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21.  有りがたうさん 《ネタバレ》 
心が洗われるような隠れた名作である。低予算でも良い映画が作れる好例だ。伊豆は天城の二十里の街道を悠々と走る長距離バスでの道中物語。牧歌的で快活な音楽が流れる中、舗装道路も電信柱も一切ない、真に鄙びて閑閑たる山村風景が写しだされ、乗客はみな実に悠然たる語勢で会話をする。運転手は道を譲ってくれる総ての人に「有難う」を言うので、付いた綽名が「有難うさん」。鶏にまで礼を言う律義さだ。道行く人から言付けや買い物を頼まれれば快く応じる。心根が優しい上、街道一の二枚目なので、若い娘達は放ってはおかない。シボレーを買って開業するのが夢だ。 一見安穏として朴訥たる乗客の姿に見えるが、その背後には、昭和恐慌の深刻な不景気の影響をまともに受けた農村の疲弊という悲劇が隠れている。 その代表が、身売りに出される娘だ。娘は我が身を恥じ、知人の姿を見れば隠れ、母に何度も説諭されても泣く。東京見学帰りの裕福な娘から声をかけられるが、心は上の空。運転手を思慕する気持ちも見え隠れする。娘に対する哀憐の情を隠せない運転手だったが、簡潔な別れの言葉をかけるのが精一杯だった。 そこに居合わせたのが、酸いも甘いも噛み分ける流れ酌婦風の女。二人の想いを察して、運転手の肩を押すように言う。「シボレーを買うお金があったら、ひと山いくらの女がひとり減るのよ」 ここで大胆な省略法が使われ、次の場面は翌日の帰りのバスの中。身売り娘と母が乗っている。「渡り鳥ならまた帰ってくるがね」「あの人いい人だったわねえ」何があったかはっきりしないが、劇中に「有難うさんも嫁を貰わなくちゃ」とあることから、二人は結婚を決めたのだろう。清新な演出。娘も運転手も峠を越えるように運命を潔癖に受容する。それが「長生きのこつ」なのだろう。 最も憐憫の情を禁じ得なかったのが朝鮮女の逸話だ。流れの道路工夫だった父親が死に、信州に行くので、墓の世話を運転手に頼む。「一度日本の着物を着て、有難うさんの自動車に乗って通ってみたかったわ」駅まで送るというと、女は疲れ果てて山道を歩く同胞の姿を顧みて、「みんなと一緒に歩くの。みんなと一緒に」慎ましい願さえも叶わない、異郷で辛い仕事に従事する女の悲哀。この逸話で作品の重みがぐっと増した。 運転手があまrに現実離れしすぎている懸念があり、好みの別れるところ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-06 03:24:34)
22.  喜びも悲しみも幾歳月 《ネタバレ》 
灯台守という特殊な職業を一般に知らしめた佳作。 灯台守に従事する夫婦が、長年に渡り、困難にみまわれながらも奮闘する姿を描く。仕事の性質上、責任は甚大で、疎漏や落ち度は許されない。勤務先は離島か岬の僻地に限られ、転勤が多い上、嵐の日も勤務、まとまった休みは取れずと、その労苦は察して余りある。特に子供の教育には支障をきたす。 主人公有沢四郎、きよ子を含めて四組の結婚が描かれ、同僚夫婦の挿話も多いことから分る通り、主題は夫婦愛だ。 ある夫人は、灯台守の寂しさと子供の事故死が原因で狂人となってしまうが、それでも夫は妻を愛していると言う。 後輩の野津と真砂子夫婦は、一度は破談したが、紆余曲折の末に結ばれた。きよ子と同郷の女は、きよ子に振られた男に冷淡にされ自殺を決意したが、翻意して、数年後その男と結婚した。だが結婚生活は不幸なものだった。有沢夫妻の娘は、海外勤務の夫と結婚してカイロへ旅立つ。 日本最古の観音崎灯台から始まり、日本各地を巡り、四季折々の風景を写し、戦争等の時事を交え、娘夫婦の海外渡航で終る。市井の人としては波乱に満ちた人生で、老いた二人が最後に人生を回顧する場面は感動的だ。物語を日本国内に留めず、海外にまで伸ばしたことで視点が広がった。練りに練り込まれた脚本で、賞賛に値する。 しかし、謹厳実直な夫と、よく従う妻という「夫唱婦随」を絵にした「教科書的な」夫婦で、どこか物足りない。 最大の問題点は、二人の出会いの場面が描かれていないこと。四郎は父の死に帰郷し、翌日見合いし、翌日結婚した。きよ子も迷わず結婚を決意した。尋常でない。その辺りの事情や心情が省かれている。説明する必要はないが、二人が出会って結婚する場面を描かないと、夫婦の始まりの部分が空白で、物語が完結しないと思う。もう一つの問題は、最大の波乱かつ遺恨である息子の死について。事件に至る経緯や刺殺事件の実態が一切描かれない。これは手抜きだ。夫婦の契りが試される最大の事件であり、これを乗り越えてこそ真の夫婦に至るのであり、この事件を抜きにして二人の人生は語れないと思う。息子の掘り下げをしなかったのは、時間の制約によるものだろうが、甚だ残念である。 最も印象に残るのは、きよ子とが真砂子が浜辺で再会する場面だ。演技力も演出も撮影技術も申し分ない。二人の老け演技も佳い。一方で、米軍機の機銃掃射場面は貧弱だ。 
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-05 14:07:58)
23.  ひめゆりの塔(1953) 《ネタバレ》 
原作「ひめゆりの塔」の他、数多の資料を渉猟し、体験者の聞き取り調査も行っているので、描写が細部にまで行き届いている。綿密な脚本が成功の要因だろう。予算の関係か、米軍の描写がほとんどないので、沖縄地上戦の肉弾戦の凄惨さや臨場感は伝わってこない。機銃照射が当っても血が出ない。が、それでも戦争映画の最上部類に入る。何より、洞窟を利用しただけの不衛生な野戦病院で、医薬品も水も食糧も水も乏しい中、懸命に声をかけながら負傷兵を看護してまわる乙女等の純真な姿が胸を打つ。この場面だけでも観る価値がある。他に感銘を受けたのは、「戦争の犠牲になって散った乙女達」という暗鬱な主題であるのにも関わらず、青春の真っ盛りである彼女達の無邪気さ、天真爛漫さ、そして肉感的なまでの生命の躍動感というものをみずみずしく描ききっているいることだ。