的な要素もたっぷりあるので、この時空を超えた世界観、お遊びにどっぷりつかって楽しんでしまうのが正解だろうと思います。それぞれのシーケンスが言わば、点の集まりであって、これらが順を追って見事に線で繋がっていく仕掛けがとても楽しい。何度も繰り返される空港での射殺のシーケンスは、最初は意味が解らず困惑するものの、否応なく観客の脳裏に焼き付いてしまう。この時点で、観ているものが、あたかも夢の中のこのシーケンスの意味を理解できない主人公と同じ立場に立たされてしまっているところがこの映画の面白いところ。最後の最後でこのシーケンスの意味を解した時には、時すでに遅しです。予め焼きつけれられたフラッシュバックの餌食となって、主人公ともども時空をさまよっていたことに気付きます。一見すれば悲壮感が漂うエンディングですが、救済保険業の下りで、「運命は変わったんだ」と個人的には解釈しています。ラストで自分の死を見つめる少年の眼差し。このクローズアップはとても秀逸で、実に感傷に訴える満点のカット。おそらくこれが未来への光明を暗示しているのではないでしょうか。そう、この少年は自分で運命を切り開き、そして、その未来はきっと明るいのだ。
7点(2004-05-25 00:42:02)
6.  ハスラー 《ネタバレ》 
ジャズ音楽に乗せて描かれるハスラーの世界。この裏社会では、人は生身の人間のままで生きて行くことは許されず、常にある種の「仮面」で自分自身を覆いかぶせることを宿命づけられてしまうのでしょう。ギャンブラーの持つ独特のクールさ、渋さ、格好良さは、むしろ、この「仮面」がもたらす非人間的なものに起因しているのかも知れません。ミネソタファッツとの死闘、サラとの恋、そして死別。挫折と苦悩を味わい、卓越した才能がありながらも、この「仮面」を持ち得なかったエディ。結局は闇から闇へと葬られてしまうことになるのですが、最後に残した「おまえこそ落後者だ」というこの一言こそが、まさにこの映画の真意でしょう。ギャンブラーの持つ「仮面」には確かに魅惑があります。そしてこれを身に付けた男は、渋く、クールで、格好良い。しかし、エディの最後の一言によって、この「仮面」は見事におとしめられることになり、逆に裏社会の不条理さが如実に浮かび上がってきます。これによってこの映画は社会派ドラマの様相をも呈し、さらに、この一言によって、非人間的な「仮面」を持ち得なかったエディこそが真の勝利者となり、見事なヒューマンドラマに仕上がっています。この「仮面」を徹底的に否定し死を選んだサラ、この「仮面」の持つ不条理さを理解しつつも闇の世界に留まり続けたミネソタファッツ。三者三様の生き様を哀れみを持って描いた秀作ドラマ。 実に奥が深く、その意味では『ハスラー2』はジャンルすら継承していないように思います。
8点(2004-05-15 13:18:09)
7.  スティング
衝撃のラスト。と言うよりは、なんとも痛快で、むしろ爽やかな印象を残す後味が素敵です。復讐劇のはずですが、そこには深入りせず、軽快な音楽に乗せて仕掛けを楽しみます。青二才のフッカーと天才ゴンドルフ。最初は彼等といっしょになってロネガンを騙していていたはずの観客が、いつのまにか置いて行かれてしまって、最後には逆にロネガンと一緒に騙されてしまう。仕掛けは知っていたはずなのに、なぜなんだろう?一体どの辺りからから置いて行かれちゃったの?キャメラがいつの間にか騙す側から騙される側に視点を移しているところがポイント。しかも気付かれないように、そっとね。
9点(2004-05-10 22:57:17)(良:2票)
8.  ジャイアンツ
まず、ドラマの舞台をベネディクト一家という一つの家庭に限定しながらも、これを親子3代、実に壮大なスケールに仕立て上げた試みに拍手を送りたいと思います。とは言っても、これはなんというか、やはり失敗作なのかも知れません。まず、こうした大河ドラマの命とも言えるプロットですが、これが致命的に弱いような気がします。語りではなく、映像の切り変わりによって、スムーズに時の経過を知らしめるあたりは、実に映画的なのですが、何しろ長尺なので、この流れ一辺倒ではどうしても飽きがきてしまいます。回想などを多用して、時間軸を操作するなど、ある程度プロットに工夫が必要だったのではないでしょうか。時間を順送りせず、もう少し荒削りで乱暴な編集をしても面白かったと思います。