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41.  悲しき口笛 《ネタバレ》 
サトウハチロー曰く。「近頃、大人の真似をするゲテモノの少女歌手がいる。近頃でボクの嫌うものはブギウギを唄う少女幼女だ。消えてなくなれとどなりたくなった。吐きたくなった。いったい、あれは何なのだ。あんな不気味なものはちょっとほかにはない。可愛らしさとか、あどけなさが、まるでないんだから、怪物、バケモノのたぐいだ。」 確かに子供らしい声ではないし、妙に大人びた歌唱法が鼻につく。それよりも歌詞が問題だ。「夜のグラスの酒よりも もゆる紅色色さえた 恋の花ゆえ口づけて 君に捧げた薔薇の花 銅鑼のひびきにゆれて悲しや 夢とちる」こんな歌詞を12歳の子供に唄わせた大人の事情が知りたいものだ。“大人の真似をしてブギウギを唄う少女”から脱皮させたい意図があったにせよ、度が過ぎるのではないか。いったい子供から子供らしさを取ったら何が残るのか。作曲家の兄が出征前に、12歳の妹に残した歌としても不自然だ。 映画は、復員者の兄と戦争孤児の妹との再会を「すれ違い」の手法で描く。何度か会いそうになるが、すれ違ってしまう。観客はその度に溜息をつく。偶然が重なり過ぎると興ざめだし、あまりすれ違わないと興が乗らない。その匙加減が難しい。本作品では偶然が重なりすぎている。バーのウエイトレスの京子を中心に物語が回る。無銭飲食の「兄」を京子が助け、「妹」を京子が家に引き取り、トラックを運転していた「兄」が京子の父を轢きそうになり、麻薬組織に捕まった京子を麻薬組織の一員になっていた「兄」が助け、「妹」がキャバレーで唄っているのを京子が発見し、「兄」との再会を果たす。結末は誰の眼にもあきらかなので、それをいかに感動的に演出するかが監督の手腕の問われるところ。その点、本作はいかにも凡庸。脇物語として、堤琴家で音楽としてはクラシックしか認めない京子の父が、かわいい「妹」のために舞台で堤琴を奏でるようになるというのがあるが、これもあっさりとして演出で、感動には至らない。空襲の余塵の残る横浜の様子と、若々しい原保美のアクションが観れたのが収穫。
[DVD(邦画)] 6点(2013-11-11 11:25:18)
42.  くじけないで 《ネタバレ》 
柴田トヨはいまの高齢化社会を象徴するような詩人だ。90歳で詩作を初め、98歳で初詩集出版。徐々に認められ、「百歳の詩人」として一躍有名になった。過去に例をみないことだ。詩の特徴は、なんといっても言葉からにじみでる“優しさ”だろう。うまい、へたを越えている。映画は、時折トヨの詩を織り交ぜながら、その半生を丁寧に描いていく。 劇的な人生を送ったわけではないが、それなりに起伏がある。実家は裕福な米屋だったが、大正の米騒動で家が傾き、奉公に出された。最初の結婚が夫の暴力などにより縁切りになった。空襲のさなか、二番目の夫となる大工の男性から求婚される。そして息子、義一という子宝に恵まれた。息子もやがて結婚。その息子夫婦との関わり合いを中心に物語は進行する。嫁はしっかり者だが、この息子というのが曲者なのだ。 若いときに小説家をめざすが挫折。結婚するものの、定職にはつかず、時に職を得ても長続きしない。競馬、競輪、パチンコなどギャンブルが趣味。妻の保険外交員としての稼ぎが家計を支えている。父親と顔を合わせれば喧嘩をし、母親にはギャンブルの資金を無心にくる。いわゆる問題児、馬鹿息子の類だが、“根はいい人”。90歳過ぎて精気の失せた母を気遣い、脳の活性につながると詩作を勧め、添削も行う。そして何とかお金を都合し、詩集出版にこぎつける。 柴田トヨは人生を完走した人だ。詩という言葉の翼を得て、あるときは乙女時代の想い出を、ある時は夫への愛情を、ある時は母の強さを、ある時は自然と生命の賛美を、陽だまりのような優しさで綴った。その優しさがあればこそ、息子夫婦は決して母を見捨てなかったし、それが稀有な高齢詩人の誕生につながった。トヨの詩は三人の合作ともいえるだろう。彼女の詩は優しさだけではない。人生に前向きな姿勢が人生の応援歌として読者の心をゆさぶるのだ。「九十八歳でも恋はするのよ/夢だってみるの/雲にだって乗りたいわ」詩人の特質は、みずみずしい感性と豊かな想像力であり、年齢は関係ないことを証明している。 出演者の演技が自然で良い。脚本も無理がなく好印象。感動させようという過度な演出は薄い。登校拒否の少女や患者を救えなくて苦悩する若い医者の挿話も上手に取り込んでいる。残念なのは、冒頭場面だ。手振れカメラによる超顔アップとパンの連続の演出意図が不明である。
[映画館(邦画)] 8点(2013-11-04 13:00:43)
43.  雪国(1965) 《ネタバレ》 
駒子は雪国の生まれ。貧しさゆえに16才で東京に酌婦に出された。旦那に落籍され、将来は踊りの師匠として生計を立てる約束だったが、旦那が1年程で亡くなり、国に戻った。両親も亡くなり、天涯孤独の身となったが、踊りの師匠の厚情で養女となった。師匠は息子の行男とめあわす積りだったらしいが、東京に出た行男が結核にかかり、自身も中気で半身不随となってしまう。東京で付添っていた葉子が行男を連れて帰り、奇妙な三角関係となる。駒子はふと知り合った旅行者の島村に惹かれる。知的で甘い風貌、柔らかな物腰、温泉町にはない都会的雰囲気を持つ。駒子を今の境遇から抜け出させてくれる希望にみえるのだ。嫌いな面もある。既婚者の上に、身勝手で薄情だ。無遠慮に枕芸者を世話しろと言い出したり、鳥追い祭に来る約束を反故にしたり。島村にとって自分は、一年に一度だけ会いに来て、気まぐれに抱く女でしかない、そう思うと辛かった。やがて駒子の境遇が変わる。