歌を唄いながら行進する場面、友達のもの真似をしてはしゃぐ場面、沖縄民謡を舞う場面、川で水浴びをする場面、髪を解かす場面、久しぶりの朝日を浴びて 欣喜雀躍する場面、キャベツを投げあって遊ぶ場面、死を決意して敢えて制服に着替える場面など、結末がわかっているのでそれらの場面が一々胸に迫ってくる。その彼女達が次々と命を落としていくのだから、感情移入しないわけがない。被弾場面では、他のどの映画よりも至近距離で爆発しているように見える。体当たりの演技に脱帽する。監督も俳優も心血を注いだ作品だ。他にも印象的な場面が多い。最初の方で、ある母が娘に同行を頼む場面で、少女が「生徒は学校と行動を共にしなければならないの。私を卑怯者にしたくないでしょ」とさりげなく、当時の彼女等の置かれた立場を明らかにしている。軍医が少女らに「夜でも見えるようになる」と飴玉をあげる場面、これは覚醒剤入りだ。乙女達が自殺用青酸カリを欲しがる場面、持っている友人を羨みもする。死を願う程追い詰められた心理状態が伝わってくる。誰かが母親のことを言いだしたら、みんな泣きだす場面。強がっていても所詮はうら若き乙女に過ぎず、まだまだ母の懐に甘えたい年頃だ。洞窟に付いてきた孤児を乾パンを上げたのだからと突き放す婦長。幼子にとっても容赦ないのが戦争だ。優しかった軍医が洞窟を出て行こうとする乙女を射殺する。衝撃的だが、その後手榴弾が投げられ、壕内大爆発し、衝撃に拍車がかかる。奈良岡朋子に似た生徒が出ているのが気になった。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-03 23:12:18)
24.  世界大戦争 《ネタバレ》 
相互軍事陣営核ミサイル同時攻撃という第三次世界大戦勃発による人類滅亡の恐怖と惨劇を東京に住む一家族の日常の姿を通じて描いた作品。平凡な日常生活を送る市民が核爆発によって一瞬にして抹殺される様子を淡々と描けば、戦争の悲惨さは伝わると思うが、登場人物が自分たちの将来を知っているかの如く、いちいち平和の尊さや生きる素晴らしさなど、寓意や誡め、教訓めいたことを述べるので傾倒できない。平和の尊さ、生きる素晴らしさ、戦争の悲惨さなどはわかりきったことであって、説明する必要はない。最後の主人公一家揃っての食事場面が一入感動的なのは、そういった教訓臭が無いからだ。男が、幸福に生きている人間を抹殺する権利なんて誰にもない筈だと、怒りの感情を激白する。「原爆でも水爆でも来てみろ、俺達の幸せに指一本ささせないぞ」の心意気。学校を早引した子供が驚く両親に、「あら、何も知らないの?戦争が始まるんだって」と屈託無く言う場面も心に残る。これだけで十分で教訓や説明は不要。奇妙なことに、誰もが愚かしいと悟っている戦争に至る経緯に関してはほとんど描かれていない。軍事境界線地域での侵入や偶発的な小規模戦闘が拡大したものと理解できるが、それが局地的軍事行動に終わらず、どうして全面的核戦争に展開するのかという肝腎な部分が欠落している。関係各国首脳、国連なども登場しない。日本国に至っては国家首脳陣が「平和のために最大限の努力をしている」と会議室で熱弁するだけで、どんな努力をしているのかさっぱりわからない。又、どうして日本が攻撃されるのかも示されない。ただ軍事同盟に参加しているからでは理由が弱い。首相が病に冒されているなどの悲愴さを盛り上げる設定などはどうでもよろしい。戦争に至る具体的な経緯を描かないで、第三次世界大戦突入の不安と恐怖を描くことができない。一方で市民の日常的な生活を見せつつ、一方で彼等の預かり知らぬところでの政治的な駆け引きを見せることにより、我知らず戦争に巻き込まれてゆく無辜の市民の哀憫さが表現できるのではないだろうか。 主人公家族は歳の差のある姉弟にせず、三世代家族にすれば理解しやすかった。「小さな子がいる神経痛の老いた母親」は分りづらい。「人間は素晴らしいものだがなあ。一人もいなくなるんですか、地球上に……」は大袈裟すぎる。円熟期にあった円谷“和製特撮”は独創性に富み、高評価できる。
[地上波(邦画)] 6点(2014-08-29 14:15:54)
25.  GODZILLA ゴジラ(2014) 《ネタバレ》 
ハリウッドが本気で作った「ゴジラ(G)」に拍手。真実に迫る巨大怪獣の姿に恐怖を覚え、怪獣対決の醍醐味も十分に堪能できた。但し顔の造形は“大熊”似で、敵怪獣ムートー(M)も昆虫系生物で「怪獣美」に欠ける。暗い場面の連続には辟易し、「エイリアン2」そっくりの場面には驚いた。フィリピンの地底、化石ゴジラの胎内で孵化したMは海に入り、日本の原発に地中から侵入して、施設を崩壊させ、卵を産み付けた。15年後、孵化したオスMは飛翔、ハワイに着陸。米軍が攻撃するも、オスMが電磁パルスを発生させ、電子機器を無力化させてしまう。Mの宿敵のGもハワイに到来。両者は激突するもオスMは米国西海岸へ飛翔。ネバダ州の核廃棄物処分場にはフィリピンで発見された繭が保管されていたが、それが羽化し、メスMが誕生。二匹のMはサンフランシスコで合流、追ってきたGもそこに上陸。両者対決し、当然Gが勝つ。人間は仕掛けた水爆を解除するのに大童。水爆は海上で爆発。人間劇は家族愛が主題。妻が死んだ原発事故の原因を突き止めるジョーの執念は、本人死亡であっけなく終幕、後に続かない。ジョーの息子フォードは他人の子供を保護したりするものの、自分の子供とは疎遠で、妻とも疎遠。家族の気持ちが空回り状態だ。ジョーの執念の調査が怪獣退治に結びつき、フォードも父の執念に動かされて軍隊に復帰するという展開なら物語に繋がりができた。又、フォードの息子は母親と行動を共にし、Mに襲われたところをジョーかGに助けられる、あるいはジョーの犠牲で助かる、というようにすれば物語が深まった。ゴジラ第一作のような自己犠牲が見られないところが残念である。 GもMも放射能物質をエネルギーにしているが、Gは核施設を襲わない。核施設を襲い繁殖力の高いMは人類の敵で、各施設を襲わず繁殖しないGは人類の味方という構図だ。ところで最初に羽化したMは行方不明のままだ。日本も米国もMの繭を15年間も研究して、成果はほどんど無し。モナーク研究所は60年もGを追及して、成果はゼロ。このあたりも脚本の反省点だ。オスMが電磁パルスで電子機器を無力化する設定は面白いが、それが後半無くなるのは不自然だ。機能すれば核ミサイルの時限装置も無力する筈だ。フォードの日本の家にあった「○ニラ対ハブラ 火炎ビーム」という怪獣映画ポスターが気になった。教室に貼ってあった「蛾の一生」の絵といい、遊び心がある。
