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1.  彼女が消えた浜辺 《ネタバレ》 
一つの事件をドンと提示される。その「ドン」の迫力と言うか、重みの圧迫だけで出来ているような映画だ。それがどういう意味を持つのかが、異邦のものにはよく分からない。イスラム圏における「婚約の厳格さ」は不幸を招くから、もうちょっと緩めよう、というメッセージなのか。あるいは逆に、若者たちにもうちょっと身を慎もう、というメッセージなのか。どちらにしても、描写の圧迫感に比べると弱い解釈の気がする。新聞の片隅に毎日載っているような「事件」も、ひとつひとつこれだけの内実があるんだな、という「日常」の重さみたいなものを突きつけられた感じが一番ある。「普段」と思って軽々と渡り歩いている日々が、これだけの危うさの上に成り立ってるんだ、って。離婚したアーマド(だったっけ)がドイツ人の妻に言われた言葉「永遠の最悪より、最悪の最後がマシ」ってのが、けっこう映画の低音で鳴り続けていたよう。これはそのままラストの砂浜にタイヤを取られた車(永遠の最悪に捕われているような)の姿に重なって見えた。後半は一種のディスカッション映画で、なにごとかを糊塗しようとしてどんどん事態をややこしくし、動きが取れなくなっていく状況も、砂浜の車そっくりだ。音楽がほとんど入らないのがいい、とりわけ事件のとき。ジョージ・クルーニーとしか思えないイラン人が一名いる。
[DVD(字幕)] 6点(2012-04-07 10:23:22)
2.  ペルシャ猫を誰も知らない 《ネタバレ》 
観てたら「アングラ」なんて死語がつい出てきた。『新宿泥棒日記』の時代を思い出させる現在のテヘラン。地下に潜る若者たちは政治的抵抗運動をしているわけではない。ただ歌いたいだけ。ロンドンでコンサートを開きたい、終わったら帰ってくるつもり。あの時代の東京も実はそうだった。やがてそのエネルギーが政治運動(に見えるもの)に移っていったが、中心にあったのはこのテヘランと同じ衝動だったはずだ。そのうごめくテヘランのアングラ事情が実に魅力的。ニュース映像からは伝わってこないナマナマしさが溢れている。流れる歌の数々、子ども向けのはシャンソン風だし、多くはロック、野外での演奏もよかった(男たちの民族的な踊りが入ってくる瞬間のときめき)。そしてラップ、かつて『クロッシング・ザ・ブリッジ』というドキュメンタリー映画でトルコのラップを聞いたことがあるけど、あそこらへん中近東のラップは迫力がある。アメリカの黒人のものだったうめきが、今では全世界の言語になっている。この世界の普遍性への憧れが一つのモチーフ。海賊版DVDで取調べを受けているシーンが傑作。ちゃんと映りませんよ、汚れはスポンジで拭いてるし、などといかに粗悪かということで、密売の害がないと当局に訴えている。現在の体制下でDVDは普遍への窓でもあるんだ。そしてヒロインはカフカを読んでいた。愚かな大統領の下で閉塞を強いられているテヘランの人たちも、カフカを読んでいる(本当にカフカを読む人がアハマディネジャドを支持することは不可能だ)。世界の普遍へ憧れている。彼らの熱望が伝わってくる。ここには絶望を凌駕する熱望があった。だからこの話の閉じ方が不満。現状の厳しさは分かるが、もっと開かれた結末は用意できなかったのだろうか。
[DVD(字幕)] 6点(2012-02-23 10:27:45)
3.  そして人生はつづく 《ネタバレ》 
これ日本で初めて映写されたアッバス・キアロスタミ作品だったと思う。『友だちのうちはどこ?』公開より前に東京映画祭で上映された。せっかくの国際映画祭なので、まず一般公開されそうにないイランの映画を選んで見たのに(一本千円)、やがて一般公開されて悔しかった。もちろんこの舌を噛みそうな名前の監督の作品公開が続くことになったのは歓喜したが。地震の被災地へ向かうロードムービーなんだけど、「悲惨」を描く場面が一切ない。明るさと暖かさ。理不尽な天変地異と向かい合ったとき、かえって見えてくる「人の生活の明るさと暖かさ」、それがそれとはっきり輪郭を見せてしまう一歩手前でスケッチしているようなところが、すごくいい。静かで穏やかなものとして。立ち小便する少年が、どうも広いところではやりづらく、細~い木の陰になってするユーモアでまず引きこまれた。壊れた店でジュースを買おうとするあたりのアレコレ。そういうロードムービーの中で目的地のコケルの町が聖地のように特化されていく、一種の巡礼のようになっていく。渋滞(『ウィークエンド』よりすごい)から脇道に入って、ますますコケルが聖化されていく。展開する明るさも、別に「息苦しい市民社会から解放された」なんてんじゃなく、そもそもそう窮屈な土地柄ではなさそう。この不思議な明るさを見るだけでも心ときめくフィルムだ。ロングで捉えた地割れもすごかった。これが初めて観たイラン映画だったが、イスラム臭が全然ないのに驚かされたものだった。のちに『友だちのうちは…』を観たあとで再見したら、また味わいが深まった。