行男の医療費を払う為に芸者となったが、行男と師匠は相次いで鬼籍に入る。新しい旦那もできた。それでも島村が来ると微かな希望にすがるように会いに行ってしまう。島村にとって駒子は縮布のような存在だ。「雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に洒ぎ、雪上に晒す」時折、その美しさを愛で、肌を撫でていれば満足なのだ。事件が起こった。葉子が火事に遭って重傷を負ったのだ。老人や子供を置き去りにできず、助けているうちに逃げ遅れたのだ。恵まれない境遇でありながら、汚れを知らず、殊勝で純真さを失わない葉子。駒子にとって彼女は、喪った処女時代の分身だ。また一つ大切なものを失ってしまった。駒子は雪国に骨を埋める決心をし、島村に別れを告げる。島村は帰るしかない。美を追求する原作者の妄想が生んだ幻想譚。トンネルを抜けると異界が広がっている。雪国という清浄な世界。白銀一色の景色は鮮麗で、女性は美人で清潔、人々は素朴な生活を営んでいる。そこでは原作者である島村は女性には好かれる。遠くにあるからこそ美しく、憧憬の対象であり、最後に別れがあることを承知している。「伊豆の踊子」と同工異曲。彼女達の境涯に同情はするが、冷徹な態度は変わらない。あくまで旅人として距離を置き、私生活には立ち入らない。男性からみた理想的な女性像でしかないが、「日本的な美」を切り取った功績は大きい。映画は美という点でかろうじて合格。 
[DVD(邦画)] 7点(2013-10-14 15:29:14)
44.  風立ちぬ(2013) 《ネタバレ》 
巨匠は“画力”が凄い。飛行機が生物のように息づく。関東大震災の地震の迫力、逃げ惑う群集の緻密さ、雲の描きわけ、背景の草原の草や流れる水も生き生きとしていた。ゴッホの絵画を観るような生命の躍動を覚え、夕日を眺めているような懐かしさも覚えた。画だけでも観る価値がある。世界に誇れるアニメだ。あえて苦言を。堀越二郎の物語だから、ゼロ戦の完成で終点だろうと予想していたが、九試の完成で終ってしまった。ゼロ戦登場はラストの残骸と夢想の編隊のみだ。堀越氏の最も苦労した太平洋戦争時代を飛ばしたのは、「戦争と人間」という主題を避けたかったからだろう。「美しいもの=飛行機」の夢を追い求めると、戦争兵器の設計に関わざるとえなかったという苦悶は感じられない。二郎の人物像の掘り下げが不十分で、生身の人間として映らない。積極的に行動することは少なく、本質的に受け身なのだ。仕事は与えられたものを文句もいわず淡々とこなし、対人関係で問題を起こさない。性悪な人も登場しない。恋愛も受け身だ。菜穂子の女中を助けたあとは、偶然の再会、菜穂子から告白、菜穂子が病院を抜け出し、押しかけ結婚、菜穂子去ってゆく。「美しい姿だけ見せたかった」というが、恋人同士ならまだしも、夫婦間でそんな美学はありえないだろう。本音で語り合い、共に苦労し、助け合ってこそ真の夫婦である。又「愛と死」が主題なのに「死」を描かなかった。特攻によるパイロットの死、妻の死、大空襲、無数の戦没者。戦闘機と死は切っても切れない関係だ。死を描かずに戦闘機の設計者の人生を描くのは不可能だ。残念ながら、底の浅い人物描写でしかない。主人公の愛、苦悩、喜び、怒り、憎しみ、悲しみが感じられてこそ、心の糧となり、感動があり、人間は素晴らしいと思えるのだ。二郎は戦争、妻の死を経ても成長していないと思う。それは妄想の中での師匠との軽い対話でもわかる。「君は生きねばならん。その前に、寄っていかないか?良いワインがあるんだ」日本の敗戦をこれほど軽く描いた例は稀有だ。意味ありげに特高や反ナチのドイツ人が登場したりするが、本筋とは無関係。一本、筋の通った筋書が出来ず、どこを終点にしようか、迷った跡がある。風の使い方は良かった。風で飛んだ二郎の帽子を菜穂子が掴み、風で飛んだ菜穂子のパラソルを二郎が押さえる。愛も戦争も風のように過ぎて行った。けれど生きてゆこう、夢の翼に乗って。
[DVD(邦画)] 8点(2013-09-25 22:26:41)
45.  日本沈没(1973) 《ネタバレ》 
表層的で煽情的なパニック映画とは一線を画くするSF小説の原作の良さを十分引き出している。特撮ドラマでは最高のレベル。 日本列島沈没という大災害を未曽有の規模で描く原作に対して、小手先ではなく、真正面から立ち向かって、武骨ながらも誠実に描こうという映画製作者の心意気が画面から伝わってくるのが嬉しい。役者の演技も熱がこもっている。 前半は田所博士と小野寺操縦士の活躍を中心に、科学的アプローチで日本列島が沈没するという恐怖を徐々に煽ってゆく。そして東京大震災発生、この特撮はとりわけ見事だ。多くのカットが丁寧に作りこまれていて好感が持てる。後半は山本総理を中心に、1億1千万人もの国民をどうやって国外脱出させるかという大難問を扱い、同時に特撮で、沈みゆく日本列島の様子を畳みかけるように見せる。観る者に国土喪失という民族の悲劇が重くのしかかり、日本民族のアイデンティティを問う重厚な内容になっている。概ね満足であるが、脚本に雑な部分があるのが難点。挿話と挿話が有機的に結びついていないのだ。最大の功労者である田所博士は途中からばったりといなくなり、最後に渡老人宅で偶然に総理と再会する。小野寺と玲子の恋愛は最初は濃厚に描かれていたが、小野寺がD1計画に加わってからは玲子が出なくなる。小野寺は会社にも家族にも婚約者にも一切連絡しないという不思議な行動をとる。小野寺と玲子は再会するが、これも偶然に大阪の町でというご都合主義。その後二人は愛を確認し、結婚と国外脱出を決意するが、玲子が火山噴火に遭遇して会えなくなってしまう。すれ違いの愛だが、その後登場場面が少なく、お互いを思う気持ちが伝わらない。これは非常に残念なことだ。愛が描けていれば名作になりえた。小野寺の同僚が、失踪した小野寺に対する心配と友情とで小野寺を殴る印象的な場面があるが、そのあと出演しないというちぐはぐなこともある。後半、端折りすぎるきらいがある。避難する人達の群像劇や心理、難民を乗せた船や飛行機の場面をもっと多く出したら大作感がでただろう。政府・科学者側の上から目線ばかりで、民衆の声や心が届かないうらみがある。加えて、何度も映る日本列島のミニチュアが本物に見えないのは残念だ。前半は10点、後半は6点。