[映画館(字幕)] 8点(2014-08-28 05:29:58)
26.  愛染かつら 総集編 《ネタバレ》 
全編の主要場面をつないだ総集編ではなく、紛失を免れたフィルムをつないで編集した遺憾な総集編。そのせいで筋が滑らかにつながらない。かつ枝が浩三に魅かれる場面、浩三がかつ枝に愛を告げる場面、かつ枝が愛染かつらに愛の成就を祈念する場面、浩三がかつ枝のアパートを訪ねて子持ちだと知る場面、浩三がかつ枝を不実者として憎む場面、かつ枝がレコード会社の歌の公募に応じる場面、浩三、かつ枝、敏子の三人が愛染かつらの前にぬかづく大団円の最終場面。 登場人物は皆もの分りが良く、主人公二人に対して好意的で、意地悪な利害関係者や恋の好敵手も登場しない。二人の恋の障害は僅少だ。にも関わらず二人が結ばれないのは意志疎通を欠くのが原因である。特に、かつ枝が浩三に、自分が子持ちの寡婦であることを告げないのは罪が重いといえる。駅の待ち合わせの場面では、駅に電話して遅れる旨を構内放送してもらえばよかった。京都の滞在先に電報を打つこともできた。病院に復帰戻った浩三に会うなり、手紙を出せば済むような事だ。 戦前の女性は慎しみ深いことが美徳とされたが、逃避行の約束を反故にしたことを謝罪もせず、相手に勘違いさせたままというのは、思いやりに欠ける行為だ。それでも許せてしまうのは、ひとえに女優の可憐な容貌と柔かな物腰、言葉の丁寧さの所為だろう。 浩三も決して褒められるようなことはしていない。意に染まぬ相手と結婚させられそうになったから、手紙を残して家出するというのは分別に欠ける行為だ。病院の再建ももっぱら見合い相手の親に頼りっきりだ。軟弱で、気骨が無いのである。それでも許させるのはずば抜けた美貌の持ち主である所為である。 何といっても映画が大衆の心を掴んだのは、病院長の嫡男と看護婦の身分違いの恋、独身を装うが実は子持ち寡婦という秘密、愛の逃避行の失敗、接近するが会えないというじらし、看護婦から歌手への急展開、桂の木に愛を誓うという浪漫等々、複数の劇的な要素を盛り込んでいるからだ。また恋愛映画にありがちな嫉妬や策謀が無いので清々しいのも利点だ。メロドラマの金字塔の称号に十分値する内容となっている。 気になることが一つ。看護婦達はどうして、かつ枝の独唱会に制服姿で出席したのか。
[DVD(邦画)] 6点(2014-08-27 14:56:34)
27.  ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣 《ネタバレ》 
人類を滅ぼして地球征服を企むアメーバ型知的宇宙生物の無謀な侵略物語。 探査ロケットに憑りついて進路を変えることができるが、その方法については詳細不明である。電子頭脳を操れるのだろう。 宇宙線の飛び交う宇宙空間で生息しているのに、超音波に弱いという奇妙な性質がある。その為、イルカと蝙蝠を極度に恐れる。生物に憑りついて、宿主を巨大化させて操ることができるが、巨大化した生物は総じて腑甲斐ない。 ゲゾラはガソリンの炎であえなく焼死。ガニメは誤まって崖から転落し、弾薬庫の爆破で爆死。カメーバは蝙蝠の超音波で錯乱し、同じく錯乱したもう一匹のガニメと同士討ちをしたあげく、偶々爆発した火山の噴火口に飛び込んで落命。 宇宙生物は人間にも憑りつけるが、完全に脳を管理することができず、宿主の人間が溶融した溶岩に飛び込んで運命を共にした。 尚宇宙船が帰還したのにどうして専門家が気づかないのか、島の原住民がどうして将来出現するゲゾラを伝説として予知していたのか、ゲゾラの体温はどうして零下なのか、蝙蝠はどうしてカメーバとガニメを襲ったのか、人間はどうして巨大化しなかったのか等の謎は残る。最も奇妙に感じたのは、島の娘が、ゲゾラに襲われて記憶を無くして正気でない男と急に結婚をすると宣言したことだ。たとえ婚約者であったとしても、男の回復を待つべきだし、正気を失くしている状態では男の両親が承知するとも思えない。怪物がいつ襲ってくるかもしれない中で、即島をあげての祝宴会というのも解せない展開だ。 宇宙生物に助言するとすれば、イカ、カニ、カメなどの小動物ではなく、ゴジラやキングギドラ等の巨大生物に憑りついて、それらを更に巨大化させなさいということ。それなら地球征服の可能性はあったろう。 怪獣造形はガメラ、エビラの劣化版で、火口に飛び込んで終るのは「フランケンシュタイン対地底怪獣」の二番煎じ。特撮はゲゾラの場面の出来は卓抜だが、残りは凡庸。絶品なのは音楽で、音楽だけでも鑑賞する価値がある。
[インターネット(字幕)] 6点(2014-08-26 21:32:48)
28.  ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 《ネタバレ》 
予算をかけた迫力のある特撮場面が売り物だった「ゴジラ・シリーズ」が「低予算・子供向けもの」に堕してしまった作品。 特撮部分は、壊れる建物などない怪獣島でのプロレスごっこに終始し、しかも多くが過去の作品のフィルムの使い回しという体たらく。最大の期待であった新怪獣ガバラの造詣に美しさは微塵も感じられない。愛嬌あるミニラが救いだが、人間と会話できてしまのはいかがなものかと思う。しかも大きくなったり、小さくなったりする。子供の夢の中という設定に甘えている。映画作りに対する自尊心、特撮魂、ゴジラ愛等は微塵も感じられない。 人間劇では、いじめられっ子が、夢でみた怪獣ランドのミニラに勇気づけられていじめっ子に立ち向かうという話に、間抜けな銀行強盗による子供誘拐未遂事件をこじつける。この強盗犯は首尾よく五千万円強奪に成功したにも関わらず、何をもたついているのだろうか?タクシーかバスか電車等を利用して、さっさと逃走すればよいではないか。予定では、どう逃走する段取りだったのか。敢えて車を盗む危険を負う必要は無いはずである。いじめっ子達との軋轢も、ガキ大将にぶつかっていってすぐ勝利、あっさり解決だ。