どうにも単調すぎて入り込めず、途中、何度も単なる傍観者になってしまっている自分に気付きました。ドラマとしての盛り上がりも、もう一つといったところでしょうか。この映画が内包するテーマは実に多彩。恋愛、結婚、出産、教育、死別、貧困、差別、権力など。しかし、こうしたテーマは、結局のところ、全て「アメリカの光と影」という、一つのありふれたテーマへと集約されてしまっているような気がします。アメリカの精神を描いたベストセラー小説の映画化ですので、これが狙いなのかも知れませんが、人物描写の甘さという大きな犠牲を払ったことは否めません。テキサスという風土は見事に描写されているものの、それを強調するあまり、そこにいる登場人物の肉付けが強引過ぎ、リアリティが欠落してしまっています。風土の中に人間の個性が埋没してしまっては、ドラマとしては面白くないでしょう。唯一の救いがジェームズディーン。特に権力と酒に酔いしれ、そして飲まれてしまった男、ジェットの最後の演説は出色。ラズがジェットを「磨かれていないダイヤモンド」と賞する台詞がありますが、これはまさに演じたジェームズディーンそのものではなかったかと思います。彼の演じたジェットのみが、リアリティを持つことを許され、彼のみがその個性によってアメリカを語り得ました。そして彼は一人で「アメリカの光と影」を演じてしまった。その意味ではこの映画はまさにジェームズディーンの映画。彼がダイアモンドになった姿をスクリーンで観たかった。失敗作と思いつつもなぜか愛すべき映画の一つです。
7点(2004-04-13 01:36:38)(良:1票)
9.  偉大なるアンバーソン家の人々
なるほど、「ズタズタ」版だったんですか。思いきった編集をするなあと思いながら観ていましたが、「ズタズタ」版だったとは知りませんでした。でも、そうゆう目で観ると、どこをどう補足すればいいのかは解らないまでも、どこが抜け落ちているのかはだいたい見当がつきます。プロットは正確です。『市民ケーン』でみられる舞台劇と映画との融合はここでも健在。パンフォーカスに長回し、ローアングルといった技法は、この融合のための一つの手段でしょう。シーケンスとシーケンスのつなぎ目も、フェードやアイリスなど用いて、まるで舞台の幕間を思わせるような演出です。ラストでみせるキャスト、スタッフ紹介に至っては、さながら舞台を観終えたかのような印象を与えています。舞台劇をどう映画で表現していくか。舞台劇で不可能なことを映画で表現してやろう。もともと舞台劇を本業としていたオーソンウェルズの映画作りの原点はここにあるのではないかと思います。もっとも映画史的にみれば、舞台劇と映画は切っても切れない関係にあり、舞台をそのままフィックスショットのワンカットで納めていたこともあったわけですから、ウェルズの所業はむしろ原点回帰とも言えなくもないでしょう。時代に翻弄されるアンバーソン家の栄枯盛衰になぞらえて語られる古きものへの思い。自動車になぞらえて語られる科学の進歩への警告。ウェルズの映画史的な位置づけについては、多方面で語られていると思いますし、総じて斬新な革命児という評価に落ち着くであろうことに異論はありません。しかし、彼のフィルムからは、「古きものへの愛情」といった革命児のイメージとは相反するものを同時に感じてしまうのも事実です。ひょっとしたら、映画は何も進歩していないのかも知れない。そして人は何も進歩していないのかも知れない。いや、そもそも進歩しないものなのかも知れない。革命的なフィルムの中にあって、こうゆう普遍的な哲学を感じてしまうのです。
9点(2004-03-27 16:23:10)(良:2票)
10.  死刑執行人もまた死す 《ネタバレ》 
マーシャをかばった花屋の老婆が地下室で息を引き取るカット。鉄格子が作り出す長い影の向こうに浮かび上がるやつれた容姿。全編にわたって光と影、そして白と黒のコントラストを効かせた映像が印象的。プロットも秀逸で、前半はややしつこさがあるものの、後半の大胆な編集によるスピード感は圧倒的。一気にテンポアップしていきます。レジスタンスの地下組織でナチのスパイとして活動するチャカ。ゲシュタポそのものではなく、この卑怯千万な裏切り者を陥れて行くという展開が実に面白いです。このあたりはまさに第一級のサスペンス映画。戦争はどうしても集団という群れの中で生きることを人に強いるもの。