[DVD(邦画)] 8点(2013-09-22 01:06:58)(良:1票)
46.  地球防衛軍 《ネタバレ》 
H・G・ウェルズの「宇宙戦争」の亜流。米国映画「宇宙戦争」は1953年制作。 天体物理学者白石が富士の裾野の村に滞在しているのは、宇宙人ミステリアンの研究のためだが、学者仲間の渥美、白石の妹江津子、白石の婚約者広子を盆踊りに招待したのは何故か。この時点ではまだ宇宙人とのコンタクトはなかったのか。宇宙人は花嫁候補として江津子と広子を指名するが、その選定に白石がどう関わったのか。白石の人物像がしっかりと像を結ばない。また白石は宇宙人基地内で宇宙人と同じスーツを着用しているが、どうしてか。渥美は普通の服で押し通している。 宇宙人が山火事や崖崩れ等の災害を起こすが、意図的なものか、要塞建設工事に伴う事故なのか。意図的に村の千人もの命を奪っておいてから交渉を始めても意に適う成果は期待できない。外交べたである。 宇宙人は秘密裡に地下巨大要塞を建設中で、「これさえ完成すれば東日本は我々の意のままだ」と嘯くが、何故それが完成してから地球人との交渉を始めなかったのか。たった500時間待てない理由を述べよ。 白石の宇宙銃で撃たれた宇宙人が消滅するメカニズムを知りたい。同じ銃を機械に照射すると爆発するのに。 宇宙人の素顔にケロイドがあるのは何故か。惑星を爆発させた大原子戦争があったのは10万年も前の話。ケロイドは遺伝しない。ストロンチウム90の影響というが、それが遺伝的なものならば、地球人の女性と生殖しても子孫に影響は残るだろう。 特撮はモゲラの場面が素晴らしい。愛くるしいデザインだ。対ドーム決戦はミニチュア然として物足りない。ドームは移動しない上に、巨大さが感じられない。延々と続く砲弾・ロケットと光線のクロスカッティングも退屈に思えてくる。パラボラ兵器は受けた光線を反射するのだが、知性があれば二三度で気づいて、撃つのを辞めると思うが。放射能の影響が脳に及んでいるのか。それなら沢山ある円盤を温存して使わなかった理由もうなづける。 消防士がモゲラに放水していたのが印象的。人はパニックになると思わぬ行動をするものだ。 冒頭、盆踊りで始まったのには意表を突かれた。戦争と対極の「民衆の平和」を前面に押し出すセンスを賞賛したい。後に判明するが、盆踊りには宇宙人が混じっていて嫁選びの写真を撮っていたこと。つまりきちんと物語につながっているのだ。それにしても、花嫁五名といっていたのにかなり増えていたな。
[DVD(邦画)] 7点(2013-09-21 19:38:22)(良:1票)
47.  武士道残酷物語 《ネタバレ》 
現代のサラリーマンと封建時代の藩士の雇用での最大の違いは、藩主と藩士の雇用関係が永代就職であること。つまり、ある役目(仕事)をその家の家督者が代々引き継いでゆくというもの。土地も家も藩主から拝領しているものなので、武士の身分である限り、独立は叶わない。更に職分が硬直していて出世することはほとんどない。これは、藩士は子子孫孫に至るまで藩主には頭が上がらないことを意味する。不祥事と起こせば一家のみならず、連座制により親類中にも累が及んだ。がんじがらめである。これが藩主に対して「絶対服従」であらなければならない理由である。ここに悲劇の生まれる土壌がある。藩主は時に放恣、専横になるだろうし、藩士は忍従、卑屈に傾いてゆくだろう。だから「武士道残酷物語」はあったに違いないと思う。だが問題は見せ方である。 不運の宿縁の連鎖が七代も続くことにいささか無理がある上に、各話の主人公を同じ役者が演じているのでは現実味に欠ける。ギャグとしか思えない。同一人物が近習小姓から老人役までを演じる必要性はないだろう。どう考えても不自然だ。純粋に武士の被虐性を表現したいのなら、そのような不合理な設定をするわけがない。「大人の事情」が働いているのだ。だから白けてしまう。 江戸時代の各話はそれなりに興味をかりたてられた。個人の力ではどうすることもできない重圧、運命、特殊事情がくみ取られ、主人公の悲しみ、苦しみに共鳴できた。しかし明治以降の各話は底が薄い。元廃嫡藩主を世話をする話はいくらなんでも作り過ぎ。先祖の不幸を考えれば、藩主に対してあのような憐憫を持つ筈がない。特攻の話は、取り立てて特殊性が感じられない。国家により国民がマインドコントロールされていた時代で、飯倉家だけが不幸を背負ったわけではない。現代サラリーマンの話は、完全に自業自得だ。産業スパイを誰に強要されたわけではない。自分達の利得に目がくらんだだけの話だ。それに会社組織を藩に見立てることはナンセンスだろう。会社がいやなら辞めればいいだけの話だ。武士よりも土地持ちの百姓の方が自由があった。サラリーマンはそれ以上の自由を持っている。自分達の不幸を会社や社会の所為にするのは慎みたいものだ。
[DVD(邦画)] 6点(2013-09-11 04:55:19)(良:1票)
48.  踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ! 《ネタバレ》 