ペンキ屋へのいたずらは、いたずらできる程元気になった、子供らしさを取り戻したという意味だろう。 このように全体を見渡して、観るべきものは無いといってよい。おかっぱのヒロインにも魅力がなかったと言い添えておこう。 唯一心証に残ったのは「怪獣マーチ」だ。「魔神バンダー」と同じ、佐々木梨里が力唱する。昭和の泥臭さが妙味になっている。映画にはないが三番の歌詞は「怪獣サマが泣いたとさ どうして地球は住みにくい ゴー、ゴー、ゴジラもおどろいた ミ、ミ、ミニラもブールブル ドッスン、ガッタン、ドッスン、ガッタン みんなこわしてしまうけど メガトン、スモッグ、排気ガス これが本当の怪獣だ」となっており、当時の子供の生活を脅かしていた排気ガス、工場排煙等の公害を批判している。「公害」「いじめ」「鍵っ子」「銀行強盗」という当時の社会問題を怪獣映画の中に盛りこもうとした意欲は買うが、無謀に帰した感がある。
[インターネット(字幕)] 4点(2014-08-26 13:45:32)
29.  怪獣島の決戦 ゴジラの息子 《ネタバレ》 
観客が、ゴジラ映画や怪獣映画に期待するものといえば、第一に恐怖を感じたいということだろう。ホラー映画としての位置づけだ。これは同時に巨大生物に対する畏怖の念を感じたいということにも通じる。生命賛美でもあるのだ。次に壮大で迫力ある場面を見たいという欲求がある。具体的には怪獣同士の凄烈な格闘場面、怪獣による街・ダム等の人工物の荘重な破壊場面、原始生命の象徴である怪獣と科学の象徴である軍隊との熾烈な戦闘場面を見たいというようなことだ。これらの要素を満たす怪獣映画が高評価になるのは自明のことだ。 翻って本作品を品評すると、厳しい結果になってしまう。可笑しく擬人化されたゴジラ父子では恐怖や畏怖の念を感じないし、どこか華奢にみえてしまう敵怪獣では格闘場面に迫力がでないし、人工物破壊場面も最小限に留まる上、人間との戦いは皆無だ。 その代わりといっては何だが、人間劇部分に幾分かの目新しさがあるのが救いだ。無人島にいる謎の美少女、復員の途中で研究のため島に留まった考古学者、人類の食糧事情を解決する目的で秘密裡に行われる斬新な気象改造実験、どのような困難が立ちふさがっても実験を続けようとする学者気質の塊のような博士、突如パラシュートで島に降り立ち突撃取材を敢行する若き記者、それらの存在が、劇に魅力的な彩りを添えているのは事実だ。しかし考古学者が何の研究をしていたのか、元々島の昆虫が巨大である理由は何か、ミニラの母親はどうしたのか、などの説明が無いなど、脚本に杜撰な点が目立つ。ゴジラの顔を愛くるしいものにし、ミニラの姿や行動を人間の子供そっくりにしたのは、子供向け映画にしたかった意向の表れである。新機軸であるが、大人の愛好者を失うことになってしまった。シリーズを続けることの難しさだ。カマキラスやクモンガの操演には観るべきものがあった。
[インターネット(字幕)] 6点(2014-08-25 23:41:08)
30.  神々の深き欲望 《ネタバレ》 
土着の風俗・因習の色濃く残る孤絶した島での近親相姦を主題に現代の神話を描こうとした野心作。近親相姦の禁忌が作られる以前の人間の営み、生命の根源に迫る。太山盛、根吉父子は驕傲勃勃として神の怒りを買うような狂気を孕んでいる。山盛は自分の娘と肉体関係を持ち、根吉は妹のウマと恋に落ちる。ある日島に暴風雨と津波が襲来し、巨岩が神田に乗り上げるという椿事が出来した。村人はこの凶事の原因が太一家の近親相姦にあるとし、一家を村八分にし、根吉に巨岩排除を命じ、ウマは村長の妾とされた。それから20年、根吉は足を鎖に繋がれたまま巨岩を埋めるための穴掘り作業を続けている。巨岩は男根の、穴は女陰の象徴だ。両者が合体したとき祈願は成就した。すなわち村長が腹上死し、自由となったウマと根吉は舟で理想郷である西ノ島に向かう。しかし村人に追捕され、撲殺された根吉は鮫の餌となり、ウマは舟の帆柱に括られ流されてしまう。島に漲る野生の生気が文明を受け付けない。都会から来た技師の一人は仕事を辞めて村の寡婦と結婚し、一人は根吉の白痴の娘トリ子の肉体の虜となった。しかし時代の流れには逆らえず、やがて島には飛行機が飛び、機関車も通るようになった。神話が終焉したのだ。目覚しい着想と行動力、困難な作品に挑むその意気込みや良し、演技、美術、撮影技術も高評価だ。しかし看過できない短所がある。それは男と女の情愛だ。二十年もの粒粒辛苦の果てに結ばれる男と女の情愛の深みが充分に描かれていない。ここでの情愛とは正邪、道徳を超越した性的欲望のこと。状況説明の科白ではなく、より感情的に訴える場面が欲しかった。二人の死は禁忌を犯した罰ではない。村長の老妻がウマに嫉妬し、油小屋に火をつけ、村長が根吉に殺されたと虚偽の申告をしたからだ。この執念深い嫉妬も描かれていない。鮫は神の罰だが、嫉妬も神の罰で、共に重要な役割なのに、老妻自体が描かれていない。だから観客は置いてきぼりを食うことになる。神話はもう一つある。トリ子が都会に帰った技師を磯で待ち続けて死んで岩となったというもの。これはとってつけたようなもので精彩を欠く。神話に昇華させるにはトリ子の死を荘厳に描く必要がある。兄亀太郎が肉感的な妹トリ子に近親相姦的感情を持って懊悩するという設定は意味があった。亀太郎は神話を見守る役目で演技が光っていた。名作には到らないが渾身の力作である。 
[インターネット(字幕)] 8点(2014-07-03 15:13:59)
31.  龍の子太郎 《ネタバレ》 