単独で生き抜いて行くことを容易には許しません。ゲシュタポが生まれれば、レジスタンスが生み出され、一つの組織がもう一つの組織を作り出す。人々はこの組織の一員と成らざるを得ず、結局のところはその動向、形勢によって振り回されることになります。ゲシュタポとレジスタンス。この二つの組織のどちらからもはじき出されたチャカの悲劇はとても興味深いです。卑怯千万な彼の死は自業自得。しかし、徹底的におとしめられた彼の死は、「群衆」の恐ろしさをまざまざと感じさせます。反ナチス映画としてとらえればいいのでしょうが、市民の結束によって果たされたこの復讐劇にも、やはり非人間的なものを感じてしまいます。裁かれることなく撃ち殺されるチャカの死は決して民主的な解決にはなっておらず、まだまだこうした戦いは繰り返される、つまりNot TheEndということなのでしょうか。
7点(2004-03-18 20:37:26)(良:4票)
11.  カッコーの巣の上で 《ネタバレ》 
チェコスロバキアからアメリカへ亡命したミロス・フォアマン監督の大傑作です。監督自身も語っている通り、この精神病棟はチェコそのもの。日課を断じて変えようとしない病棟は管理された社会主義国家の体制を表し、ビリーの自殺や、マクマーフィーが廃人にさせられてしまうという悲劇は、この管理社会のいわゆる「弊害」でしょう。これらの「弊害」を次々と暴き出すこの映画は、一見すれば、管理社会という非人間的な構造に対して、明らかに反体制の様相を呈しています。ただ、マクマーフィーによって、女が連れ込まれ、看守に賄賂を取らせて酒を喰らい、朝まで騒ぎ続けた後の乱れた病棟の惨状はどうでしょうか。管理人を騙し、勝手に船に乗り込み、はしゃぎ回る彼等の行動はどうでしょうか。もちろん、これらにしてみても到底容認できるものではなく、ここに自由主義による「弊害」をも暴き出し、真の自由とは何かを提示していることも見逃してはいけないと思います。管理社会であれ自由社会であれ、社会主義であれ資本主義であれ、どんな国にもどんな世の中にも、必ず制度による「弊害」は存在します。「看護婦長は善を為そうとして悪を為す」とフォアマンは語っていますが、看護婦長にしてみても、マクマーフィーの理解者となり、勤めを全うしようという思いは強かったはずです。すでにシステム化された婦長にとっては病棟の日課は正常であったのです。こちらでは正常者であるものが、あちらでは異常者であったり、異端児が英雄にもなり得るのが現実。それではどうすれば良いのか?この問いに対する一つの答えが、マクマーフィーの「陰でぶつくさ文句たれてるくせに出て行きもしない!」であり、それに感化されたチーフのラストの「逃亡」なのかも知れません。自分が"人間らしく生きられる"社会への「逃亡」は、逃げではなく、あくまでも積極的な行動であって、選択するという自由の行使です。マクマーフィーがついに逃亡できなかったように、この選択するという自由を行使できる人間のいかに少ないことか。その意味では、チーフこそが亡命監督であるフォアマンそのものであるという評はとても共感できます。フォアマンにはもっと多くの映画を撮ってほしいという気もしますが、自分の好きな作品だけを撮っていく寡作の姿勢は実に彼らしいことで好感が持てます。いずれにしても、自分の価値観に大きな影響を与えた忘れられない映画です。
10点(2004-03-06 23:12:28)(良:7票)
12.  天国から来たチャンピオン
割と好き嫌いがハッキリする映画ではないかと思いますが、元気が出ると言うか、前向きになれると言うか、映画の効用と言うべきものがいっぱい詰まっていて、大好きな映画の一つです。オリジナルの『幽霊紐育を歩く』は観てないのですが、シンプルなストーリーの中に散りばめられた毒のない笑いのアクセントがとても心地いいです。大富豪の夫を殺そうとする妻と秘書でさえも、微笑ましく思えてしまいます。国旗を掲揚しながらの空砲が、幕間のようなオチを作っていたり、銃声を消す小道具になっていたりと、なかなか重要な役割を持っていて印象的。天使に間違われて、天国に連れて行かれたと思ったら、他人の体を借りて地上に降りる。言ってみれば、相当なファンタジーなのですが、むしろこの映画における最大の奇跡は、ジョーのどこまでも前向きで、純粋な人間性でしょう。どんな環境にあっても、どんな立場に置かれても、自分らしさを失わない彼こそ奇跡の人。肉体は朽ちようとも、その人の人間性は、きっと生きている誰かの心に残っていくのだということを教えてくれるラストシーンに素直に共感しました。