一風変わった事件が発生し、所轄の下っ端刑事たちが、横柄で独善的な警視庁本庁の面々の鼻をあかして事件解決、というのがお約束の筋立て。そこにカタルシス(感情浄化)があるわけだが、本作品ではその点なおざりにされ、対立や軋轢があいまいのまま終始する。多くの人物を描くのに熱心のあまり、基本を忘れてしまったようだ。以前の作品では、青島刑事の活躍が物語の中核にあるが、驚いたことに、今回ほとんど活躍しない。鋼鉄シャッターに木製杭を打ちつけ、穴を開けようとする奇妙な行動が目立つのみ。内容は、12年前に公開された劇場版第一作の続編で、何をいまさらの感がある。脚本はチグハグが目立つ。 最も疑問に感じたのは次の部分。実行犯達は新湾岸署ビルを人質ごと封鎖し、猟奇殺人犯の日向真奈美の釈放を要求した。電源をオフにすることで新湾岸署ビルの封鎖は解かれ、実行犯が確保され、事件は解決しているのに、何故青島は目の前にいる日向を確保しないのか。一緒に旧湾岸署ビルに入って、時限爆弾が炸裂、ガラスが全て割れるも何故か二人は無傷という不思議な展開。他に目についたものを上げると。 ①釈放した囚人を理由なく射殺するという安易な決定。 ②肺がんが濃厚なエックス線画像を単なる撮影ミスでしたで片づける。 ③亡くなった和久刑事の親族を安易に登場させる。 ④拳銃の管理があんないい加減な筈がない。 ⑤銀行の金庫を開錠したが何も取らなかった。バスジャックを起こして乗客から財布を集めたが結局奪わなかった。この理由がはっきりと説明されていない。 ⑥毒ガスがフェイクであったのはわかるが、スカンクやワニを登場させるのはおちゃらけが過ぎる。
[DVD(邦画)] 5点(2013-09-10 21:09:49)
49.  相棒 -劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜 《ネタバレ》 
まさに前代未聞!警視庁庁舎内の会議室で、警視総監、副総監以下12人の上級幹部を人質とした篭城事件が発生した。 犯人は一人だが、拳銃で瞬く間に並み居る幹部らを制圧、非常に手際がよい。それでいて要求はなく、時間をくれというばかり。一体何者?何の目的で?謎は膨らばかり。こうして特命係の一番長い夜が始まった。今後どういった展開を見せるのか、期待をもたせる順調なすべりだしだ。 だが、犯人の身元はすぐに割れ、機動部隊突入によるもみ合いの最中、犯人は射殺されてしまう。緊急時の正当防衛ということで事件は落着、呆気ない幕切れとなる。特命係の右京らは独自に捜査を始める。犯人は元警察官の八重樫で、動機は7年前の反米テロリスト事件に絡んだものと推定された。捜査が進むにつれて、反米テロリスト事件の黒幕は実は公安警察で、中国人マフィアを利用してテロ事件を捏造したものと判明する。動機は、公安の存在意義を世間に認知らしめること。証人隠滅を図って船ごと爆発させるという悪辣なもので、警察官一人が巻き添えとなる。 これに警視庁幹部らの隠ぺい工作、テロリスト事件で婚約者を亡くして復讐に燃える女性警察官、警察庁と警視庁の権力争い等の要素が絡む。単純な事件から複雑な事件へと変貌するが、謎解きの面白さはさほどない。謎はさくさく解けてしまうし、最大の証拠である会議室での録音データは監察官から送られてくる。元々、刑事もので警察内部犯行というオチは芳しくない。現実味が薄い上に、後味が悪い。公安のでっち上げ事件は荒々しすぎて荒唐無稽だし、中国人をイスラム系テロリストに見せかけるのにも無理がある。もっと”らしい”事件にすべきだった。懲戒解雇された生活安全部長が、それだけで警察庁官房長を刺殺するだろうか?また八重樫らが、証人である意識不明の中国人を連れ出して1年間も監禁したのは人道的問題がある。それに窮したとはいえ、元警察官が人質事件を起こすだろうか?警察上層部が真相を握りつぶそうとしても、マスコミに訴えるなり、ネットに公開するなり、裁判を起こすなり、いろいろと手段はあるはずだ。女性警察官は、黒幕の正体をどうして知ったのか?いきなり射殺しようとしたのにも違和感がある。公安はどうして八重樫の隠れ場所を知ったのか?疑問もいろいろと湧く。すっきりしない終り方では、当然観客もすっきりしない。
[DVD(字幕)] 6点(2013-06-23 03:44:24)
50.  君よ憤怒の河を渉れ 《ネタバレ》 
とても勢いのある映画だ。謎あり、アクションありで、疾風、怒涛が駆け抜けていく感じ。二度も熊に襲われたり、猟銃で狙われたり、免許なして飛行機を運転したり、夜の新宿を馬で疾走したりと、意表を突く展開の連続で、映画の醍醐味をあじわうことができる。評価したい。ただ強引な展開に不審を抱きながらの鑑賞となるので、爽快感を得るまでには至らないが、最後まで見届けたい気持ちにさせられる。 無実の罪を着せられた者が、無実を証明するために逃走し、真犯人を突き止めるという主題は、とても感情移入しやすく、大衆好みだ。しかしミスキャストなのは残念。主人公杜丘役の役者は、脂ぎって日焼けした親父顔、ぎょろつく目玉、短髪、どすの利いた声で、謹厳実直な検察官には見えない。それに高年齢すぎて、若いヒロインが一瞬で恋に落ちるという設定に無理が生じている。実際に、中年で脂ぎった殺人逃走犯がいたとして、それを助けるホステスがいるとも思えない。常に演技がかった、やさぐれ刑事も鼻につかないではないが、叩き上げの刑事なら、いてもおかしくないと思わせるものがある。後半に杜丘との奇妙な「友情」を結ぶことを思えば、これぐらい個性があった方が適格だろう。 ほとんどが逃走場面だが、鑑賞しながら、どうして家族や親友に連絡しないのかという疑問にとらわれていた。緊急時に助けとなるのは、家族か親友で、真っ先に連絡するだろう。警察やマスコミだって家族や親友を追及するに違いない。それが一切姿を見せないという不自然さ。同僚の上司が登場するのみだ。逃走犯を一匹狼にしたいのはわかるが、孤児育ちであるなど、一定の説明が必要だろう。 事件の真相は、人格を喪失させる新薬を使っての犯罪という荒唐無稽なもの。犯人が杜丘に罪をなすりつける手法も稚拙で、あれではすぐに夫婦での共謀偽証と知れる。杜丘は逃げる必要などなかった。偽証の妻を殺したすぐあとに杜丘が来て指紋を残して、犯人にとって都合がよすぎる。刑事が偽証の夫の居場所を教えてくれて、杜丘にとって都合がよすぎる。精神病院の院長が自殺し、製薬会社の社長も自殺して、ラスボス政治家にとって都合がよすぎる。政治家を射殺しても正当防衛が成立して、刑事と杜丘にとって都合がよすぎる。少し荒を削り、整合性をもたせれば傑作になりえただろう。役者の熱演が光っただけに残念である。
