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プロフィール
コメント数 413
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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1.  一心太助 男一匹道中記 《ネタバレ》 
シリーズ最終作『一心太助 男一匹道中記』。これまでの江戸を舞台にした一心太助シリーズとは一線を画するロードムービーであり、途中、太助が親分となる任侠ものかと思えば、最後は『1900年』ばりの民衆蜂起を見せつける。60年安保の影響もあり、最後の大立ち回りも錦之助の体技やチャンバラではなく、一揆を先導するアジテーター太助に置き換わっている。いろいろな趣向があって、評価が分かれるかもしれないが、私は好き。なんだかんだ言って、やっぱり錦之助の太助に尽きる。太助が画面に現れれば、威勢の良い啖呵が魅力の太助にちげぇねぇ。喧嘩が強くて、人情味あふれる、表情豊かな太助は、やっぱり錦之助だなと。  途中でジュリー藤尾と田中邦衛が現れた時には、これは若大将シリーズの影響もありか?とも思ったが、さすがにそれはなかった。日本橋から東海道を下り、保土ヶ谷まで。舞台は横浜か。ロードムービーならではのロケーションも楽しめた。あの島々は何処だったのかな。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-07-14 00:47:36)《新規》
2.  家光と彦左と一心太助 《ネタバレ》 
シリーズ4作目『家光と彦左と一心太助』。意外ながらとても良かった。 大久保彦左衛門が月形龍之介から進藤栄太郎に、お仲が中原ひとみから北沢典子に代わる。前作で死んでしまった彦左が、川勝丹波守で神尾備前守たる悪徳旗本だった進藤栄太郎になったことに最初は違和感バリバリだったが、意外にも進藤彦左も世話焼き感満載で、B級的なそれなりの味がある。  見た目そっくりの錦之助による太助と家光の入れ代わりは、コメディの常套でもあり、面白かったけど、やはり最大の見所は、最後の錦之助−家光と錦之助−太助の大立回りの競演。そこに賀津雄−忠長も加わる。東映イチと言われた錦之助の美しい立ち回り、それを家光で堪能できる。そして、荒々しい太助の体技による立ち回りも。こんなスカッとするチャンバラは他にない。東映時代劇でも最高に属する場面なのではないか。  山形勲も正義の伊豆から一悪党に逆戻りとなるが、同じシリーズなのに東映も人使いが荒いというかなんというか。
[インターネット(邦画)] 9点(2024-07-14 00:47:13)《新規》
3.  一心太助 男の中の男一匹 《ネタバレ》 
シリーズ3作目『一心太助 男の中の男一匹』。太助とお仲の結婚式での喧嘩大騒動から始まり、今回は進藤栄太郎演じる悪徳旗本の神尾備前守が相模屋と結託して魚河岸乗っ取りを図るという天下の一大事が本筋となっている。  中盤で彦左が倒れ、そのまま亡くなってしまう為、騒動終結のお上側の立役者は彦左から松平伊豆守に代わる。山形勲のセリフ回しもなかなか重厚で、悪役よりもこういった正義の伊豆の方がぴったり合うように思える。  今回も喧嘩シーン、お仲との夫婦愛を感じるシーン、お約束の大立ち回りがあり、見せ場満載である。ここぞという時に、正義の老中伊豆が駆け付け、間一髪、魚河岸の親方が救われる。スリリングな展開で、そうなるのは分かっているが、最後に一件落着で留飲を下げる。富士裾野での家光と彦左の遠乗りシーン、ラストの家光とのやり取りもよかった。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-07-14 00:43:09)《新規》
4.  一心太助 天下の一大事 《ネタバレ》 
シリーズ2作目『一心太助 天下の一大事』。カラーになって太助の男っぷり、お仲の可愛らしさが光る。 太助の縦横無尽の活躍、お仲との関係性、彦左との確執も太助の一人前となった証左でもあり、なんとも眩しく感じる。今回は進藤栄太郎演じる悪徳旗本の川勝丹波守が木場の相模屋と結託して悪行を尽くし、屋敷に奉公した許嫁のいる腰元を誘拐する等の天下の一大事が本筋となっていて、勧善懲悪ものとして大いに楽しめる。太助と彦左の仲違いもあり、今回は松平伊豆守が躍進する。  最後のクライマックスのシーンは圧巻。大勢の民衆、魚河岸衆と木場衆が神輿を担いて威勢よく闊歩するお祭りの喧騒にまぎれて、魚河岸衆が木場の相模屋を襲撃し、川勝から誘拐された腰元を救助、大立ち回りの太助や魚河岸衆が大活躍。太助の刃のないチャンバラシーンも宮本武蔵の般若坂ばりのダイナミックさがあってとても痛快だった。そして天下のご意見番の到着。男同士の名呼びと抱擁。やはり錦之助と月形龍之介コンビの一心太助シリーズのクライマックスがこの回、このシーンでしょう。  家光、彦左、太助が一同に会するラストシーンもよかった。家光と太助は二人とも錦之助なんだけど、うまく演じ分けているというか、全く違和感がない。彦左の「馬鹿につける薬はございません」からの印籠取り出し、家光の「いつまでの馬鹿でおれよ」というセリフにも熱いものを感じる。やっぱり最後は日本一の徳川将軍、締めは箱根から見る富士の絶景なのです。
[インターネット(邦画)] 10点(2024-07-14 00:41:48)《新規》
5.  生きる 《ネタバレ》 
『生きる』の原案はトルストイの『イワン・イリッチの死』。死病に伏した主人公の独白、孤独と絶望がテーマ。彼は死を前にして自分に「生きがい」がなかったことに煩悶する。『生きる』の主人公、志村喬演じる渡辺課長は癌発覚後、これまでの生を反芻しつつ最後の「生きがい」を見つけることで救われる。このオリジナルとの違いが黒澤ヒューマニズムの境地と言われる所以だろう。黒澤が『生きる』と題した物語のテーマはやはり「生きるとは何か?」なのだ。  とはいえ、実は『生きる』は渡辺課長が亡くなった後半からが面白い。通夜の席での「ナマコ」「ドブ板」「ハエ取り紙」といった曲者たちの喧喧諤諤には何度も感嘆した。さらに翌日の彼らの変わり身の早さを示すラストにも唸る。たとえ副次的であっても、あの通夜のシーンで、組織から個へ、組織に囚われる個の本質を見事に描いてしまったが故に、この映画のテーマが「個と何か」だというのも理解できる。それは「凡夫」であり「悪人」である人間の本質と言ってもいいだろう。
[インターネット(邦画)] 9点(2024-04-30 22:28:01)
6.  いつか読書する日 《ネタバレ》 
気持ちというものは、言葉にして初めて形になる。他者に表明して初めて具現する。そうでない時、それは得体の知れないものとして在る。表情として、仕草として、態度として、それは明白なものでは有り得ない、、、と僕は思う。 田中裕子と岸部一徳は、お互いにお互いを意識する間柄であるが、それは今の日常に踏みとどまるよう気持ち(言葉)を抑えることで成り立っているが故に、彼らの中には、「得体の知れなさ」が、幻想として肥大している。時々、敢えて言葉にしてみることにより、自らの感情を認識しつつ、それはガス抜きされる。いわゆる「恋」である。倦怠さを超えて尋常かつ切実に繰り返されてきた30年間に渡る「恋」のファンタジーである。  唐突であり、また都合のよい展開。それもファンタジーとしての物語である。  30年間思い続け、それが成就するというファンタジー。「恋」を扱った物語として、それは必然の展開なのではないか。  「いつか読書する日」というのは、いつか彼女が買い揃えた文芸小説を心静かに一人読んで過ごす日(は「そのこと」を超えないとやってこないということ)を指し示しているのだと僕は思った。そして、過剰な思いや欲望を意識しつつ、自ら抑圧した長い日々があり、言葉を紡いだ「その日」があり、お互いを心のままに求め合った瞬間があり、それらが想い出に変わる日々、瞬間を永遠のものとして、これからようやく様々な物語を自らに引き入れることができるのであろうことを暗示しているのだと思った。もちろんそれが解釈として妥当なのかどうかは分からないけど、この映画がそういった想像を含め、様々な思いを喚起させることは間違いない。  幾多の社会問題を散りばめながら、その関係性の中でさざめく日常があり、日常を超えて持続した「恋」のファンタジーがある。胸を突く、感動的な映画だった。 
[DVD(邦画)] 9点(2010-03-05 00:40:57)
7.  異人たちとの夏
この作品は本来、美しきホラー映画になるべきものであったと思う。片岡鶴太郎と秋吉久美子演じる両親との暖かい再会と名取裕子演じる女性との恋愛。この2種類の死者達との邂逅/交流のストーリーを同列に見なければ物語の真意は掴めない。ファンタジーの裏側にあるグロテスクさ。僕らはそれに惹かれるのだ。本来はその幻想性と一体であるはずのグロテスクさを一身に引き受けてしまった名取裕子の存在を完全に否定したい気持ちは分からないでもないが、これはそういう物語なのだから仕方がない。異界との交流を描くファンタジーとは、いつでもそういう地平の上で描かれるべきものなのだ。誰もがノスタルジックな気分に浸れる両親との切ない別れのシーンは確かに泣けた。それと対比するはずだった恋人とのおぞましき対決シーン。その出来栄えが、、、何ともチープな超B級特撮とは。。。確かにちょっと言葉を失うけど、「ハウス/HOUSE」や「漂流教室」の大林宣彦監督だから、それはそれで仕方がない。というか、やっぱりもったいなかったよなぁ。
7点(2004-04-07 18:41:14)
8.  インディアン・ランナー
正義漢の兄と落ちこぼれの弟のお話。兄弟は、話の展開にしたがって徐々に心が離れていくようにみえる。理解しあえるようでいて、それはどんどん遠くに離れてしまうのである。そのことの理由は語られない。最終的に警察官の兄が犯罪者となった弟を追跡するシーンにまで至り、父親は兄弟の確執とは関係のないところで意味もなく自殺する。図式はありふれているし、話としても結構単純だ。しかしそのモチーフは僕にとって切実に思えた。兄は弟を追いながらそのことの意味を理解できない。弟は兄に追われながらその理由を失っている。自分の心さえ掴めない寂莫感にお互いが自覚的ではあるけれど、最後に兄が弟を見逃すシーンに言葉はなく、ただ「アイ・シャル・ビー・リリースト」(byザ・バンド)が流れるのみ。「いつかきっと僕は解放されるだろう」 あー、なんてリアリティのないフレーズだろうか。そのことの空虚さが心を締め付ける。「インディアンランナー」はたぶん時代遅れな映画だ。すべてに自覚的でありすぎる分、それはもう時代遅れなのだ。僕らはその時代遅れの気分でしか、もう心を震わすことができないかもしれない。それはとても切ないことだけど…。 <ちなみに冒頭で、狼の力を盗んで鹿狩りをするインディアンの逸話が出てくる。弟の中で幻影のように現れるインディアンとは、自分自身に潜む凶々しさとその神々しさが一体となったスピリチュアル・イメージであり、その「らしさ」に理由がない絶対的な存在としての強迫観念でもあるのだ。>
10点(2003-11-08 19:24:47)(良:2票)
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