[映画館(字幕)] 8点(2012-01-08 10:06:51)(良:1票)
4.  友だちのうちはどこ? 《ネタバレ》 
いいのは母親とのやりとりのところ。アハマッド君は間違って友だちのノートを持ってきたことを発見する。返さなければ今度こそ友だちにとって大変なことになる。返しに行きたい。しかし母親は次々に用事を言いつける。ノートを口実に遊びたがっている、と母親が誤解していることを彼自身分かっている。つらい立場だ。落ち着かない。弟は宿題を済ませたから遊べるんだよ、と母親は教訓を垂れる。そのとき彼はイライラするのではなく、キョトンとした表情で静かに困惑するのである。これがいい。イライラするのは、誰かに自分の困惑を見せたいからだ。最終的にドラマをまとめてくれる物分かりのいい大人に見せたいからだ。しかしこの映画ではそういう大人は残酷なくらい排除されている。それらしく登場する老人もけっきょく少年の足かせになってしまうし、先生もただ鈍感なだけ。少年の気持ちを汲み大人の世界に翻訳してくれる救済者はついに登場しない。少年は最後まで世界の中にただ一人で立っている。そういう少年だからこそ、別の場所に一人で立っている友人のことに心を寄せられるのだ。ただ一人で立つ少年は、責任という問題に出会っている。宿題をやることが出来なくなっている友だちを助けられるのは、彼一人しかいないというところが辛いのである。おそらく今まで一度も母親の言いつけに背いたことのない「いい子」だった彼が、ここでそれよりも「責任」を、キョトンと困惑しながら選び取っていく。イスラム社会では強大であろう親や老人たちの言いつけを越えて、友だちの家を探しにポシュテの町へ走っていく。翌朝、間一髪で彼は友人を救うことが出来る(ここらへんの友人の絶望しきった描写が傑作)。彼のしたことは先生や親に褒められることでもなく、ただ友人の心配を消したことである。その充実が彼への最大の褒美だ。そういう彼の昨晩の冒険の証人には、小さな一輪の花がふさわしい。
[映画館(字幕)] 9点(2011-11-10 10:02:51)(良:2票)
5.  オリーブの林をぬけて
これは何て言うんだ、恋愛映画じゃなくて求愛映画ってのか。映画内映画という枠組みで、演じることと本心とが曖昧にされ、つまり娘の無関心が本心か演技かというスリルがあって、その限りなくややこしい状況の中で、ストレートにひたすら求愛する。その求愛の「ややこしくなさ」、「ストレートさ」が気持ちいい。やたらしゃべるのに、ほれぼれと聞きほれる。車からの視点が前作に続いて光る。バスを追いかける冒頭のとことか、サイドミラーも構図に入れたシーンとか。二つの動きが一つの画面に混在するめまいのような気分。随所にペルシャンブルー。物分りの悪いおばあさん、この人の映画では年寄りはあまりいい役を振られない。
[映画館(字幕)] 7点(2010-07-11 11:53:19)
6.  クローズ・アップ 《ネタバレ》 
もし家族が資金を出したりすれば、一編の映画が出来上がってしまっていた。そしたら彼も、もう本物の映画監督になったわけ。これを裏返してみれば、キアロスタミ自身も、自分の中に卑小な詐欺師の部分を持っていると感じているのかも知れない。単純な“映画愛賛歌”の映画ではないだろう。クローズアップした顔は、もう顔でしかなく、職業を持たない。またロングで捉えると、ホンモノとニセモノ似てるんだなあ。アイデンティティのゆらぎ、と言うとものものしいが、そういったテーマを含んでいる。冒頭の車中、バスの中での会話、クローズアップの切り返し。嘘がばれるあたりの不安の演出なんかうまい。ひそひそ話しながら部屋に入り、何となくヒンヤリとした空気。運転手がころがした空き缶の演出。オートバイ二人乗りの映画の企画が、ラストで実現する。赤い花が家に戻っていく。などなど、演出・構成の妙がたくさん。ちょっとした誤解が引き金となって、つい演じてしまうことってあるなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-16 11:58:24)