原作は数々の民話を紡いで一つの長編物語として完成させたもの。三年寝太郎、天狗、赤鬼、黒鬼、龍、雪女、山んば、にわとり長者、空飛ぶ白馬など民話の人気登場人物が勢ぞろいで、子供なら充分満喫できる。 物語は龍の子太郎が龍になった母を探す冒険部分と、彼が世の中を知り、他人の為に何かしたいと考えるようになる成長部分とで構成されている。母が子供の食糧として両目を差し出したり、子供の願いを叶えるために我が身も顧みず、死にもの狂いで岩山に体当たりする激烈な母情の発露の部分は非凡で感動を覚える。本作品の最大の魅力となっている。一方で彼が人間として成長していく様子は尋常一様、常識的で、これといって見るべきものはない。民話が孕む怖さ、不思議さ、思いがけなさといったものがなく、予定調和的、教育的で、「飼いならされた民話」に堕している。民話に教訓めいたものなどいらない。背景画は墨絵風でたいそう風情あるが、セル画はこじんまりとまとまっているだけで迫力がないのが残念だ。画面から飛び出すくらいのが躍動感が欲しかった。 天狗が太郎に「百人力」を授けるのは、もっぱら太郎が自分と同じで相撲が好きだからにすぎない。本来太郎が特別な能力を得るには努力や犠牲が必要で、それがあってこそ能力を使いこなすことができるのだ。それを省略しているので、人物に深みが出ない。また天狗が、百人力は他人のために使うときにだけ力が発揮されると説明するが、それこそ無用、無粋というものだ。そのことを太郎が身を持って体験してこそ真の成長があるのだから。その後天狗が登場しなくなるのも欠点だ。 母は利己主義で村の掟を破ったため龍の姿となり、最後は他人の為に身を賭して働いたので人間の姿に戻ることができた。この部分は筋が通っている。一方太郎は旅で見聞を広げ、故郷の山村の人々の貧しさを知り、彼等の為に何をしたいと思った。しかし彼が湖の水を落して水田を造成したのは他郷である。このため物語の納まりが悪い。そこでみんなは幸せに暮らしました、で物語が終るが、では故郷の人はどうなったのか?太郎は、あれだけ優しかったおばあさんのことを忘れてしまったのか?おばさんにお米を食べさせたいという感情が太郎の成長の端緒だったのに。彼が故郷の人々を救って終るのが本来の筋だ。絵も筋も骨太にすればするほど輝く、そんな原作だ。
[ビデオ(邦画)] 7点(2014-06-29 23:08:48)
32.  キューポラのある街 《ネタバレ》 
眉目秀麗で成績優秀のジュンだが、貧しくて高校に行けないという不条理な現実が重くのしかかる。楽して高校に行ける人には負けたくないという負けん気でバイトをしながら受験勉強に励んでいたが、父が仕事を再び辞め、母が酒場で男に抱かれながら働いている姿を見て気持ちが折れてしまう。修学旅行を取りやめ、悪友とバーで踊り、酒を飲んで寝込んでしまう。不良達に乱暴されそうな所を辛うじて逃げ出せたのは幸いだった。登校拒否を続けていたが担任の説得により復学し、卒業後は就職して夜学に通う道を選ぶ。自分で選んだ道だから安易に変えたくないという彼女の気持ちは健気だ。 弟タカユキは幼いので貧困はまだ切実ではなく、笑い飛ばしている。それが一服の清涼剤となって作品に彩りを添えている。 ジュンと同様に不幸な境遇にいる朝鮮人の友人が北朝鮮に帰郷するとき、もっと話をしたかったと言い交すのは泣かせる。 牛乳配達の少年が牛乳を盗んだ子供らに対して、お前らのせいで病気の母の薬代が消えると泣きながら石を投げるも忘れがたい。 結局のところ真の貧困や悲惨さは描かれておらず、父親が都合よく職場に復帰できるなど予定調和で終っている。それでいいのだろう。少女が逆境にめげず、明日を信じて自分の進む道を探しだす姿を描くのが眼目だ。苦境から抜け出そうと懸命に頑張る姿を見ると応援したくなるものだ。頑張る人が成功すると爽快になる。スポーツを見ているようなものだ。それがこの作品の成功の要因といえるだろう。 それにしても主演女優の美少女ぶりには目を見張るものがある。まさに掃き溜めに鶴だ。体を張った演技も好感が持てる。例えばジュンの友達役の誰かが主役を演じていたとしたら、この作品はさほど注目を集めなかっただろう。また子供達に自然な演技をさせた監督の力量も賞賛に値するものだ。脚本に無駄がなく、工場や学芸会の場面など一つ一つ、丁寧に手堅く描かれている。窓を開けると夕陽に染まる街並みが見えるなど印象深い場面がいくつかあった。これが初監督作品で、脚本も自分で書いている。才能のある人だ。 
[DVD(邦画)] 9点(2014-06-24 01:58:31)
33.  北京原人 Who are you? 《ネタバレ》 
去りゆく北京原人とマンモスに向かって「走れ、もっと走れ。自由になれ」と佐倉が叫んで終ることから推考すれば、脚本の意図は、北京原人を野生に戻すことが良心に叶った行為であると結論づけ、生命を弄ぶ行き過ぎた科学に警鐘を鳴らすものだろう。 だがその意図は脚本の致命的な過誤により破綻しているので全く伝わらない。 原人は化石DNAより復活されたものである。それも動物の子宮や人工子宮も使わず、時間と粒子を操って短期間にカプセルの中で成育させたものだ。なので彼等は生まれたてで、当然過去の記憶はないし、野生については現代人以上に何も知らない。脚本家は原人をタイムマシンで連れて来た場合と混同しているようだ。そんな原人とマンモスを野生に放つのは愚挙以外何物でもない。 ところで原人などよりずっと重要なものがある。それはDNAから原人を短時間で成人にまで復元できる科学技術だ。これを使えば、人間や動物のクローンがいくらでもできる。世紀の大発明である。蒸気機関車が発明されて産業革命が起きたのと同様のパラダイムシフトが起こるだろう。なのにそのことについての言及が一切無い。この技術を用いる試験に何故北京原人のDNAを選んだのか疑問だ。脳内を映像化する発明も凄いものだ。 陸上競技での活躍、原人と車の追跡劇、マジックショーでの消失、復活マンモスの暴走など、随所に楽しませる事項を盛り込んでいるのは評価できる。しかし、いろんな場面で周到さが足りない。例えばセスナで北京に行く場面でも、免許、航続距離、パスポート、中国の研究所と連絡する周波数をどう知るかなど、何の説明もない。他にも、原人にシャトルのハッチは開けられないだろうとか、北京原人の骨から生まれたから中国人と主張するとか、原人を隔離しないで観光させるとか、原人を復活させてから発表をどうするか考えるとか、疑問の嵐だ。それに現代人と北京原人との恋愛はありえないだろう。まあ、そんなことは忘れてもいいが、気になることがただ一つある。原人が出した百m8秒9の驚異的世界新記録は正式に認定されるのだろうか?原人は人間かどうかの問題を含んでいて深い。と、余計なことを考えされられる迷惑な映画だ。制作費20億円かけて配給収入4.5億円と大コケ。Uu-pa! 原作者、Who are you?