[DVD(邦画)] 6点(2013-06-12 16:14:05)
51.  河内山宗俊 《ネタバレ》 
「思いやり、やさしさ」が主題だと思う。 お浪は、やくざ社会に足を踏み入れかけている弟、広太郎のことを案じてやまない。 将棋詐欺の場面で、広太郎が宗俊に思いやりの言葉をかけたことで、二人は親密になる。 お浪が怪我をしたとき、宗俊と浪人金子は、共にお浪を思いやっていることに気づき、急速に昵懇となる。 宗俊も金子も聖人、君主の類ではなく、好きなように生きてきて、時には悪事も働き、清濁あわせ持つ人物で、可哀相な小娘、お浪のために命を張ることも厭わないやさしさを持っている。よき死に場所を得たことで、却って本望だろう。 宗俊の女房は悋気を起こし、我知らずお浪を窮地に追いやってしまうが、宗俊の危機には身を挺しても守ろうとする。 宗俊もそれに応える。夫婦愛の完成である。 監督は美的感覚が優れている。お浪が身売りを決心する場面の構図は見事に決まっており、雪の中を出ていく場面は美しい。 監督の特徴である無駄のないショットの繋ぎは、そのような美的感覚があればこそだろう。圧巻は、掘割での対決場面だ。奥行きを見せる縦の構図から疾走感を見せる横の構図へと繋ぎ、最後は地平線へ駈ける縦の構図で終る。水の使い方もうまい。乱闘の水飛沫、迸る落ち水、躍動感を盛り上げている。入水場面での月影を映す水、月影の砕ける波紋も印象的だ。 難点は、弟広太郎の人物像が描かれていないことだ。優しい姉がいるのに、どうしてグレたのか。幼馴染の遊女と心中を決心する場面で、「どうせ生きてたってしょうのねえおれだ」と吐き捨てるが、その心情が伝わってこない。同年代の少年は丁稚奉公などで働いている筈である。普通は、遊女に売られることが不幸なのであって、身請けされるのは喜ばしいことだが、この遊女はどうして死を賭して、脱走までしたのか。そこに至る過程が描かれていないので唐突感が残る。省略の美はよしとしても、省略し過ぎでは、余韻に浸ることはできない。よしや、広太郎が無事お浪を助け出したとして、広太郎は親分殺しの御尋ね者である。二人でまともに暮らすことはできないだろう。蛇足だが、遊女の身売り金は多くて五十両くらいであり、三百両はべらぼうに高い。身売り金と身請け金が引き合うわけはないのである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-04 23:28:47)
52.  人情紙風船 《ネタバレ》 
江戸時代の長屋と庶民の暮らしぶりが写実的に再現されていて興味深かった。三人の人物が主人公。浪人の海野は仕官が叶うのを夢みて、亡父の知人である家老に嘆願を繰り返す。相手にされていないのは薄々気づいているが、仕官を疑わない妻の手前もあり、希望があるように振る舞う。言葉巧みに大家から通夜の御酒や肴を引き出すなど、才知に富み、度胸も据わっている新三は、慎ましく日銭を稼ぐ髪結い業に倦み、闇賭場をひらき、濡れ手に粟の生活を目論む。それが地元やくざの縄張りを荒らすことになり、付け狙われている。質屋の娘お駒は番頭と恋仲になっているが、番頭に結婚の意志はなく、親の勧める武家との縁談がとんとん拍子に進んでいる状況。三人とも不幸が共通点。その三人の運命の糸が質屋を舞台にひとつに絡まりあってゆく。その展開は見事だ。後半になるほど進度がよくなる。予定調和的な大団円を期待していたが裏切られた。浪人は仕官叶わず無理心中、新三はヤクザとの決闘で討死、お駒は家に連れ戻される。見せない美学がある。海野の女房お滝が、実家でどのような冷たい視線にさらされ、屈辱的な気分を味わったか。帰宅した長屋で立ち尽くす背中で語るのみである。無理心中は白刃のきらめで暗示される。新三が決闘で負けるのは相手との刀の長さの比較で暗示される。長屋に戻って来ないことでその死が知れる。お駒の運命は迎えにきた番頭の態度で知れる。余韻の残る演出だ。紙風船は子供を楽しませる夢のあるものだが、それを作っているのは世間の底辺でうごめいている人たちだ。 仕官という夢で膨らんだ紙風船だが、あまりに儚く軽く、遂には世間の風に飛ばされて、どぶに落ちてしまった。ごみ溜めのような長屋での暮らしだが、人々は明るく活気がある。隣人の自殺を冗談ごとのように済ませ、死を悼まないのは薄情だからではない。生きてゆくには、自殺も笑い飛ばす程の図太さが求められるのだ。毎日汗水たらして働かねば生きてゆけない。活気があるのは当然である。金魚売の科白「こうして朝から金魚、金魚で言っているとね、金魚が何だか、俺が何だか、わらなくなってくるよ」は、実感が籠っている。ここでは夢や強すぎる矜持は生きる妨げとなる。自殺で始まり、自殺で終る、循環形式の物語。膨らんでは萎むのが紙風船。又誰かがどこかで膨らませることだろう。その一つ一つにささやかな庶民の物語がある。 