7.  パンと裏通り 《ネタバレ》 
なんかこれ、最も純粋なキアロスタミの世界なんじゃないか。ほとんどサイレント映画の精神。でももちろんトーキーで、オブラディオブラダに乗って、少年がカンを蹴りながら歩んでいく。犬の登場。陽気な音楽はゆるゆると消え、犬の目つき。その距離。無関係な自転車の通行人。老人(イヤホン)が登場。リズムに乗って一緒にいくと、犬の寸前で老人は左折してしまう。犬にパンを少しやると懐いてついてくる。一緒に並んでいく。門での別れ。犬はそこにうずくまる。犬はこうやって少しずつ歩んでいるのかも知れない。続いてミルクを持った少年がやってくる。…とこう書いていっても仕方がないんだけど、なんか書きたい気分にさせる映画なんだ。処女作でその作家の立脚点みたいのが分かるっていうけど、ほんとにそう。影の輪郭のはっきりした裏通りの気分を背景に、少年の心の変化をていねいに綴っている。おつかい帰りの浮き浮きした気分から緊張、そして友だちの発見、後ろ髪引かれる気分、と来て、しかしここで不意に犬の心に移るとこがすごい。等価なんだね。ここでワッと世界が広がる。映画における純度の高さってこういうのを言うんだろうなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-01-25 12:04:07)
8.  トラベラー 《ネタバレ》 
サッカー少年、すでに落第していて、不良とまでは言えないが“困った児童”。彼がどうしてもテヘランで行なわれるサッカーの試合を見たいという情熱の塊となり、ほとんど求道者となる話。あんがい中世の宗教家なんてこんな面構えをしてたんではないかなあ。野卑にして高貴。“道”のためならなんでも行なう。一心不乱。まず金集めを始める。家のものを盗んで母親に学校に言いつけられると、被害者づらして「母さんが嘘をつくんだよう」と泣く。偽の写真屋になって友だちを撮り、5円ずつもうける。カメラの向こうですまし顔をする子どもたちの顔顔顔。ついに自分たちのサッカーボールやゴールまでも売ってしまう執念。ここらへん、主人公に崇高さまで漂って見えてきた。友人てのがよくて、友の狂乱につきあいつつも戸惑っていて、いい対比。夜の出立のとき何度も呼びかける場が圧巻。ガッセム君は、友のことなど全然頭にないんだけどね。でテヘラン、切符は手前で売り切れ、迷わずに帰りの運賃をダフ屋に出してしまう。以下、建て前としての教訓映画的な展開になっていくんだけど、映画観ている我々はこの少年のエネルギーに感嘆するほうが先になるわけ。彼はどうやって帰るんだろう、もしかするとこのままテヘランに居続けるのかも知れない、そのときあの故郷の友人の懐かしさがひときわ立ち上がってくるのではないか、などその後をいろいろ想像する楽しみもあるラスト。
[映画館(字幕)] 8点(2010-01-12 12:06:09)(良:1票)
9.  ホームワーク(1989) 《ネタバレ》 
最初のうちはシンプルなインタビュードキュメントだ。子どものアップ、それを捉えるカメラ、そしてたまにキアロスタミ本人、の三つのカット。このカメラのカットは、自分たちが子どもに与えている威圧感を意識して見せているのかもしれない、ほとんど尋問というイメージがある。子どもをインタビューしつつ、子どもの視点も入れているわけ。インタビューで繰り返されるのは罰についての質問、そこからイラン社会の状況へ滑り込んでいく。戦争と喧嘩は違うのかなあ、といった呟き声。海外教育をつぶさに見てきたというオッサンも割り込んでくる、日本の子どもの自殺にまで言及して。でも見どころは泣き虫小僧の登場からだ。少しずつ醸し出されていた「罰」のモチーフが前面に出てくる。定規が折れるほど叩かれて、怯え切ってしまっている少年、友人が一緒にいないと不安になる、パニックになる。その親へのインタビューがあって、外での儀式。音が絞られていく。監督は、子どものざわつきで儀式が非礼になるからとタテマエを言っていたが、もちろん生き生きとして子どもたちを見せるためであろう。そしてもう一度泣き虫君の登場、もう怖くないと言いながらだんだん危なくなってくる、そして奇跡の瞬間、後ろの友人に支えられた心で朗々と宗教詩を朗読するんだ。こっちが泣けた。世界に対してハリネズミのようになっていた子どもの心の中にも、やはり詩があったってことか。このストップモーションの的確さ。イランではNoのとき「チッ」っと音を立てるんだね。