[インターネット(字幕)] 3点(2014-06-10 00:57:07)
34.  日蓮と蒙古大襲来 《ネタバレ》 
おそらく日本映画初の"スペクタクル巨編"で、以後の「釈迦」「日本誕生」等の先駆をなす。その歴史的意義は大きい。名優勢揃い、特撮、群集場面等、随所に映画の醍醐味がちりばめられていて観ていて小気味よい。特に滝の口の法難と蒙古襲来場面の特撮は美的感覚にすぐれ、何度も観たいと思わせるものがある。とはいえ内容は個性の強い日蓮の生涯を描いたもので、誰でも楽しめる"名作”とはなっていない。 修行の末、悟りを得た日蓮は「我、今日より日本の柱とならん!日本の眼目とならん」と叫ぶ。そして貧乏人や病人の世話をしたり、辻説法を行うなどの布教活動を行っていく。そこまではよいが、その思想や実現方法が過激だ。先ず現在行われている仏法はすべて邪法で、法華経以外に真の平和は得られないと強弁し、一切の念仏寺と禅寺の排除を主張する。幕府に対しても政綱の反省を促し、北条一門の同士討ちと他国の侵略を予言し、やがて日本国は亡びると威迫する。ついでに自らの法難も予見してみせる。その主義主張の正当性は、ただ経典に書いてあるの一点に尽きる。どうして彼が法華経こそが釈尊の正統な教えと信じるようになったのかが描かれていないので、法華経に疎い人には戯言にしか聞こえないだろう。このような過激な教えを唱え、強引に布教するならば、狂僧といわれ、通常なら殺されていただろう。しかし奇跡的に生きのび、ある程度彼の予言通りに時代が推移するのだから歴史は面白い。日本の歴史を見渡しても彼のような人物はそうはいない。それが彼の魅力となっている。力強いものに民衆は惹かれるのだ。 本作での日蓮の奇跡は次の三つ。竜の口の処刑時の雷。日蓮に帰依する者の病は快癒し、敵対する者は死ぬ。日蓮は戦場で調伏祈祷をして大暴風雨を起こし、海上の蒙古軍を滅ぼした。事実としては、蒙古襲来時日蓮は身延山にいて調伏祈祷はしていない。 脚本に強引なところはなく、よく練られている。日蓮を面罵し何度も殺そうとした人物が、最後は日蓮に帰依するなど人物を丁寧に描いているので好感がもてる。革命を志した奇跡の聖者か、悪運が強いだけの坊主か、観る人によって意見は分れるだろうが、この作品が映画の底力を魅せてくれることに変わりなないだろう。米国の「十戒」にひけはとらない。一度は観ておきたい作品だ。
[地上波(邦画)] 8点(2014-06-07 01:24:02)
35.  1000年女王 《ネタバレ》 
千年周期で太陽系を巡る遊星ラーメタル星と地球が異常接近し、地球が壊滅するという危機を描く。舞台は関東地方限定で、国連、政府、軍隊は一切登場しない。ラ人は人類より高度な文明を持ち、何万年も前から地球に千年女王を送りこんで支配してきた。 現女王は雨森始の学校の教師と天文台の秘書を兼務、一般人として暮らしているが、密かに人類救済の箱舟を準備してきた。 ラ星の指導者ラーレラは地球移住計画を密計していた。ラ星は暗黒太陽に落ち込む宿命だからだ。 最接近したときに地球に橋を架け、地球人がラ星に避難した隙に移住する計画だ。 良心に則ってそれを阻むのが女王の妹で千年盗賊のセレン。セレンは移住計画を女王に洩らし、ラ星に反旗を翻す。人類はセレン等の戦いをみて、自ら武器を取る。旧式戦闘機、戦車、投石器、弩砲等だがなぜか有効だ。女王は純粋な心を持つ始に共鳴し、何とか人類を救おうとする。女王は関東平野を刳り貫いた巨大な箱舟を浮上させるが、攻撃を受ける。そこでかつて地球愛に目覚め、ラ星に帰還しなかった千年女王の骸に祈りを捧げると、数体が復活し、ラ星に戦いを挑む。ラーレラは超能力で女王を倒すが、女王の婚約者で戦闘司令官のファラに殺される。 人類の救済と愛を描いた壮大なSFだが、感動は薄い。女王が人類をどう支配してきたのか、接近まで半年もあるのに隕石群が襲来したりする等不明な点もあった。浅慮な設定には目をつぶるとしても、人物の動きや表情がぎこちなく、感情が伝わらない。見せ場であるはずの戦闘場面も進度が悪く、美的感覚もなく、ただまだるこい。他に単調な音楽、主人公の醜男ぶりも感情移入をそぐ一因となっている。始と女王の関係が疑似母子なのが惜しい。恋愛関係であれば、もっと受け入れられただろう。それにしてもあの箱舟は巨大すぎで、元に戻す発想に苦笑した。実際問題、あれほどの高度な科学知識があれば、他の星をテラフォーミングできただろう。ラ星人の考えが間違っているとしても、同胞を皆殺しにするような展開は暗すぎるし、後味が悪い。指導者の殺害程度で納めた方が物語としての座りがよい。話を壮大にすれば感動するというものではない。設定が複雑すぎて、過不足なく描くには明らかに尺が足りない。女王やセレンの自己犠牲を描くのであれば、もっと内面に焦点を当てるべきだ。
[地上波(邦画)] 5点(2014-05-28 01:45:02)
36.  キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK- 《ネタバレ》 
鑑賞後、誰もが宇宙海賊ハーロック(H)に憧れ、アルカディア号に乗りたいと思わせるような内容であるべきだが、この作品には夢も感動もない。デザインや技術は優れているのに、矛盾点や疑問点が多く、作品に入り込めないのは残念である。人類は他の銀河に進出したが、異星文明との共存が果たせず、種として衰退したというが、実際は人口5000億と大繁栄を誇っている。他の星に人類は住んでいるし、生物も生息するので矛盾する。地球がダークマターで破壊された様子は多くの目撃者がおり、ホログラムで隠せるものではない。破壊された地球はテラフォーミングすればよい。 ヤマが無理な操作をして植物園を破壊するが、状況が説明不足。地球の花ならすぐに再現できるはず。誰かが種を持っている。 イソラは下半身不随になるが、再生医療は?ナミは植物状態なのにホログラムで会話ができる不思議さ。どうやって相手を見てるの?イソラは植物状態のナミとどうして結婚したの?イソラが激昂してナミの生命維持装置を抜いたが、すぐに戻せば死ななかった。アルカディア号が黒煙を吐くのは何故?アルカディア号かホログラムかは、レーダーがあれば見分けがつく。トカーガ星で救助船がナミを助けたが、一人しか救助できない不思議さ。また次元振動弾を設置するのに不安定な橋のような場所を選んだ理由。乗務員志願者が急崖を素手で登るが、飛行船等で移動すればいい。イソラが使っているような反重力乗り物もある。Hは孤高の存在で男の憧れ。乗務員志願者の三人を殺したり、宇宙をリセットしようとしたり、敵に拘束されて落ち込んだりしてはいけない。ましてや次元振動弾の起爆スイッチをヤマに渡して、「人類が過ちを犯しそうになったら躊躇わず押せ」とは言わない。あまりに傲慢すぎる。それに敵とはいえ殺し過ぎ。同じ人類ではないか。ダークマター機関の説明が欲しい。Hが不死身だったり、ダークマターを開放するとミーナが消滅することの関係は?死人が生き返り、ミーナが復活した場面は謎。Hがヤマに渡したものと関係がある?敵艦の集中砲火ビームがアルカディア号に当らない不思議さ。地球に植物が再生したのを誰も気づかなかった?ガイアサンクションの総監が簡単に地球を破壊する決定を下す矛盾。総監とHの対決を最終決戦として御膳立てすべきだった。ハーロック二人体制で続編?たぶん無い。
[DVD(邦画)] 6点(2014-05-22 07:31:29)
37.  ペコロスの母に会いに行く 《ネタバレ》 
「認知症と介護」という重い主題を努めて明るく、諧謔的に表現した人間喜劇である。 前半はハゲを中心としたネタで笑いを誘い、後半は母みつえの若かりし頃の辛苦に満ちた人生に焦点を当て、感動へと導く。 軽過ぎず、重すぎず、喜劇と悲劇の要点を押えての匙かげんが絶妙で、均斉の取れた手堅い脚本だ。 「ペコロス」とは小玉葱のことで、ツルツル頭の陰語、原作者の自らつけた愛称だ。だからハゲネタも嫌味にならない。それどころか、息子をつなぐ重要な品目となっている。 みつえの人生に暗い影を落とすのが夫と幼馴染みのちえ子だ。夫は根は優しいが、神経症の持ち主であり、酒乱で暴力も振るう。給料を一日で浪費してしまうこともあるのだから、妻の苦労は並大抵ではなかったろう。息子雄一は、そんな父のことが大好きだったという。人情の機微が垣間見れて興味深い。みつえが認知症の兆候を見せ始めたのが夫を亡くしてからというのも有り得べきことである。 みつえは十人兄弟の長子なので、少女時代を通じて弟妹達の面倒を見なければならず、畑仕事も手伝わなければならず、学校にもろくに行けなかった。そんな彼女の心の支えが友達のちえ子だった。だが、ちえ子は口減らしの為、奉公に出ることになり、別れが訪れる。お互いに手紙を書こうねと約束するが、みつえが何度書いても返事は来なかった。 雄一には母と一緒に暗い海をずっと眺めていた記憶がある。どうやら母は入水自殺を考えていたようだ。だが不思議なことに、そこへ手紙が届いた。ちえ子からの始めての手紙で、「生きねば」と認められていた。みつえは感涙し、自殺を留まる。後日ちえ子の元を訪ねたみつえは、ちえ子が苦界に身を沈め他界したことを知る。ちえ子を救った手紙は、皮肉なことにちえ子の死後に出されたものだった。感情が堰を切ったように落涙するみつえ。二人の思い出の曲、早春譜の旋律が流れ、いやが上にも感動が高める。複数の悲劇を一つの手紙に集約する技法は脚本家の取り柄だ。 幻の死人と嬉しそうに会話するようになった母を見て、認知症も悪い事ばかりではないと思い直す雄一。 苛酷な現実に押しつぶされるのではなく、時にはそれを笑い飛ばす事が出来るのが強い人間だ。老監督による人間賛歌として受けとった。
[映画館(邦画)] 8点(2014-04-26 00:47:25)(良:1票)
38.  星を追う子ども 《ネタバレ》 
一言で云えば、求心力のない作品だ。話の筋が一本通っていないのだ。少女アスナが不思議な少年シュンと出会って、アガルタという異界に旅して成長するという本来あるべき話が、途中で、亡き妻の生き返りを願うモリサキの冒険話に取って代わられてしまっている。アスナはモリサキのお供に成り下がる。そして異界の世界観が複雑で非常に分かりづらいのだ。かつてケツアルトルという神々が存在し、人間に知恵を授け、古代文明を発生させた。やがて人類が独自の進化を始めたことで、その役割を終え、地底世界アガルタに身を隠した。アガルタには願いの叶う石があり、生死の門があり、不老不死があり、神々の船がある。しかし今ではケルアルトルは異形の姿に変貌し、アガルタ人は地上の人間と接触を絶ち、滅びの時を迎えようとしている。このあたりの説明はうまくいえない。きちんと説明されていないからだ。 更に登場人物の行動に理解しがたいものがある。その最たるものはシュンだ。地上にあこがれ、命を縮めると知っていても地上に出て、アスナと出会って、助け、思いがかなったと自殺する。シュンの歌った最後の歌を聞いたのがアスナだったのだが、それがどんな意味があるのか。シュンはそれっきり登場しない。モリサキの行動で不可解なのは、学校の先生をしていることだろう。彼はアガルタを探査する組織に属しているのに。モリサキとアスナの接点を設けようとする無理やりな設定としか思えない。彼は亡き妻を生き返らせるという異常な宿願に憑りつかれているが、どうしてそこまで思い詰めるようになったか、観客が共感できるほど十分に描かれていない。モリサキが願ったからその願いを叶えようとする神の心理も計り知れない。 アスナの行動も共感しにくい。彼女が鉱石ラジオを作ったのは父親への追慕からだろう。石は父の形見である。ラジオで聞いた歌に惹かれたのも、あの世の父の声が心をよぎったからだ。彼女が日常で感じている寂しさは父の不在が大きい。彼女がアガルタでの探訪を望んだのは、父親探しの思いがあったはずだ。だが、父親は一切登場しない。では、シュンを探す旅なのか。それも違う。結局最後まで彼女が成長することはなく、彼女は終始受け身で、モリサキの妻の肉体のための憑代にされそうになるだけだ。彼女は父の不在の寂しさ、シュンの死をどう乗り越えたのだろうか?風景がきれいなのは美点だ。
[DVD(邦画)] 6点(2014-03-04 03:00:51)
39.  裸の島(1960) 《ネタバレ》 
飲み水も無い乾燥した島の斜面畑で、がむしゃらに土にしがみつくように生きている農民一家の姿を通じて、生きることの厳しさと尊さを伝え、更に人間とは何か、人は何のために生きるのかという人間の根源に迫る映画。そのため白黒映像で、会話は一切排除し、急斜面を桶で水を運び、乾いた土に水を注ぐ農夫婦の姿を執拗なまでに繰り返し追う。その単調さは、人間が生き抜くことの辛さ、切なさを表わすと同時に、生きることの崇高さをも表わしているように見える。物語としての映画ではなく、人間という“生き物”の本質に迫る象徴主義的映像詩となっている。 以上のような感想が持てればよかったのだが、残念ながらそうではなかった。感動には到らなかった。 とても土着の農民には見えない主演二人の“演技の”奮闘ぶりに苦笑するしかなかったのだ。いかにも都会育ちでございといわんばかりの華奢な体つきのへっぴり腰で、やっとこさ水桶を運ぶ姿には違和感を覚えた。あんな風では、三日も経てば足腰が立たなくなるだろう。それが感動できない理由である。 それでも光る演出が随所にあった。妻が水桶をこぼしたとき、夫が妻を殴ったこと。亡き子の葬式のとき、僧侶と生徒ら一行を迎える母親の服が一張羅の浴衣であったこと。子供を亡くした妻は平常心を装い埋葬まで済ませたが、あるとき感情を爆発させて、苦労して運んで来た水桶をひっくり返し、大地に身を投げて慟哭し、大切に育ててきた作物を乱暴にむしりとる。それを見つめる夫は無言。子供の為を思えばこそ、辛い生活にも耐えてきたのに、運命のなんと残酷なことか。だが、妻の“乱心”も束の間で、またすぐに、何事もなかったかのように元の作業に戻る。演出の冴えを見た。 他に不満点もある。それは島が乾燥した土地には見えないこと。それは草木の豊かさで明らかだ。飲み水や灌漑用水に天水を利用しないのもいただけない。また舟で水を運ぶのに一回で桶四つでは効率が悪い。八つ運べばよい。また、無い物ねだりだが、梅雨、冬の雪や霜柱、秋の台風など、一年を通じた丹念な島の生活の描写がほしかった。
[ビデオ(邦画)] 6点(2014-03-04 00:57:04)
40.  原爆の子 《ネタバレ》 
1951年10月文集『原爆の子』出版。1952年4月28日平和条約発効によりGHQの占領終了。アサヒグラフ同年8月6日号に広島原爆の被害写真が初めて掲載。同年8月6日映画「原爆の子」公開。という流れ。広島でのオールロケで、まだ残る焼け跡の様子等、資料的価値が高い。瀬戸内海の島に住む学校の先生が、かつて教えた園児を訪問するという物語。最初に訪問した男子の家では原爆症の父が死ぬ。次に訪問した女子は原爆孤児で、教会の施設で死にかけている。ケロイドのある“原爆乙女”の合唱姿が痛々しい。次に訪問した男子は原爆で両親を亡くし、姉が嫁ぐ日だった。原爆禍で足が不自由になった婚約者を見捨てず、五年後に結婚を果たすという実直な男の話に希望が見える。そして使用人だった岩吉爺さんと再会する。再会場面で、ボートに乗った若者の姿から岩吉の顔にパンする映像が印象的だ。ボートは復興の象徴で、岩吉は復興から取り残された原爆被害者の象徴。その両者を1ショットで撮るセンスに感心した。モンタージュの手法で描く原爆被災の描写は鮮烈で異彩を放つ。朝顔、向日葵、乳房、監督の生命へのこだわりが感じられる。一方でナレーションが入るのは興ざめだ。原爆と戦争に対する怒りや憎しみは最小限にして、最後は見えない飛行機でいつまた戦争が始まるかという不安を表現するという慎み深い演出で、この題材にして、鑑賞後感は意外に悪くない。 【疑問点】冒頭、校庭で体操をして、そのまま終業、夏休みという不自然さ。孝子が幼稚園の先生から小学校の先生に転職したり、一家全滅したのに何故孝子だけ助かったのか等の説明がなく、人物像が希薄だ。最も不自然なのは、岩吉爺さんの自殺だ。自分が自殺すれば、孫が島に行くことに同意すると考えてのことだが、孝子は岩吉も一緒に来るように誘っている。他人様の世話になりたくない気持ちはわかるが、降ってわいた僥倖に乗らない手はないと思ってしまう。また誘う方の孝子だが、自分の家でもないのに、二人の面倒を見る等と安請け合いをしてよいのかという疑問がある。不気味な面相の岩吉は忌避されるという展開なら分り易かった。婆さんが炎上する家から爺さんを助け出すのは安っぽい演出だ。あっさり丸焼けになった方が悲劇が劇的に際立つ。登場人物がみな善人で、苛酷で陰惨な現状とはかけ離れているように思う。それでも「みんな見てもらいたい映画」だ。
[DVD(邦画)] 8点(2014-01-18 01:19:28)
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