8点(2004-03-03 22:07:02)(良:3票)
13.  初恋のきた道 《ネタバレ》 
『あの子を探して』(99)と同じく、人の一途な心を描いた傑作です。恋する人からプレゼントされた赤いヘアピン。その人が使った修理された瀬戸物。恋人の面影を残し、その人を感じさせてくれる「物」への執着が、ひたすら人間味のある恋心を表現していて印象的です。中国の大自然に映える数々の「赤」の描写も素晴らしく、絶好のロケーションを見事に作品に融和させています。恋する人を意識しながら真新しい服に着替え、その朗読する声に惚れ込み、わざわざ遠くの井戸で水を汲む。そして偶然を装って待ち伏せる。全てのエピソードが、言ってみれば実に赤裸々で、リアルでストレート。まるで観る人の体験に訴えかけてくるかのような人間味のある恋愛劇は、どことなくノスタルジックな感動を誘います。もちろん、この恋物語は、息子が語る両親の話であって、あくまでも遠い「過去」の話。モノトーンとカラーの使い分けは、やはり過去は色あせない、思い出は美しいものであるということなのでしょう。ただ、この物語は単なるノスタルジックな印象で終わるわけでなく、ラストで教え子たちが交代で棺を担ぐ姿、息子が教壇に立つ姿を観れば、決して「現在」も捨てたものではないという思いが込み上げてきます。「過去」がしっかり「現在」に受け継がれているという安心感もこの映画のひとつの魅力。恋愛物語であり、人間ドラマ。観終わった後、とても心地よい、すっきりした気持ちにさせてくれる素敵な映画です。
9点(2004-02-17 00:32:21)(良:1票)
14.  我が道を往く
老いも若きも、男も女も、みんなの「GOING MY WAY」が見事に一本の映画に集約されています。おそらく「我が道」とは自分で努力し、精進しながら切り開いて往く道のことではなく、むしろ現実を受け入れ、逆らわないという、いわば天から「与えられた道」を往くことなのでしょう。すべてが理想的な場所に落ち着いて行くストーリーは、この「与えられた道」が決して悪いものではない、とても素晴らしいものなのだという、暖かいメッセージではないでしょうか。老神父のバリー・フィツジェラルドが実に人間味あふれる名演です。特に母と再会するシーンは秀逸で、思わず涙がこぼれそうになります。ビング・クロスビーが教会を去るという結末は、この作品における最大の「GOING MY WAY」。心温まる温和な作品に、哀愁というスパイスをプラスして、観客すべてを感化していくかのような見事なラストシーケンスです。合唱を通して感化された少年の眼差しも印象的。「我が道」を発見し、それを往く時に全ては輝きに満ちあふれる。希望と良心に満ちた傑作です。
9点(2004-02-14 13:58:24)(良:1票)
15.  JAWS/ジョーズ
人間が鮫に襲われるという、パニック映画としてはなかなかリアリティを持った設定で、その心理的恐怖を利用しまくって、全編に切れ目のないスリル感を持たせているところが人気の理由でしょう。編集技術も素晴らしく、海面付近を不安定に出入りするキャメラは、鮫と人間の視点を交互に演じながら、絶妙のタイミングでつながれ、観客にあたかも海中にいるかのような臨場感を味わせます。リアリティを演出するために用意された学者の存在。自然界を畏敬するものと軽んじるものの対立。前者は生き残り、後者は次々と犠牲になっていく。パニック映画の一応のセオリーは踏まえ、「人類への警告」という定番のメッセージは確かに存在してるものの、一貫してエンターテーメントを追い求めたことで、こうしたテーマは完全に薄らいでいるような印象です。友情ドラマや家族ドラマなどにあまり寄り道せず、人間と鮫の対決に終止したことも重要で、脇道を断つことで、緊張感を持続して行きます。テーマの幼稚性や単調さゆえに、オスカーを長年取れなかったスピルバーグですが、逆にそこがスピルバーグのテリトリー。少年のような純朴な映画愛こそ彼の魅力です。この映画も、若きスピルバーグがなんとかして観客に楽しんでもらおうという純朴な思いがにじみ出ていて好きな作品です。オスカーを取れなかった頃のスピルバーグがやっぱり好きです。