[映画館(字幕)] 8点(2009-12-19 11:56:23)(良:1票)
10.  白い風船
あくまでおつかいに出た少女の心理に寄り添いつつ話を進めていき、ラストでパッと三人称になる手際。ある意味では残酷だが、しかし少女の世界がパッと開けて、仕立て屋の徒弟やら兵士やら風船売りやら都会で独りぼっちで暮らしていた周囲の星々が輝き出す、という感じ。もしかすると彼らの対極にあるのは、家で怒鳴っている父親(とうとう姿を見せない)なのかもしれない。第三世界の映画というと「家族の愛」とか「地域の親和」とかのテーマを読み取りがちだが、「都会の孤独」だってやっぱりテーマになるのだ。大人の社会に触れる子ども。おばさんには愛想よかった仕立て屋が、子どもだけになると無視する。大人は大人の客とのケンカで頭がいっぱい。そして変なオジサンっぽい相手には用心しなくちゃいけないし。そういう緊張があって初めて、子どもたちがガムをくちゃくちゃやり、目を見かわし、なんとなく笑ってしまう、なんてスケッチが生きてくるわけだ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-08-11 11:56:23)(良:1票)
11.  運動靴と赤い金魚 《ネタバレ》 
イタリアのネオ・リアリズムがこんなところにまで流れてきてたのか、とも思うが、あちらはしばしば社会から見た子どもが登場したのに対し、こちらは子どもから見た社会が描かれている。子どもだってけっこう気遣いするのだ。なくした靴のことで親に心配をかけないように心を配る。妹は妹で試験を早く終わらせたりする。兄の妹への負い目、妹の兄への気遣い、と兄妹の間での心の揺れに、また友だちとの間でも、同情やその同情があっさり捨てられるところが描かれ、とても豊かに子どもたちの世界が立ち上がってくる。お父さんの庭師訪問のさいの内弁慶ぶりがケッサク。お父さんがかわいく見えた。マラソンのシーンで音楽が入らないのも正しく、ふと前を見ると誰もいないカットがうまい。そうした演出の的確さは、金魚が寄ってきて赤い靴となるラストで最高潮に達した。
[映画館(字幕)] 8点(2008-11-19 12:12:55)
12.  風が吹くまま 《ネタバレ》 
例によってクネクネと道を行く車。子どもに導かれて近道の斜面をのぼると、またそこが上下左右がクネクネの迷路のような住まい。でもこれら迷路のようだけど、迷いこんだという感じはなく、言ってみれば豊かなヒダのよう。この風景というか風物というか空間が、映画のツボだ。ヒダのある豊かさ。丘の上が唯一外界と通じるケータイの聞こえる場所で、それが墓場の中でもある。死の近い老婆がいるが、あっさりとした出産もあり(すぐ洗濯物を干している)、猥談もかわされるし、顔は見せぬが若い恋人同士もいる。人生のさまざまな姿がヒダのように重なっている。死を待っていた主人公が、丘の上で人を救うことになり、その医者を老婆のもとに連れていく展開。天国のように美しい麦畑が映画を包み込んでいる。
[映画館(字幕)] 7点(2008-10-20 10:02:00)
13.  オフサイド・ガールズ 《ネタバレ》 
サッカーの試合前の興奮で始まり、試合後の興奮で終わる映画。この興奮から締め出されてなるものかというガールズの奮闘の話、いや、なかなか奮闘させてもらえないんだけど、その気合いだけは凄い。終わって思い直してみると、ホントこれだけの設定で、あれだけ豊かな時間が流れていたことにびっくりさせられる。恨みがましくなく、とりたてて女性を締め出す制度への批判を大声で叫んでいるわけでもない。まあ批判は許されてないんだろうけど、そのためにホノボノとした笑いにひたされた良質の時間が生まれた。憂い顔の責任者の小隊長がおかしい。田舎の出で都会の女性への偏見を募らせているけど、憎めないヤツ、この映画に登場する人物の中で唯一サッカーに興味を示さない。絶えずボヤいていたその彼が、車のラジオのアンテナを一生懸命いじるとこが、笑わせつつ感動もの。ほかにも、見張りの兵が実況中継をするとことか、捕えられているコーナーをサッカー場に見立てていくとことか、ささいなことなのに面白い。隙を突いての逃走で見せる一瞬の開放感。この映画は、スポーツを見せないで見事なスポーツ賛歌に仕上げた。上映時間がほぼ90分というのも洒落ているではないか、ロスタイム2分が付いた92分。イラン映画ではキアロスタミの『トラベラー』という傑作が、これまたサッカーを見られない子どもの話だった。なぜか競技場の外でいいドラマが生まれる国だ。