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-04 03:44:23)
53.  紀ノ川 《ネタバレ》 
家父長制度の色濃く残る明治時代に、和歌山の名家から大地主へと嫁いだ女一代を描く抒情詩。嫁にきたからには、その家の家霊となり、身命を賭して家を守株するという考えに疑問を抱かない女。が、時代と共に移りゆく価値観や家制度・土地制度の矛盾によって翻弄されてゆく姿を娘や孫娘たちとの対立や葛藤を交えて描く。四季折々の風景や地方の風習を織り交ぜており、全体的に好印象。神目線である俯瞰ショットや奥行きを強調した構図などカメラワークには工夫がある。冒頭の舟での嫁入り場面に10分も時間をかけるなど、ゆったりとしたカメラまわしの為、大作感はあるが、大作ではない。台風、洪水、空襲などの特撮やモブシーン(群集場面)はほんのささやかな演出で、そのため各時代の重石がなく、ドラマの総集編のような薄味の印象だ。このような作品は、女の身辺の日常や事件をじっくりと描けばよいのだが、時折理屈っぽさが顔を出すのが瑕疵。紀ノ川を人生に見立てているのは明白なのに、何度もそれを暗示する台詞が挿入される。家の守り神としての白蛇が、嫁入り後間もなくと、死の直前に現れるなど作為が露わだ。これらは鑑賞の妨げにしかならない。また女性を描くことに重きを置きすぎているために、男性陣の影が薄い。特に長男はひどい。娘の聟は登場もしない。女が最も感情を露呈するのが、自転車に乗った娘を折檻する場面。この場面だけが浮いている。甚だ反抗的で強気だった娘が、このときだけは弱い少女に成り下がっていて、矛盾を感じる。ただ、この場面で女の足元をアップで見せる演出は印象深い。内に秘めた興奮と怒りを十分に描いており秀逸だ。原作者の分身が孫娘だが、前二代と較べると見劣りがする。役者としてのオーラがないのだ。この孫娘に女(祖母)の意志が一部受け継がれていくので、女が亡くなっても観客は安堵できるのだが、それが台無しになってしまっている。何度も繰り返される終焉の場面は演出ミス。煙が出ての場面変換はギャグかと思うほどくどい。戦後、女はどうして家宝の骨董品を売却したのか。あれは「家の葬式」なのだと思う。戦後と共に家が滅んだことを認識した女は、心の中の「家という煤」を一掃する必要を感じた。自分が生きている間に家の始末は全部済ませておきたいという気持ちに駆られたのだろう。それが家宝の売却という行動となった。その心情に思い至ったとき胸が熱くなった。
[DVD(邦画)] 7点(2013-05-20 23:14:47)
54.  坊っちゃん(1977) 《ネタバレ》 
原作は根っからの江戸っ子気質で恬淡かつ曲がったことが嫌いという青年が、田舎の中学に教師赴任し、そこの社会の閉鎖性と人間関係の欺瞞や権謀術数に辟易し、遂には奸物に鉄槌を下し、教師を辞すという痛快な青春物語。補助物語として、下女の清との疑似親子的な愛情が描かれ、ほろりとさせられる。 本作品では、清の登場は冒頭のみ。代わりに原作では名のみだったマドンナが「新しい女」として登場し、男たちと丁々発止と渡りあう。また原作では、生徒達と和解しないで終るが、本作品では和解する。 明治39年という設定だが、大正5年発行の1円札が使用されるのはご愛嬌で、まあその程度の作品。生徒が主人公を「坊っちゃん先生」と落書きするが、坊っちゃんと呼ばれていたのは知らないはずで不自然である。 練兵式での祝勝会、市中での生徒同士の小競り合い、祝勝会余興の土佐のぴかぴか踊り、生徒と坊っちゃんたちを交えた大喧嘩など、群集場面が全て省かれているのは予算の都合と見当がつく。狸校長、赤シャツ教頭、のだいこなどのキャラはなかなかのもの。とくに山嵐は豪胆、快闊な人物として描かれ、坊っちゃんとの友情が作品の核をなしている。これといった見所もないが、欠点もない。明るい作風に仕上がっているので鑑賞後感は悪くない。
[DVD(邦画)] 6点(2013-05-13 02:00:38)
55.  忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻 《ネタバレ》 
討ち入りの場面で血が一滴も流れない演出。当時の良識と思いたい。それとオールスター総出演という「お祭り」で、リアリティを重視した無粋な演出は避けたかったに違いない。軽やかで流麗すぎる殺陣も、そういう演出と思って観れば楽しめる。総じて家族で安心して見れる娯楽作品に仕上がっている。 最も心に残ったのは前半の吉良のいじめの場面だ。屏風への難癖、違う服装、畳替え、礼式を教えないと畳み掛け、エスカレートしてゆく。テンポが好いのだ。吉良の憎らしさが十分にでており、さりとて生理的な嫌悪感を抱くほどではない。ほどよい匙加減に仕上がっている。浅野役の周章狼狽の演技は申し分ない。残念ながら中盤は中だるみする。大石の京都での、敵を欺くための遊興が中心となるので仕方がない面がある。心理戦になるわけだ。大石を中心に描かれ、群像劇としては物足りない面がある。大橋と美空の俄か夫婦の話は中途半端だ。無理に物語を造りましたという心象が残る。吉良殺害の場面に女性を出すのはそぐわない。
[DVD(邦画)] 8点(2013-04-11 16:12:00)
56.  忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1954) 《ネタバレ》 
オールスター総出演が売り物で、今では貴重な史料映画。女優陣が充実しており、感情を出す細かな演技に秀でているように思われrた。前半、話は淡々と進む。忠臣蔵の講談をなぞっている感じ。ヒール役の吉良の扱いがぞんざいなのが難点。そもそもこの物語は、現代感覚からすれば、傷害事件の被害者である吉良老人を加害者の家臣が集団で殺すという「奇妙な復讐譚」である。吉良の悪人ぶりを前面に押し出さないと物語が成立しない。それなのに吉良の人物描写が弱い上に途中から終盤になるまで永い間登場しなくなる。これでは観客の「復讐心」が持続しない。なので吉良を討ち取ったときのカタルシスも少ない。演出でいえば、音楽をほとんど使っていない。同年制作の「七人の侍」では音楽が有効に使われているのに。天主や五重塔、城石などのホリゾント(背景画)が拙く、舞台の書き割りレベルだ。もうちょっと美術に凝ってほしかった。サイドストーリーは「最後の落伍者」と呼ばれる毛利小平太とその元婚約者しのの話。毛利は肺病が悪化し、討ち入りに参加できず、吉良家への途上で絶命する。しのは「不忠者」の汚名を着せられた父無き後、貧乏長屋で肺を病み、肩身の狭い思いをしながら暮していたが、毛利を見送ったあと自刃する。悲恋、不忠者の娘、肺病、貧乏長屋、自刃、無念の死と、こちらの方は煽情的に悲劇を盛り上げる。本話との演出に隔たりがあるので、違和感がある。クライマックスは討ち入りの場面。ここでカメラはそれまでになく、縦横無尽にパンやアップを多用し、流れるような殺陣さばきは美しく、絵になっており、それなりの臨場感を出すことに成功している。「七人の侍」に較べると迫力不足は否めないが、それは比較するものが偉大すぎるから。「古めかしい」という表現がぴったりする映画だが、「古めかしい」には「古めかしい」の良さもある。
[DVD(邦画)] 6点(2013-04-11 02:27:51)
57.  秋津温泉 《ネタバレ》 
男は生きていたくなかった。空襲で家族と家を失い、天涯孤独の身となり、おまけに肺結核を病み、心は虚無に満ち、死場所を求めて秋津温泉にたどりついた。そこで出会った女はよく笑い、よく泣く性質だった。終戦の玉音放送のあと二時間も泣き続ける女を見て、男は生きる希望を持った。激しく深い感情の表出を目の当たりにし、人間の神秘さ、生命の奥深さを感じ取ったのだ。わが人生もすてたものではないと思えた。女の献身的な介護のおかげで、男は健康を取り戻した。二人は惹かれ合っていたが、互いに愛を告白することなく別れた。男は作家を目指したが、すぐに壁にぶつかった。周囲の勧めで結婚もしたが、心は満たされなかった。再び虚無の世界に堕ちた男の足は、秋津温泉は向いた。再会した二人。男は心中を持ちかけ、心根の優しい女は同意する。心中の直前に女がげらげらと笑い出し、心中は自然と取止めとなった。女の屈託のない笑いが男を救ったのだった。歳月が流れた。女は独身を通し、温泉旅館を経営していたが、田舎暮らしには飽き飽きしていた。時折訪れる男を待つだけの生活にも疲れ果てていた。永い孤独が精神を蝕んでいた。女は再会した男に心中してくれと頼む。男は世の中に不満を持ちながらも、それなりに順応できるようになっていたので、死は慮外の事だった。男を見送ったあと、女は自死する。男は女に二度救われたが、女を救えなかった。片思いと知っていながら一人の男を思い続ける女の愛の不思議、片田舎に埋もれた儚くも哀しい女の一生、虚しさと悔悟に苛まれる続けるであろう男の今後の人生。鑑賞後、様々な事がさめざめと想起された。原作は間違いなく良い。映画もほどほどに成功している。しかし何かが足りない。人を死へと突き動かす”魔の瞬間””心の闇”というものが描かれていない。美しい風景も心理描写も、どこか平坦なのだ。立体的で影のある「心の襞」が伝わらなければ、この手の死を扱った作品に重みがでない。男優には”影”がなく、その演技から「苦悩」が伝わってこなかった。顔も凡庸で、この役には不向き。この役には女の死に値するような容貌が必要。女優は健闘している。気になったのは桜の木の下で手首を切るという過剰な演出。それまでのさりげなさが台無しだ。最終場面は不自然なほど花びらが散っていた。花びらを散らしているADの姿が浮かんだほど。
[DVD(字幕)] 7点(2013-02-11 09:32:12)
58.  樺太1945年夏 氷雪の門 《ネタバレ》 
オリジナルは153分だが、フィルム劣化のため119分に編集されてのDVD化。ソ連軍に侵攻されたかつての南樺太や真岡郵便電信局の様子を歴史的視点で描くことより、集団自決した九人の電話交換手に同情する気持ちが強いため、かなりの脚色がある。昭和20年8月20日真岡電信局に勤務した交換手は12名。10名が睡眠薬と青酸カリによる服毒自殺を図り、9名が亡くなった。生存者がいた。遺体は勤務時の姿勢のまま、ヘッドフォンをして電話台に俯せになっていたという。青酸カリの入手経路は不明だが、机の上に置いてあったのを飲んだという証言がある。生存者の中にも所持していたという人もいるので、さほど入手困難なものではなかったようだ。映画では、全員自主的に残留するが、局長に残留要員選定命令が出ていたとする証言もある。劇中、疎開船3隻が留萌沖で国籍不明の潜水艦の攻撃を受け、沈没したと通信を受ける場面があるが、これは22日発生の出来事で明らかな脚色。ソ連の立場はほとんど描かれていない。1945年2月のヤルタ会談で、ドイツ敗戦後90日後(つまり8月9日)のソ連の対日参戦と終戦後の日本の領土・植民地の処理が決定され、南樺太は戦勝権益としてソ連領となると決まった。日本は8月15日に無条件降伏したが、ソ連軍は「8月25日までに南樺太を占領せよ」との命令を受けていて、少なくとも9月2日の降伏調印式までに終了させたい思惑があった。樺太全土を占領できたのは25日。民間の犠牲者は約3,700人。ソ連関係者がこのソ連軍鬼畜映像を見て、激怒したのはむべなること。ソ連関係者から配給会社に横槍が入り、公開は延期、最終的に別の配給会社から当初より大幅に興行規模を縮小しての公開となった。「早すぎる死」と悼む声が多い。街中に艦砲射撃され、上陸したソ連兵から電話交換室にも銃弾が撃ち込まれる状況では逃げ場はなく、ソ連軍から恥ずかしめを受けるといった恐れもあり、いさぎよい死を選んだのは無理からぬことともいえる。日本人には自殺文化、自殺の美学があり、自殺により名誉を守る、責任を果たすといった倫理規範が存在した。お粗末な特撮、ソ連の戦車は自衛隊のものを流用するなど戦闘シーンは迫力がない。砲弾の中、悠然とうどんを食べる少年がいて、頼もしく思っていたが頓死した。逆にきっと食われると予想したうさぎは生き残った。戦争において生と死は紙一重だ。
[DVD(字幕)] 6点(2012-12-22 22:01:41)
59.  メンフィス・ベル(1990) 《ネタバレ》 
1943年5月の時点では、ドイツの防空能力は衰えておらず、連合軍にとっては大変な脅威だった。それなのに、真昼間に低空飛行で援護戦闘機も無しに爆撃しろというのだから無茶な話だ。損耗率が10%近かったので、25回も作戦に参加し、生還できたのは大変幸運だ。当時は無差別爆撃は邪道とされおり、専ら軍の基地や軍事関係工場だけを攻撃する精密爆撃だけがなされていた。だが、やがて勝利をあせる英国が無差別爆撃を主張しだし、米国も1945年には都市への無差別攻撃をするようになった。内容は史実に基づいたもので、戦闘場面はそれなりに迫力があるが、戦争映画としてみると底が浅い。これはどうみても勝者の作る青春アクション映画だ。敗戦国なら、ここに登場する若者の能天気な会話や次々と起る嘘っぽいトラブルの演出はないし、絵に描いたハッピーエンドにもしなかっただろう。戦争は、任務を成功させ無事生還出来たから喜ぶといった類の甘いものではない。勝っても、負けても悲惨なものだ。死に対する恐怖は描かれていても、戦争に対する苦悩が見られないのが残念。若者の勇気を称えても、戦争批判には到っていない。それでもいいじゃないかと言われればその通りだが、せっかくの実機を使っての映画なのに残念だ。アメリカでは全くヒットしなかったのに、日本ではそこそこヒットしたのは若手俳優の人気のせいだろうか。操縦席にトマト・ソースがあったり、敵機との応戦中に喧嘩したり、球面銃座から墜落しそうになったり、負傷者をパラシュートで落として敵国に救出してもらおうと考えたり、爆撃手でない者が勝手に爆弾を落とそうとしたりとやりたい放題である。無理に盛り上げようとするから、リアリティに欠け、こしらえ事に見えてしまう。史実を描くのに、虚構を交えて面白おかしく描く必要はないはずで、製作者の態度に問題がある。真摯に描けば、高射砲の砲弾の中を飛行するだけでも大変な恐怖が伝わってくるはずだ。ドイツ戦闘機との闘いは、全体の状況がよくわからないままに終了する。彼らは本当に勝者だったのだろうか?青春映画としてみると一定のレベルに達していると思うが、戦争の愚かさを描かない戦争映画は高評価できない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-12-19 06:02:13)
60.  戦争と人間 第三部 完結篇 《ネタバレ》 
史実に基づいた戦争群像劇大作にしたかったらしいが、中途半端に終わっている。広義の日中戦争を多視点から描くという姿勢は称讃に値するが、如何せん、いわくありげに登場した人物の多くが途中からいなくなるようでは、脚本の未熟さ、企画倒れの謗りを免れない。一言でいえば「詰め込みすぎ」だ。ダイナミックな戦闘シーンは見れても、ダイナミックな人間ドラマは見られない。戦争の実態を暴き、振興財閥である伍代家の人達が、戦争という魔物に呑み込まれることによって、どのように変貌するかを描くことで、人間の本質を顕現させるだけでよかった。女情報屋、人妻とのよろめき、ベッドシーン、抵日朝鮮人とその愛、満州二世の医者、中国大商人の娘の抵日闘争、ナイフの名人などは、ばっさり切り捨ててよい。第三部が一部二部と較べて退屈しないで見れるのは、描く視点を絞ったからだ。恋愛パートが全体の三分の一を占める。お金持ちのうわついた恋愛を描いたところで、世間の実情とかけ離れるだけ。ベットに誘うのはみな女性からという共通点がある。農村の不幸な身売娘を登場させたのはお手柄。身売りせざるをえない不況の実態があったからこそ、武力をもって国外に進出すべしという世論が形成された。この娘が、最後に「兵隊さん、今度遊びにおいでよ!可愛がってやっからさ」と叫ぶが、これこそが生身の人間の痛切な心の叫びであって、感動するものがあった。「夢中になれるものを探しているの」という長女の言葉の何と薄っぺらいことか。お金持ちの恋愛は、虚構にしか見えない。歴史観は、戦争反対、陸軍批判、資本主義批判の立場で、共産党賛美のプロパガンダに彩られている。陸軍幹部はみな愚かで、資本主義は民衆を搾取し、死の商人である財閥は醜怪で、共産党員は当局の弾圧にも屈せず、常に貧しい人たちや労働者のために闘う正義の人らしい。 張作霖爆殺や柳条湖事件を再現したミニチュアは失笑レベル。明らかに人形とわかる死体を吹っ飛ばすのはやめてほしい。他方、ソ連と共同して撮ったノモンハンでの戦闘場面は迫力があった。当時の歴史認識では、ノモンハン事件では、日本軍が近代兵器を擁するソ連軍に一方的に蹂躙されたことになっていた。しかしソ連崩壊後の新資料により、ソ連側にも日本を上回る被害があったことが判明した。実質引き分けで、プロパガンダによるソ連の勝利である。不満は縷々あるが、見ておいて損はない映画だ。
[DVD(邦画)] 7点(2012-12-08 03:39:11)
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