7点(2004-02-14 01:52:18)(良:1票)
16.  見知らぬ乗客
死ぬほどとか、殺すぞなんて言葉が比喩でなく、現実になっていく恐さ。この映画の恐さは、私見ですが、『ミザリー』のキャシーベイツの恐さと似た感覚があるような気がします。クレイジーな雰囲気がなんとなく似ていて、心理的に何か近いインパクトがあるのではないでしょうか。編集技法もヒッチ監督の独自の技法が確立された作品と評されるだけあって、観るべきものが多いです。これについてはInVincibleさんが仰られている通りで、靴や眼鏡などの小道具の使い方はもちろんですが、特にガイのテニスの試合と、ブルーノが落としたライターを拾おうとする場面のカットバックが素晴らしい。それを追っていく警官までを含めて、遊園地のメリーゴーランドに集結していく3者が平行してモンタージュされていく編集は、まさにサスペンス技法の教科書と言えるでしょう。遊園地に流れる明るい効果音が対位法となって緊張感を盛り上げているもの見逃せません。ところで、最後のメリーゴーランド暴走を止めるシーンでは、本物のメリーゴーランドの下に潜っての撮影だったんですよね。ヒッチ監督も、よくあんな事ができたものだと、後年に回想しているそうで、「おれに任せろ」と言って老人が潜っていく姿を観るとついそんなことを思いだして目を凝らして観てしまいます。
9点(2004-02-01 22:32:57)(良:1票)
17.  サイコ(1960) 《ネタバレ》 
精神異常犯罪というテーマをここまで掘り下げて、サスペンススリラーに料理してしまう手腕はすごいですね。映画史的には、このテーマを内包した作品はこれ以前にもあったと思いますが、この作品の後、サイコスリラーが量産されたことを考えると、その価値の高さも納得です。使い古されたという感もしなくはないですが、それだけ多くの映画人がこのテーマを描いてきた証拠でしょう。シャワーシーンに顕著に示されるように、ヒッチ監督の見事なモンタージュがこの作品でも効果絶大です。カットを細かく割って、テンポを上げていく手法もありますが、この作品ではむしろ逆です。細かいカットをつないでいきながら、時間は経過させない。キャメラを何度も何度も似たポジションに戻す短いショットの連続。まるでスローモーションのように時間を長く感じさせて緊張感を出していきます。構成もいいです。主人公が死ぬわけないと考えて、安心しているところでシャワーシーンですから、「えっ。死んじゃったの?」って感じで、やっと主人公すら取り違えていたことに気付く。こんな調子ですから、最後の最後まで安心はできないというテンションが持続していきます。ノーマン・ベイツを演じたアンソニーパーキンスも名演で、テーマの先見性に目がいきがちですが、これらの「演出された」恐怖がなければ、金字塔どころか、時代に埋もれていた可能性も否定できないでしょう。もっともスリラーとは往々にしてそうゆうものなのかも知れませんが。
8点(2004-02-01 11:29:44)(良:2票)
18.  我が家の楽園 《ネタバレ》 
キャプラが描く最高級の人生讃歌です。笑いどころも満載で、これほど笑わせる映画との出会いは特別なものでした。と言いつつも、いつも思うのは、キャプラのヒューマニズムによって高らかに謳いあげられる人々は極めて少数の限られた人達であり、裏を返せばその本質は少数派ゆえの「いばらの道」であるということです。それゆえに予め敷かれたレールの上を歩むのではなく、これをはみ出して歩もうとする人々の勇気を賞賛し、その第一歩にスポットライトを当てていきます。「Do You Like it(そんなことして楽しいかい?)」。「我が家」の大黒柱であるバンダーホフが黙々と仕事をする事務員に唐突にかけたこの言葉によって物語に一気に引き込まれます。仕事は楽しいものではないと言うのが一般論で、楽しくないことをやっていてもしょうがないから、大好きなおもちゃを作りましょうというのは、その価値観はあっても行動するには大変な勇気が要ることでしょう。「我が家」で暮らす人々はこの勇気を持ち得た人々で、社会的にみれば、少数派で風変わりなおかしな人々です。当然、少数派の彼等の存在を高らかに謳い上げる行為は社会批判や風刺につながっていき、それを特に体現しているのが、バンダーホフと税務署とのおかしなやり取りのシーケンスで、キャプラのヒューマニズムにはこうした風刺は必然とも言えるでしょう。