[DVD(字幕)] 8点(2008-09-21 12:18:05)(良:1票)
14.  ダンス・オブ・ダスト
煉瓦の粉を含んだ風がずっと吹いている。どこか怯えを秘め、老成した少年の顔。顔がいい映画だ。雪印の缶や日本語の古新聞(煉瓦がくっつかないように、焼くときに貼りつける)などが出てきて、経済流通の裏を垣間見られる。説明が排除されていて、意味になる前の映像が剥き出しで提示されている感じ。母が背中に煉瓦を乗せているのは、民間療法か呪法の何かなのか。しばしば天に突き上げられた手、雨乞いかと思っていたら、どうもそうではないらしい。ここでは雨はせっかく作った煉瓦をまた泥に戻してしまう忌むべきもののよう。詩として鑑賞すべき映画なのでしょう。
[映画館(字幕)] 6点(2008-08-01 12:11:04)
15.  キシュ島の物語
シュールレアリズムは土地を選ばない。開発途上国なら自然主義的な作風だろうと思い込んでいるとうっちゃりを食う。いや、生まれはヨーロッパだったけど、シュールレアリズムが育ったのは、南米など第三世界が主だったような。第1話、ストーリーだけだと、先進国のゴミが打ち寄せてきて、って、なんか風刺が強い作品かと思われそうだが、ダンボールが水面にタプタプ揺れているとこなんかコラージュ的な美しさがあり、単純に風刺だけで理解し終えない後味が残る。第3話のドアを背負って道を行く男なんて、寺山修司の作品の一コマにでもありそう。いまやシュールレアリズムは中近東で発達中だ。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-29 11:06:21)
16.  酔っぱらった馬の時間
おそらく車とは縁のない斜面で暮らす少年が、タイヤを密輸で越境させようとするが、タイヤはふるさとの側に転がり落ち、彼と弟とラバが未来の側に越境する、地雷原の広がる未来に。そういう話だ。イランのクルド民族の話だけど、障害者を持つ家族の話でもある。障害者を扱った映画って、いつもだとちょっと構えてしまうところがあるのだが、これはマッスグに入ってきた。生きることが苛酷なのは、ここでは障害者だけではないからか。このラバは姉が嫁入りする引きかえで手に入れたもので、姉の想いの代価になっている。だからラストの越境は、ここで戻ったり死んだりしては姉の想いが無駄になってしまうという後押しがあったからで、兄弟愛姉妹愛がここで一点に結ばれた、そこがいい。包囲する雪の白さの迫力。
[映画館(字幕)] 8点(2008-06-03 12:16:28)
17.  少女の髪どめ
献身の愛とストーカーの違いってあるのか。ただ見守るだけの愛、見守って出来るだけのことをする。自分のIDカードすら投げ出してしまう。ただただ尽くす。見返りは求めない。もう究極のストーカーで、究極の献身愛。ほとんど民話に近い物語が、難民問題というすごく現実的な背景で語られる。映画ってすごいなと思う。工事現場の監督や仲介者など、悪役になりそうな人が悪役になってないのもいい。ラスト、少女がパッと顔を隠す。強い拒絶ではない。ダメなのよ、というメッセージなのか、ともかく主人公に男として対したことを意味し、それをこれまでの献身に対する唯一の見返りとして、彼は満足の笑みを浮かべる。いい話を聴いた、という満足がこちらにも残る。
[映画館(字幕)] 8点(2008-05-16 12:20:31)
18.  明日へのチケット 《ネタバレ》 
キアロスタミ篇が好き。ずうずうしいおばさんとひたすら服従している若者の謎のカップルが乗車してくる。このずうずうしさぶりがやたらリアルで、こういう人、世界中の至るところにいるんだなあ、と思わせる。ここに若者の同郷の少女が絡んでくる。これがちょっとミステリアスな表情するかわいい子で、おばさんと彼女と、これでも同じ女性という種属なのか、と驚かされるほどの鮮やかな対比。後段でついに堪忍袋の緒を切って逃げた若者を追い、列車の中を探し回るおばさんの表情に少女のような不安が浮かんでくる。しょんぼり一人で下車したおばさんを見つめる少女の表情に、おばさんのような冷たさが浮かんでくる。本当はたぶんそういうテーマではないのだろうが、これ、女は不気味かつ不思議という話と私は見た。
[DVD(字幕)] 7点(2007-10-19 12:17:03)(良:1票)
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