レールをはみ出す勇気。輝かしき第一歩。それどころか、この作品ではそもそもレールなんてないんだよ、というところまでメッセージしている気がしてきます。「我が家」の仲間入りを果たす勇気は持ち合わせている人は少ないけど、実は価値観を持ち合わせている人は多い。ラストで大富豪のカービーがハーモニカを手に取り、「我が家」に仲間入りした瞬間に、感動とともに大きな拍手を送りたくなったのは、自分がそんな価値観を持ち合わせており、映画の中でその勇気を体験したような心持ちにさせてくれたからなのでしょう。それにしても「我が家」の人々は面白い。傑作中の傑作だと思います。
10点(2004-01-30 23:24:41)(良:1票)
19.  十二人の怒れる男(1957)
12人が議論していくシーン以外は、ほとんど映像として示されないにも関わらず、殺人現場や、目撃者の様子、裁判官や弁護士の態度など、映っていないはずのものが次々と頭に浮かんできて、いつの間にか勝手に映像を作り上げてしまっている自分に気付きました。そのためか、キャメラがほとんど狭い陪審員室から出ないという退屈さは感じられず、むしろ、時間的にも空間的にも広がりのあるドラマとして印象に残ります。唯一示されるのは容疑者の少年のクローズアップ。これが仕掛けなのか、時折、この少年の顔が頭をよぎり、それを手がかりにしてどんどんイマジネーションが広がっていって、ついには「うん。ノットギルティだ。」と、思わず自分も13人目の陪審員としてディスカッションに参加していました。陪審員もそれぞれ個性的で、彼等の人間性はディスカッションの中で巧みに知らされていき、最後にはそれぞれの持つ人間性の戦いに発展していきます。人間性の紹介、そして人間性の衝突。これが繰り返される度に、一人また一人と票がひっくり返っていくところがこの作品の醍醐味でしょう。特に、有罪派にとんでもない偏見を持った個性や、極端に投げやりな個性を配したところがポイントで、この大胆なキャラクター設定がドラマの盛り上がりに大きな貢献をしています。ただ、彼等の存在は、こんな人がいて大丈夫かという陪審員制度に対する不安を感じさせてしまうのも事実です。恐らくこの作品では陪審員という「制度」そのものに対して否定する意図はなかったでしょうから、これについては多少代償を払った格好になるのでしょうか。陪審員室からキャメラが出るのは冒頭とラストだけ。これらを俯瞰のロングを使ったことで、バストショットが多い中間の陪審員室とは好対照で開放感と清々しさを演出しています。良い意味で「計算高い」傑作だと思います。 ちなみにリメイク版も好きですよ。
9点(2004-01-28 23:55:50)(良:1票)
20.  ロープ
全編を通してワンロールをノーカットで回し続けるという、様式がまず最初にありきの作品ですが、「試み」として非常に面白く、とても好きな作品です。二人組の青年が友人を殺害するという事件は実話からヒントを得ており、結末はかなり早い段階で解るような設定で、ドラマとしては彼等が立てた計画が崩れていく過程のみを追うシンプルなもの。片面空きのセットが一つで、まさに舞台劇の様相を呈していますが、ワンロールをワンカットで撮るなら、この設定しかないでしょう。映画を映画たらしめるモンタージュも放棄して、唯一、キャメラのフレームワークのみで観客の視点を誘導して行き、嘘をついたり隠し事をしている時の「あの気持ち」をいっしょに体験させようとします。カットを割ればもう少しさり気ない視点の誘導が出来たと思いますが、ここ観て!あそこ観て!という、ちょっと押し付けがましい感じがするのはやむを得ません。そもそも、この映画では最初からカットを入れないという決まりで創っているのですから、自ずと限界があるのは明らかでしょう。この場合の「試み」は、すなわち「実験」というよりも、ちょっとした「遊び」ととらえても差し支えないような気がします。大胆な「試み」がもたらした制約は、他にもいろいろな歪みを生んでいるのですが、そうした犠牲云々よりも、いつの間にか、このワンロールワンカットという「遊び」を一緒になって楽しんでしまっている自分に気付きました。
9点(2004-01-25 22:10:46)(良:2票)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS