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41.  スモーク(1995) 《ネタバレ》 
生きるということはタフなこと。若い頃は無茶もするし、心に傷を負い、大切なものを失うこともある。片目や片腕は人生で喪失したものの象徴だ。四千枚もの街角の定点写真は時間の象徴であり、あっという間に過ぎていったと感じられるものだが、じっくりと見返せば見えてくるものがある。人生をそんなに急がないで、時には煙草一服くゆらしながら、休憩してゆきなさい、という趣旨の映画。◆完璧な人生など無い。作家は最愛の妻を失っているし、黒人少年には両親がいないし、煙草屋は恋人と別れた心の傷を持つ。正直だけで生きられたら良いが、実際の人生はそうはいかず、時には嘘をついて相手を煙に巻くことも必要だ。嘘にも種類がある。自分の利益のために相手を騙す嘘、世間を乗り切るための処世術としての嘘、相手を思いやっての優しい嘘。害にもなれば薬にもなる。煙草も似たようなものだろうか。◆作家は生きる気力を失くしていたが、少年との関わり合いで世間との関わりを持つようになり、煙草屋の体験談を元に、作家として復帰する。少年は嘘の名人だったが、作家と出会い、作家に父のような感情を持ち、まじめに働くようになり、遂には実父との再会を果たす。煙草屋は、元恋人と再会し、実の?娘と会い、過去のわだかまりを捨てて、お金を渡す。が、小説のようにうまく収まったわけではない。作家の妻の喪失感は消えることは無いだろうし、少年と実父との関係もぎくしゃくしたままで、煙草屋の娘は悲惨な運命が待っていることが予想される。それでも一歩一歩、毎日を刻んでゆかなければならない。お互いに心を開けば、街角の交差点にように人生が交差し、物語が生まれる。素晴らしいことだ。◆最後のモノクロ場面は、作家の書いたクリスマス・ストーリーの映像化であり、回顧場面では無い。作家は煙草屋の語りがあまりに出来過ぎていたので、嘘と断じたようだが、真相は不明だ。煙草屋の「秘密を分かち合えないで友達とは言えない」の科白から推せば、真実と思われるが、何が真実かは重要では無い。真実と嘘の間には少しの違いしか無い。人生は重いが、同時に煙草の煙のように軽い。長く生きているとそういうことも分ってくる。そういうことをしみじみと感じさせてくれる大人の映画である。◆全員が煙草を吸うのは演出過多。自動車工が高価な葉巻を吸うだろうか?17歳に煙草を吸わせるのも疑問。娘に救いが無さすぎる。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-10 18:45:13)
42.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》 
謎と怪異を前面に押し出して趣向を凝らす前半部分が秀抜だ。 地球規模で異変が起こっている。日本は記録的な暖冬で、宇宙からの怪電波が入り乱れ、夜には流星雨が甚だしい。ある日巨大隕石が黒部渓谷に落下する。隕石は時折磁性味を帯び、徐々に大きくなる。他国の王女が極秘来日のため飛行機に乗っていると、内なる声が聞こえ、飛び降りろという。飛び降りた直後、飛行機は爆発する。王女は日本に現れ、自ら金星人と名乗り、ゴジラ、ラドン、キングギドラの襲来を予言する。来日していたモスラの友人の謎の小美人は、王女の予言を信じ、ゴジラ奇襲による船の撃沈事故から免れることができた。 これらの大風呂敷を広げた謎の解明部分だけでも咀嚼玩味の妙趣がある。実は金星は五千年前にギドラによって滅ぼされ、一部の金星人は地球に逃れ、人類と同化したのだった。王女は先祖の金星人の記憶と能力を継受している。王女は国内の政治紛争の巻き添えになり、暗殺団に追われている。その暗殺団は怪獣によって撃退される。このように物語を交錯させているのが上手い。 加えて、女王と彼女を警固する刑事の恋物語の要素もある。刑事の妹の記者はお転婆でかわいい。脚本に無駄がない。最大の見世物は、最兇の宇宙怪獣キングギドラだろう。ビルを融通無碍になぎ倒す破壊光線の暴威は凄烈で、観る者を震駭させる。形態の美しさには誰も瞠目するところだろう。 さて言うまでもなく、最も括目すべきは三大怪獣とギドラの決戦場面だ。その為の映画といって過言ではない。しかし、期待ははかなくも裏切られた。怪獣を擬人化して、モスラが説得するのでは怖さが失われる。理屈ではなく、有無を言わさず巻き込まれればよいのだ。戦闘特撮は何とか及第点の水準には達しているものの、プロレスごっこの域を出ず、胸がすくような大激突、快哉を叫ぶような破壊活動が見られない。ビル街での決戦であればぐっと迫力が増したはずだ。ビルが破壊されることによって観客は怪獣の破壊力の激烈さを実感できる。自衛隊が参戦しないのは理解に苦しむ。たとえ咬ませ犬であっても、爆撃機の編隊飛行やミサイルの火力で、視覚的聴覚的に大いに盛り上がったはずだ。また人間と怪獣が協力して宇宙怪獣を追い払うところに意義があるのではないか。 脚本はゴジラ映画の中では最上級。キングギドラが初登場した歴史的作品。キングギドラの単品作品が見たい。
[ビデオ(邦画)] 8点(2010-10-15 23:24:49)(良:1票)
43.  ラストコンサート 《ネタバレ》 
◆病院で偶然に出会う二人。女は待合室の男を医者に父として紹介。女は無意識に恋に落ちたのでしょう。あとは子犬のようにつきまとう。女は天涯孤独の身。母は死に、家族を捨てた父探しの旅の途中。会ったことのない父の面影を男に見る=恋の魔法。女は自分の病気のことを知っていた。だからあんなに甘える態度が自然にできた。そしてあくまで明るく男を励まし応援する。実にけなげ。生きる尊さ、素晴らしさを実感しているので、ダメ男を放っておけません。◆男は孤独で非社交的、女を迷惑がっていたが、どこか魅かれる。半分世捨人だが、自分を鼓舞し、元の場所に戻してくれる賢人を無意識に探している。別れと再会の繰り返しはその葛藤の表出。このあたりの流れが自然で好印象。年齢差があるの男女が恋に落ちる理由がきちんと描かれている。ただ男の人物像の掘り下げは弱い。◆全力を傾けずに逃げ出そうとする男を女が罵倒、大喧嘩して別れてからプロポーズへの急展開は意表をつきます。愛の奇跡ですね。「最低の男でもいいか?」「イエス」「意気地なしでも?」「イエス」愛は理屈をを超越。◆キーワードは”逆転”。男は女に病気のことを隠していた。しかし女に嘘と信じ込まされ、今度は女が男に病気を隠す。男は最初女を必要としなかった。が、恋人になってからは依存するほどになり、今度は女が母親的な存在になる。男は零落して田舎を放浪していたが、パリで復帰。女は至高の愛を獲得するが、命が尽きる。女は男に人生の全てを捧げた。男は命である音楽を再び手に入れ、それを女に捧げた。まさに「賢者の贈り物」。◆父の家を訪うが、子供がいるのをみて面会を諦める。これが脚本の不手際。物語に膨らみがなくなる。二人を応援し、女を看取るのが宿泊所の女主人だけというのはもったいない。父やその家族、代理人、共演者、友人を巻き込んで悲劇のラストへなだれ込ませるのが絶佳の展開。名作になりそこねた?◆また入院してからの展開が急すぎ。ここはタメの部分で、お互いに看護し、看取られ、愛を回顧する静かなうちに来るべき悲劇を予感させる重要な場面。◆冒頭に出てくる双子岩が愛の象徴。背景の撮り入れ方がうまく、城や海のシーンなど印象に残ります。「泣かせ」の演出も最低限に抑制されていて好印象。病気を隠した女の心理を想えばぐっときます。オススメです。観て損はありません、特に奇跡を信じる人には。
[DVD(字幕)] 8点(2010-07-01 15:41:21)
44.  ガス人間第一号 《ネタバレ》 
【ガス人間の犯罪】①彼の能力からして、銀行強盗に拳銃を発砲したり、殺しをする必要はない。失神させればよい。②ガス化しても声を出したり、札束を持てるのが不思議。③車で逃げる必要ないし、ましてや警察に追われて藤千代の家に行くなよ。④予告電話と殺害までした模倣犯の動機不明。 【水野】①体格不十分でパイロットの夢破れる。博士に実験に協力すればパイロットになれると説得される。騙されて怪物にされ、博士を殺害。②人生に絶望するものの能力に目覚める。③藤千代に恋するが、不器用で金銭で歓心を買うというアプローチ。殺人は平気で、恋だけが生きる希望。 【藤千代】没落した舞踏の家元。水野から金銭を融通してもらう。お金で元一門の者を雇い発表会を開こうとするが、水野との関係を知られ、元一門の者は去る。水野が全てを捨て、殺人までするほど愛してくれていることを知る。自身が人生に失望していることもあり、共感が愛に。しかし怪物かつ殺人者である彼と幸せに暮すことは不可能。愛の成就のために一緒に死ぬことを決意。結婚の約束をし、発表会終了後に無理心中。 【恭子】最初は藤千代の美しさに嫉妬していたが、次第に2人の恋に同情的に。藤千代に水野を説得して無茶をしないよう、又発表会を辞めるよう勧告。 【感想】隠れた名作。草深の庵、月光、蛍、鬼の面をつけた踊り、そして美女登場。道具立てが素晴らしく、美しい絵物語を見るよう。拳銃をぶっぱなす派手な銀行強盗で幕が開くが、中盤でガス人間の正体は明かされ、サスペンス要素は失せて、以後は恋愛物語に。水野の愛の大きさと暴走に戸惑う藤千代。男の正体と、本当に心から愛されていると知ってからの女の葛藤が見どころ。犠牲者達への責任も感じている筈。どうしようもない恋の行方は爆死という悲劇で終わる。日本的情緒たっぷりな結末。常識破りの恋である。じょうしき-し(死)=じょうき(情鬼)これは冗談で「情鬼=水野」。水野の人間性や葛藤があまり描かれていないのが残念。あまりにも自己中心的で、不敵な振る舞いをするので、共感しづらい。殺人は仕方なく犯す設定にすべきだったろう。警察の爆破装置のスイッチを外しておいたのは若い刑事だろう。それにしても藤千代はどうやって警察の計画をあらかじめ知ったのか?爺やを巻きこんだのはどうしてか。全てを知っている爺やの最後の演技に注目。全ては「古い家の没落」を象徴している。
[ビデオ(邦画)] 8点(2010-06-05 18:47:27)(良:1票)
45.  大魔神 《ネタバレ》 
特撮映画の傑作。怖がらせることにかけては随一の作品。前半の魔人封じの祭は迫力があった。老巫女の演技も良い。中だるみがあるが、後半25分は圧巻で怒濤の展開。大魔神は雷や雲を操り、火玉となり飛ぶことができ、火を一瞬にして消す念力も持つ。まさに神である。応戦する側も、鉄砲、くさり、投石、火攻めと工夫があり、退屈しない。特撮がよく出来ていて、構図がビシビシ決まる。音楽も素晴らしい、ほとんど神の領域。ただいくつか気になるところがあった。①謀反のとき若君と姫が一緒に寝ていたが、あれはありえない。武士なら子供でも男女が一緒に寝ることはない。②若君と小源太の活躍が少ないのが欠点。10年経っても花房の残党達と連絡もとってないとはどういうことか?城に向かった小源太はすぐに捕まり。それを助ける若君も工夫なく罠にはまる。このような二人で城を取り戻し、お家再興がなるわけがない。花房の残党も無能揃いだ。③悪ボス左馬之助の悪逆非道ぶりがゆるい。低予算のためか、彼の京都に登ろうという武将としての活躍ぶりは省略。結局殺すのは小源太を逃がした男と、巫女の二人だけ。農民を使役する場面はそこそこ描かれている。④巫女の話を聞くために城の中にまで上げているが、これはありえない。⑤竹坊の母が死ぬが、その場面がない。冒頭シーンで顔を出しているのに。これを出すことで話に厚みがでるのだが。⑥磔の二人の綱がゆるゆる。⑦大魔神は阿羅羯磨である。過去に暴れだして悪さをしたようだ。それを封じる守り神が、武人像。だから神(武人像)と大魔神は本来別のもの。しかし両者一体となっているのはどういうことか?⑧大魔神は光玉となって飛んできた。だが去るときは光が飛んでいって、武人像が残った。ここにも矛盾がある。光玉は神なのか、大魔神なのか?⑨神が怒ったのは、眉間に鏨(たがね)を打ちこまれたから。参加した者は全員雷や地割れで死んだ。大魔神が動いたのは、乙女の祈りと涙と捨て身の心による。大魔神が去ったのも同じ。乙女の願いは、兄と小源太を助けてくれということで、悪ボスを成敗してくれとは言っていない。大魔神は、自らの復讐ために城に向かったのだろうか。兄と小源太を助けたのは結果論?
[DVD(邦画)] 8点(2010-05-31 17:51:32)(良:1票)
46.  嫌われ松子の一生 《ネタバレ》 
松子の家庭環境は決して最悪ではない。経済的には中流で、妹弟もいて、両親の愛情もそこそこ受けている。松子は父を愛しているが、父の愛情が病気の妹に注がれるのを妬んでいる。父の愛情を自分に向けるためにコミカルな表情をする。愛の飢えの始まりである。松子の不幸を描いているが、本当に不幸なのは他にいる。筆頭は妹で、寝たきりの人生で終る。次は作家志望の男で、自分の才能に絶望して自殺した。もう一人は龍で、家族の愛情は一切知らなかったと言っている。松子は美しく成長し、中学の先生となるが、修学旅行の盗難事件をきっかけにで転落人生に転じる。彼女が家出した心痛で父が死亡、弟から家族の絆と断たれる。家族と故郷を失った松子は、男性に頼るしかなかった。というか、自分を必要とする男性と共依存関係になる。必要とされることでしか、自己の存在意義を感じられない。だから暴力を振るわれても、相手に尽してあげたいと願う。トルコ嬢も厭わない。これが龍をして松子を神と呼ばしめた。不幸な形の自己犠牲。暴力は時にこじれ。殺人に発展する。松子は理容院の男と同棲を始めたばかりのときに逮捕される。タイミングが悪い。刑務所でめぐみという親友を得たのは最大の幸福。出所後は理容院の男と暮らそうと美容師の資格を取るが、出所すると男には妻子がいた。そして愛を知らない男、龍と再会。龍がお金を盗んだのが転落のきっかけだったので、皮肉なめぐり合わせだ。またまた不幸に。松子は足を悪くし、龍は刑務所へ。龍を待つことを唯一の希望にしていたが、逃げらる。以後心を閉ざし、世間と関わりをもたなくなった。ただ一つ、アイドルのファンになることを除いて。典型的な現実逃避。ファンレターとして綴った履歴のバカ正直で長いこと。涙がでます。誰かに理解して欲しかったのですね。返事が来ずに絶望。めぐみと再会し、夢で妹のヘアカットをしたことで、社会復帰をめざす。そんな矢先、中学生に暴殺される。甥の笙が松子の人生を知り、理解を示すのがこの映画の救いの部分。子供に殺人をさせたのは欠点だ。ミュージカル仕立てでテンポがよい。不幸をエンターテイメントとした初の映画だろう。不幸な人生だが、そこに何とか意義を見出してあげたいという心理が働くように作ってある。あのとき、ああしたら、こうしたらと、つい考えてしまう。か弱い松子の”徳”がそうさせるのだ。愚かだが、菩薩のようでもあった。合掌。
[DVD(邦画)] 8点(2009-11-08 16:09:56)(良:1票)
47.  ツィゴイネルワイゼン 《ネタバレ》 
繰り返し現れる記号を元に解読してみます。①骨。骨=美と死の象徴。中砂は、赤い骨の話をした芸者小稲の美しい骨格を愛する。妻園も小稲そっくり。青地と先に死んだ方が骨を与える約束をする。中砂は死の観念に取り付かれている。②不幸。中砂に捨てられ溺れ死んだ女。盲目の門付け、肺病の夫をもつ女、弟が自殺した小稲、死の床にある青地の義妹。精神に安らぎのない中砂も不幸。③熟れる。死の一歩手前の状態。中砂はその時が最も美しいと感じる。青地の妻周子が”熟れた”花の花粉で”熟れる”と抱く。抱かれた周子は以前は食べなかった熟れた桃が好きになる。こんにゃくも、周子の舌も”熟れて”いる。桜が満開に”熟れた”下で、中砂は自殺する。最も美しいときに死にたいという美学。④三角関係。門付けの三人組。この人間関係が二転、三転する。中砂と青地と小稲。中砂と青地と園。中砂と青地と周子。周子の妹の妙子と青地と中砂。中砂の娘豊子と園と小稲。人間関係はつねに三角関係。人生の象徴であり、不幸の原因でもある。⑤トンネル。これは異界への入口。何度も繰り返し出てくる。中砂の家へは切り通しを通らないと行けない。中砂=異界といってもいいほどで、不思議なことは全て彼を通して起る。⑥幻聴。ツィゴイネルワイゼンの聞き取れない言葉が発端。生きていることの違和感、住み難さの象徴であり、死への入口でもある。最後レコードが鳴っているときの青地の言葉は聞こえなくなる。死の世界へ同化してしまったから。⑦類似性。小稲と園がそっくり。門付けの三人組と子供の門付け三人組も類似している。妙子は生死を彷徨いつつ、現実か幻覚かわからない話をする。この妙子がこの映画の世界観と類似。青地と中砂は合わせ鏡の関係。⑧交換。中砂は青地に妻を取り替えようと提案。又先に死んだ方が骨を与えようと言う。生と死、この世とあの世は交換可能。⑨食事。生の象徴で、何度も登場する。葬式など死を連想する場面には必ず食事シーンが出る。生を強調することにより、逆に死を強調している。⑩あの世。ラストの豊子の足跡は六文銭で、これは三途の川の渡し賃。死んだのは中砂ではなく、青地の方だった。逆もまた真実。何故ならこの世とあの世は交換可能だから。主題は「この世に確かなものは何もなく、生と死の区別でさえも曖昧である」ということ。そして「その曖昧さこそが生きていることの証しでもある」。
[ビデオ(邦画)] 8点(2009-10-13 17:56:08)(良:1票)
48.  いま、会いにゆきます 《ネタバレ》 
タイムスリップものとは知りませんでした!ですから、最後に謎解きがあって伏線がびしびし決まるのはとても爽快でした。見事です。死んだ人が生き返ったら、もっと驚いて大騒ぎになるだろうとか、28歳と20歳とでは容貌がだいぶ違っているから不思議に思わないのか、とかいう無粋なつっこみはおいときましょう。巧は誠実で、かつ脳の病気のためあまり利口でないという設定が成功しています。ファンタジーにぴったしのキャラです。タイムスリップについて考察。澪は20歳のときに交通事故に会い、未来へタイムスリップします。そこは28歳で死亡して1年経った世界、仮想年齢29歳です。ショックで記憶を失いますが、巧の話で二人の恋愛を追体験してゆくことにより愛情が芽生えます。そこで自分の日記を発見しますが、そこには驚愕の事実が書かれていました。梅雨が去ったら元の世界に戻ることと、戻ってから死ぬまでの内容です。つまり元に戻った澪は自分の未来をすべて知っていることになります。しかしここで疑問が生じます。澪が「いま、会いにゆきます」と決意を日記に書いたのはタイムスリップした後です。その日記をタイムスリップした自分が読むのですから、少なくとも2度タイムスリップしなければならず、パラドックスですね。また肉体ごと未来へ飛んだのに、戻ったのは意識だけというご都合主義も。では何故タイムトリップしたのか?それは澪が巧を追いかけている途中の事故なので。愛のなせる業と解釈しましょう。このとき雨が降っていたのも雨の季節限定の再会と関係ありそうです。澪の初キスと初体験の相手は29歳の巧になりますが、もしこのとき妊娠していたらどうなったでしょう?できちゃった結婚の末、離婚、とはいきません。巧は何も知らないので、愛は得られなかったはずです。危ないところでしたね。気になったのは、巧が倒れたとき雨だったのに、その前の家に自転車で向かうシーンでは晴れていたこと。それと昼に行われた陸上の表彰式がなぜ夜なのかということ。あと委員長の権限で席を自由に決められましたか。高校生から死ぬまでの10年日記なのにたった一冊ですか。ともかく無駄の少ない、よく練られた脚本です。
[DVD(邦画)] 8点(2009-04-06 02:46:35)
49.  僕の彼女はサイボーグ 《ネタバレ》 
韓国でもエヴァンゲリオンは人気あるんでしょうか? フィギュアが二つ出てきましたね。 そーいえば、サイボーグ彼女のコスチュームも綾波レイに似ています。 タイムトラベルものとして平凡な展開が続くのですが、最後の10分で 一変して、どんでん返しのような展開になります。 この処理が見事ですね。 タイムトラベルものとして新機軸を打ち出した感があります。 東京大地震は、未来を変えたことのぶり返しなのか、それとも定まっていたことだったのか明確ではないですね。 ケーキへ頭突っ込むシーンですが、一度目はサイボーグに擬した未来少女が偶然目撃するだけですね。 二度目のサイボーグは、未来のジローにそうしろと命令されてきたのでしょう。   
[映画館(邦画)] 8点(2008-06-11 22:16:46)
50.  噂の女 《ネタバレ》 
売春防止法が施行される以前の京都の色街の老舗置屋を舞台に、三つの視点から描かれる。 芸者が芸と売春で接待するという伝統的風俗の楽屋裏と、そこで働く女性の厳しい現実。一人の男性を母と娘で争う骨肉の愛憎劇。実家が置屋であることが原因で結婚が破談となり自殺未遂までした娘が、実家に帰り、母と置屋商売に理解を示して再出発する物語。 女将は密かに若い医者と情誼を通じており、金を出して開業させてやりたいとまで思っている。医者は女将の好意に甘えて交際してきたが、女将の娘が帰ってくると、娘に乗り換えてしまう。女将は娘に嫉妬するが、そのとき、狂言の舞台では、老いらくの恋を揶揄した「枕物狂」が演じられていた。道具立てが凝っている。娘が、母と医者の関係を知り、ひと騒動起るが、結局、医者の底が割れて二人は別れる。この愛憎劇が最大の山場と思うが、割とあっさりと描かれ、精彩を欠く。母にしろ娘にしろ、本当の男のことが好きだったのか疑問が残る。情念が感じられないのだ。どうも用意した素材を活かしきれていないように思える。芸者の一人が病気になるが、これもあっさりと死んでしまう。最大の悲劇なのに涙を流す暇もない。逃げた芸者が戻ってくるが、逃げ出した理由などもよく解らない。死んだ芸者の妹が、父の病気と貧困を理由にここで働かせて欲しいと申し出るが、返事は保留されたまま終る。人物の心の深層にまでは立ち入らない姿勢を貫いている。娘が若女将になるという暗示で、希望を持たせて終るが、娘が女将を継ぐと決めたわけではない。全てにおいて、明瞭に描くのを避けているようだ。善悪、正邪、理非、白黒がはっきり決められないのが人間である。女将は世間慣れしているが、医者に対しては愚かである。娘は学があり賢いが、男性には経験不足である。医者は外面は良いが、利己的である。そこが人間の面白さであり魅力である。そういう生の人間を描くのに、置屋はうってつけである。監督は、賢者にも聖人にもなれない人間が愛おしくてたまらないのだろう。あいまいさを残すのが日本流だ。日本映画の真髄を見た気がする。
[DVD(邦画)] 7点(2015-02-07 03:07:28)
51.  戦場のメリークリスマス 《ネタバレ》 
奇妙な味わいの映画だ。捕虜体験者で原作者の分身たるロレンスよりも、セリアズの心理描写に重きが置かれている。彼は障害者の弟を学校のいじめから守ってやれずに見棄てたという罪悪感に苦しんでいた。美しい声を持つ弟は歌を唄わなくなってしまった。それで結婚もせず、戦争が始まると志願し、積極的に危険な任務に身を投じてきた。一方、所長の与野井も同志と誓った226事件の蹶起に参加できず、仲間を裏切ったという負い目に苛まれていた。主義も主張も立場も文化も違うが、共に心の暗渠を持ち、死に場所を求めていた二人が戦場で邂逅した時、やがて惹かれあうのは当然のことだった。魅かれあうのにもう一つ男色という要素もある。共に美青年なのだ。映画冒頭に発生する朝鮮人軍属の男色騒動がそれを示唆している。 俘虜が与野井に殺されそうになったとき、セリアズは彼に接吻して錯乱させ、結果的に俘虜を救った。セリアズは弟は救えなかったが、俘虜を救えたことに満悦し、夢の中で弟の歌を聞きつつ、矜持のうちに死んでいった。与野井はセリアズへの愛憐に堪えず、密かに形見として髪を持ち帰る。そんな与野井も戦後、処刑場の露と消える運命だった。 原軍曹は蒙昧で粗暴な男だが、諧謔を解し、どこか憎めないところがある。自らをサンタクロースになぞらえ、窮地のロレンスとセリアズを救ったことがあった。戦後、戦犯となり、明日処刑という日、ロレンスが訪ねて来た。「あなたは犠牲者だ」と慰めるロレンスに原は、「あのクリスマスのことを覚えているか?」と尋ね、「メリークリスマス、ミスター・ロレンス」と笑顔で言った。彼は訴追に対する弁解は一切せず、苛酷な運命を受忍した。ロレンスは原の死を超越した、凛とした人間性に感動を覚える。軍人としての皮を剥けば、人間味あふれる人物なのだ。戦争がなければ良き友人であったものを。 戦場で憎しみ合う敵同士でありながら、原とローレンスの間に芽生えた友情こそが奇跡なのだ。セリアズと与野井の敵同士で交した接吻こそが奇跡なのだ。それが人間の本来の美しい姿なのだ。神様のくれた奇跡、それが戦場のメリークリスマスだ。戦闘場面を一切描かずに、戦争の愚かさと人間の尊厳と愛と死を審美的に謳いあげた小粋な作品である。演技に難があるのが残念。
[映画館(邦画)] 7点(2015-01-30 03:46:40)(良:2票)
52.  幕末残酷物語 《ネタバレ》 
田舎から上京した柔弱な郷士青年・江波三郎が、新選組にあこがれて入隊するも、苛烈な規律で隊士を統率し、違反者は容赦なく殺戮するという恐怖の支配する閉塞的組織の中で徐々に人間性を失っていく様子を描く物語。と、視聴中思って疑わなかった。血を見ただけで卒倒していた江波が自ら切腹の介錯を申し出るようになり、又女中さととの恋愛も悲恋に終り、悲劇を盛り上げるものと信じていた。しかし最後に思わぬどんでん返しがあった。江波は近藤派に殺された、新選組初代隊長・芹沢鴨の甥で、復讐を誓って新撰組にもぐりこんだのだ。しかも坂本龍馬の海援隊の間諜でもあった。こうなると話が違ってくる。現実主義的手法で殺戮を繰り返す侍達の人間性を冷徹に描く筈が、単なる復讐譚に堕してしまうのだ。物語の軸がぶれており、失望感がぬぐえきれない。 新撰組の鉄の掟に辟易しながらも、心情的に近藤から離れられない沖田総司の葛藤の描写も全くの無駄に終る。沖田は江波のまだ汚れていない純粋な精神を見込んで新撰組に入れたのだ。だから江波の変化を意外に思うし、新選組の暗黒史である芹沢鴨暗殺の秘密も洩らす。その辺りの両者の微妙な心情変化もよく描けていた。結局のところ、江波の正体が間諜で近藤を狙う刺客であるという設定が全てを台無しにした。近藤を狙う機会はいくらもあったのに、何もしなかったという矛盾もある。舞台のほとんどが新撰組の屯所の中だけなのも不満だ。不逞浪人を取り締まる外でこそ新撰組の面目躍如があるからだ。途中までは非常に良いのに最後でしくじった作品である。白塗りのない大川橋蔵が見れる貴重な作品だが、興行面では失敗だったとのこと。
[DVD(邦画)] 7点(2014-12-13 01:50:01)
53.  千年女優 《ネタバレ》 
三十年前に女優を引退した藤原千代子が取材に応じ、過去を振り返る物語。初恋の相手であり、女優となる機縁となった、鍵の君への一途な恋が語られる。回想場面に立花と井田が登場するのが特徴で、中盤からは、井田は役の人物にもなるという斬新な演出。戦国時代からSFまでを演じたので千年女優。主題は一貫して千代子が鍵の君を追いかけること。残念なのは、千代子の目に輝きがなく、顔に生気も感じられず、主人公に魅力が無ければ興味は半減だ。彼女が何故あそこまで鍵の君を一途に思い続けるのかも不明だ。彼女が鍵の君に助けられる等の演出が欲しかった。彼女は類型行動を繰り返し、精神的にも成長しない。何度も地震が起きたり、土蔵の絵画が残ったり、特高が鍵の君の手紙を持っていたりと不自然な点もある。表面だけ追っても理解できない。鍵は、鍵の君の絵画道具の入った鞄の鍵で、これは千代子も承知だ。鍵の君は特高の拷問で死んでおり、彼女は幻を追っていたことになる。追いかけることは、あこがれに向かっていることで、女優であることの象徴。鍵があることで女優でいられた。千代子に恋の呪いをかける老婆はもう一人の千代子。千代子は映画の中で虚構の生を生き、虚構の恋をする。一種の輪廻転生で、それを客観的に見ている自分が老婆。自分に永遠に女優でいる呪いをかけた。だから千代子を生まれる前から知っており、憎くてたまらず、いとおしくてたまらない。鍵をなくして一時呪いの効力は失せたが、鍵が戻り、女優として再生し、撮影途中で投げ出したSF映画を脳内で完成させる。「彼を追いかけている自分が好き」は、女優である自分が好きという意味。最後のロケットがワープ航法で消える場面は、現実での死であり、女優としての輪廻転生からの解脱だ。輪廻転生は随所に出て来る蓮の花で示唆され、ロケット基地も蓮の花の形をしている。劇中、監督が言う。「観客も女優も適当に嘘をおりまぜて乗せてやるんだよ」これは千代子にも当てはまることで、最高の演技をするために、一途な恋を自分自身に演じてみせていた。鍵の君への想いが演技の糧だった。彼女は鍵の正体を知っていたし、鍵の君がこの世にいないことも薄々気づいていた。が、自分に呪いをかけて、永遠に恋焦がれるよう、すなわち女優でいられるよう暗示にかけた。映画も女優も嘘、すなわち虚構である。死ぬまで女優でいることの素晴らしさ。映画愛の詰まった作品だ。 
[DVD(邦画)] 7点(2014-11-21 23:56:01)
54.  白昼堂々 《ネタバレ》 
女掏摸(すり)が捕まったと思ったら、実は元掏摸が助けたという導入部は興を引く。元掏摸は伝説の箱師の銀三で、女掏摸の親分が綿勝、再会した二人は旧交を温める。廃炭鉱の無人宿舎に掏摸や万引きの常習犯が逃げ込む「泥棒部落」がある。綿勝はそこの首領で、四十人程の組合員を養っている。組合員は炭鉱閉鎖で行き場をなくして仕方なく悪事を働く朝鮮人、記憶喪失者、老人等で、同情の余地がある。綿勝は銀三を仲間に誘い、組合員を率いて大掛かりなデパート万引きを行う。これを追うのが嘗て二人を逮捕し更生させた老刑事森沢。仲間が逮捕された綿勝はデパートの売上を盗むという大勝負に出る。それを嗅ぎ付けた森沢との一騎打ちが最大の佳境。 義理と人情の狭間で悩む銀三の姿が描かれ、痛快な犯罪映画ではない。組合員の悲哀も描かれ、銀三の恋愛、若刑事と女掏摸の恋愛もある。犯罪、喜劇、社会派の入り混じった混合映画だ。犯罪映画としては、犯罪世界を見せる面白みに欠け、痛快さが無い。掏摸は洗練さを欠き、万引きの方法も目新しいものではなかった。社会派としては中途半端である。構成員の人物の掘り下げが浅い。老刑事も喜劇に組み込まれているので立ち位置が微妙である。人情喜劇としても物足りない。笑える場面もあるが、銀三と娘の逸話の“泣き”の比重が大きく、「泣き笑い劇場」になっている。分りやすく言えば、犯罪を背景とした二人の男の友情物語だろう。。 構成は悪くない。最初に魅力的な女掏摸や泥棒部落という奇抜さで興味をもたせ、構成員の哀れみを見せ、中盤から二つの恋愛を交えつつ、二人の友情と老刑事の執念を描き、最終対決に至る。要は均衡と落としどころの問題だ。最終対決は悪くないが、語り継がれるような水準ではなく、もう一工夫か、もう一波乱欲しい。何より森沢が二人の大勝負の相談の会話を立ち聞きするという安易な設定が興味を削ぐ要因となっている。犯罪者と刑事の知恵比べが見たかった。二人が看守から掏った煙草を吸い合う場面は一服の清涼剤だ。
[DVD(邦画)] 7点(2014-09-06 11:49:33)
55.  龍の子太郎 《ネタバレ》 
原作は数々の民話を紡いで一つの長編物語として完成させたもの。三年寝太郎、天狗、赤鬼、黒鬼、龍、雪女、山んば、にわとり長者、空飛ぶ白馬など民話の人気登場人物が勢ぞろいで、子供なら充分満喫できる。 物語は龍の子太郎が龍になった母を探す冒険部分と、彼が世の中を知り、他人の為に何かしたいと考えるようになる成長部分とで構成されている。母が子供の食糧として両目を差し出したり、子供の願いを叶えるために我が身も顧みず、死にもの狂いで岩山に体当たりする激烈な母情の発露の部分は非凡で感動を覚える。本作品の最大の魅力となっている。一方で彼が人間として成長していく様子は尋常一様、常識的で、これといって見るべきものはない。民話が孕む怖さ、不思議さ、思いがけなさといったものがなく、予定調和的、教育的で、「飼いならされた民話」に堕している。民話に教訓めいたものなどいらない。背景画は墨絵風でたいそう風情あるが、セル画はこじんまりとまとまっているだけで迫力がないのが残念だ。画面から飛び出すくらいのが躍動感が欲しかった。 天狗が太郎に「百人力」を授けるのは、もっぱら太郎が自分と同じで相撲が好きだからにすぎない。本来太郎が特別な能力を得るには努力や犠牲が必要で、それがあってこそ能力を使いこなすことができるのだ。それを省略しているので、人物に深みが出ない。また天狗が、百人力は他人のために使うときにだけ力が発揮されると説明するが、それこそ無用、無粋というものだ。そのことを太郎が身を持って体験してこそ真の成長があるのだから。その後天狗が登場しなくなるのも欠点だ。 母は利己主義で村の掟を破ったため龍の姿となり、最後は他人の為に身を賭して働いたので人間の姿に戻ることができた。この部分は筋が通っている。一方太郎は旅で見聞を広げ、故郷の山村の人々の貧しさを知り、彼等の為に何をしたいと思った。しかし彼が湖の水を落して水田を造成したのは他郷である。このため物語の納まりが悪い。そこでみんなは幸せに暮らしました、で物語が終るが、では故郷の人はどうなったのか?太郎は、あれだけ優しかったおばあさんのことを忘れてしまったのか?おばさんにお米を食べさせたいという感情が太郎の成長の端緒だったのに。彼が故郷の人々を救って終るのが本来の筋だ。絵も筋も骨太にすればするほど輝く、そんな原作だ。
[ビデオ(邦画)] 7点(2014-06-29 23:08:48)
56.  雪国(1965) 《ネタバレ》 
駒子は雪国の生まれ。貧しさゆえに16才で東京に酌婦に出された。旦那に落籍され、将来は踊りの師匠として生計を立てる約束だったが、旦那が1年程で亡くなり、国に戻った。両親も亡くなり、天涯孤独の身となったが、踊りの師匠の厚情で養女となった。師匠は息子の行男とめあわす積りだったらしいが、東京に出た行男が結核にかかり、自身も中気で半身不随となってしまう。東京で付添っていた葉子が行男を連れて帰り、奇妙な三角関係となる。駒子はふと知り合った旅行者の島村に惹かれる。知的で甘い風貌、柔らかな物腰、温泉町にはない都会的雰囲気を持つ。駒子を今の境遇から抜け出させてくれる希望にみえるのだ。嫌いな面もある。既婚者の上に、身勝手で薄情だ。無遠慮に枕芸者を世話しろと言い出したり、鳥追い祭に来る約束を反故にしたり。島村にとって自分は、一年に一度だけ会いに来て、気まぐれに抱く女でしかない、そう思うと辛かった。やがて駒子の境遇が変わる。行男の医療費を払う為に芸者となったが、行男と師匠は相次いで鬼籍に入る。新しい旦那もできた。それでも島村が来ると微かな希望にすがるように会いに行ってしまう。島村にとって駒子は縮布のような存在だ。「雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に洒ぎ、雪上に晒す」時折、その美しさを愛で、肌を撫でていれば満足なのだ。事件が起こった。葉子が火事に遭って重傷を負ったのだ。老人や子供を置き去りにできず、助けているうちに逃げ遅れたのだ。恵まれない境遇でありながら、汚れを知らず、殊勝で純真さを失わない葉子。駒子にとって彼女は、喪った処女時代の分身だ。また一つ大切なものを失ってしまった。駒子は雪国に骨を埋める決心をし、島村に別れを告げる。島村は帰るしかない。美を追求する原作者の妄想が生んだ幻想譚。トンネルを抜けると異界が広がっている。雪国という清浄な世界。白銀一色の景色は鮮麗で、女性は美人で清潔、人々は素朴な生活を営んでいる。そこでは原作者である島村は女性には好かれる。遠くにあるからこそ美しく、憧憬の対象であり、最後に別れがあることを承知している。「伊豆の踊子」と同工異曲。彼女達の境涯に同情はするが、冷徹な態度は変わらない。あくまで旅人として距離を置き、私生活には立ち入らない。男性からみた理想的な女性像でしかないが、「日本的な美」を切り取った功績は大きい。映画は美という点でかろうじて合格。 
[DVD(邦画)] 7点(2013-10-14 15:29:14)
57.  地球防衛軍 《ネタバレ》 
H・G・ウェルズの「宇宙戦争」の亜流。米国映画「宇宙戦争」は1953年制作。 天体物理学者白石が富士の裾野の村に滞在しているのは、宇宙人ミステリアンの研究のためだが、学者仲間の渥美、白石の妹江津子、白石の婚約者広子を盆踊りに招待したのは何故か。この時点ではまだ宇宙人とのコンタクトはなかったのか。宇宙人は花嫁候補として江津子と広子を指名するが、その選定に白石がどう関わったのか。白石の人物像がしっかりと像を結ばない。また白石は宇宙人基地内で宇宙人と同じスーツを着用しているが、どうしてか。渥美は普通の服で押し通している。 宇宙人が山火事や崖崩れ等の災害を起こすが、意図的なものか、要塞建設工事に伴う事故なのか。意図的に村の千人もの命を奪っておいてから交渉を始めても意に適う成果は期待できない。外交べたである。 宇宙人は秘密裡に地下巨大要塞を建設中で、「これさえ完成すれば東日本は我々の意のままだ」と嘯くが、何故それが完成してから地球人との交渉を始めなかったのか。たった500時間待てない理由を述べよ。 白石の宇宙銃で撃たれた宇宙人が消滅するメカニズムを知りたい。同じ銃を機械に照射すると爆発するのに。 宇宙人の素顔にケロイドがあるのは何故か。惑星を爆発させた大原子戦争があったのは10万年も前の話。ケロイドは遺伝しない。ストロンチウム90の影響というが、それが遺伝的なものならば、地球人の女性と生殖しても子孫に影響は残るだろう。 特撮はモゲラの場面が素晴らしい。愛くるしいデザインだ。対ドーム決戦はミニチュア然として物足りない。ドームは移動しない上に、巨大さが感じられない。延々と続く砲弾・ロケットと光線のクロスカッティングも退屈に思えてくる。パラボラ兵器は受けた光線を反射するのだが、知性があれば二三度で気づいて、撃つのを辞めると思うが。放射能の影響が脳に及んでいるのか。それなら沢山ある円盤を温存して使わなかった理由もうなづける。 消防士がモゲラに放水していたのが印象的。人はパニックになると思わぬ行動をするものだ。 冒頭、盆踊りで始まったのには意表を突かれた。戦争と対極の「民衆の平和」を前面に押し出すセンスを賞賛したい。後に判明するが、盆踊りには宇宙人が混じっていて嫁選びの写真を撮っていたこと。つまりきちんと物語につながっているのだ。それにしても、花嫁五名といっていたのにかなり増えていたな。
[DVD(邦画)] 7点(2013-09-21 19:38:22)(良:1票)
58.  河内山宗俊 《ネタバレ》 
「思いやり、やさしさ」が主題だと思う。 お浪は、やくざ社会に足を踏み入れかけている弟、広太郎のことを案じてやまない。 将棋詐欺の場面で、広太郎が宗俊に思いやりの言葉をかけたことで、二人は親密になる。 お浪が怪我をしたとき、宗俊と浪人金子は、共にお浪を思いやっていることに気づき、急速に昵懇となる。 宗俊も金子も聖人、君主の類ではなく、好きなように生きてきて、時には悪事も働き、清濁あわせ持つ人物で、可哀相な小娘、お浪のために命を張ることも厭わないやさしさを持っている。よき死に場所を得たことで、却って本望だろう。 宗俊の女房は悋気を起こし、我知らずお浪を窮地に追いやってしまうが、宗俊の危機には身を挺しても守ろうとする。 宗俊もそれに応える。夫婦愛の完成である。 監督は美的感覚が優れている。お浪が身売りを決心する場面の構図は見事に決まっており、雪の中を出ていく場面は美しい。 監督の特徴である無駄のないショットの繋ぎは、そのような美的感覚があればこそだろう。圧巻は、掘割での対決場面だ。奥行きを見せる縦の構図から疾走感を見せる横の構図へと繋ぎ、最後は地平線へ駈ける縦の構図で終る。水の使い方もうまい。乱闘の水飛沫、迸る落ち水、躍動感を盛り上げている。入水場面での月影を映す水、月影の砕ける波紋も印象的だ。 難点は、弟広太郎の人物像が描かれていないことだ。優しい姉がいるのに、どうしてグレたのか。幼馴染の遊女と心中を決心する場面で、「どうせ生きてたってしょうのねえおれだ」と吐き捨てるが、その心情が伝わってこない。同年代の少年は丁稚奉公などで働いている筈である。普通は、遊女に売られることが不幸なのであって、身請けされるのは喜ばしいことだが、この遊女はどうして死を賭して、脱走までしたのか。そこに至る過程が描かれていないので唐突感が残る。省略の美はよしとしても、省略し過ぎでは、余韻に浸ることはできない。よしや、広太郎が無事お浪を助け出したとして、広太郎は親分殺しの御尋ね者である。二人でまともに暮らすことはできないだろう。蛇足だが、遊女の身売り金は多くて五十両くらいであり、三百両はべらぼうに高い。身売り金と身請け金が引き合うわけはないのである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-04 23:28:47)
59.  人情紙風船 《ネタバレ》 
江戸時代の長屋と庶民の暮らしぶりが写実的に再現されていて興味深かった。三人の人物が主人公。浪人の海野は仕官が叶うのを夢みて、亡父の知人である家老に嘆願を繰り返す。相手にされていないのは薄々気づいているが、仕官を疑わない妻の手前もあり、希望があるように振る舞う。言葉巧みに大家から通夜の御酒や肴を引き出すなど、才知に富み、度胸も据わっている新三は、慎ましく日銭を稼ぐ髪結い業に倦み、闇賭場をひらき、濡れ手に粟の生活を目論む。それが地元やくざの縄張りを荒らすことになり、付け狙われている。質屋の娘お駒は番頭と恋仲になっているが、番頭に結婚の意志はなく、親の勧める武家との縁談がとんとん拍子に進んでいる状況。三人とも不幸が共通点。その三人の運命の糸が質屋を舞台にひとつに絡まりあってゆく。その展開は見事だ。後半になるほど進度がよくなる。予定調和的な大団円を期待していたが裏切られた。浪人は仕官叶わず無理心中、新三はヤクザとの決闘で討死、お駒は家に連れ戻される。見せない美学がある。海野の女房お滝が、実家でどのような冷たい視線にさらされ、屈辱的な気分を味わったか。帰宅した長屋で立ち尽くす背中で語るのみである。無理心中は白刃のきらめで暗示される。新三が決闘で負けるのは相手との刀の長さの比較で暗示される。長屋に戻って来ないことでその死が知れる。お駒の運命は迎えにきた番頭の態度で知れる。余韻の残る演出だ。紙風船は子供を楽しませる夢のあるものだが、それを作っているのは世間の底辺でうごめいている人たちだ。 仕官という夢で膨らんだ紙風船だが、あまりに儚く軽く、遂には世間の風に飛ばされて、どぶに落ちてしまった。ごみ溜めのような長屋での暮らしだが、人々は明るく活気がある。隣人の自殺を冗談ごとのように済ませ、死を悼まないのは薄情だからではない。生きてゆくには、自殺も笑い飛ばす程の図太さが求められるのだ。毎日汗水たらして働かねば生きてゆけない。活気があるのは当然である。金魚売の科白「こうして朝から金魚、金魚で言っているとね、金魚が何だか、俺が何だか、わらなくなってくるよ」は、実感が籠っている。ここでは夢や強すぎる矜持は生きる妨げとなる。自殺で始まり、自殺で終る、循環形式の物語。膨らんでは萎むのが紙風船。又誰かがどこかで膨らませることだろう。その一つ一つにささやかな庶民の物語がある。 
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-04 03:44:23)
60.  紀ノ川 《ネタバレ》 
家父長制度の色濃く残る明治時代に、和歌山の名家から大地主へと嫁いだ女一代を描く抒情詩。嫁にきたからには、その家の家霊となり、身命を賭して家を守株するという考えに疑問を抱かない女。が、時代と共に移りゆく価値観や家制度・土地制度の矛盾によって翻弄されてゆく姿を娘や孫娘たちとの対立や葛藤を交えて描く。四季折々の風景や地方の風習を織り交ぜており、全体的に好印象。神目線である俯瞰ショットや奥行きを強調した構図などカメラワークには工夫がある。冒頭の舟での嫁入り場面に10分も時間をかけるなど、ゆったりとしたカメラまわしの為、大作感はあるが、大作ではない。台風、洪水、空襲などの特撮やモブシーン(群集場面)はほんのささやかな演出で、そのため各時代の重石がなく、ドラマの総集編のような薄味の印象だ。このような作品は、女の身辺の日常や事件をじっくりと描けばよいのだが、時折理屈っぽさが顔を出すのが瑕疵。紀ノ川を人生に見立てているのは明白なのに、何度もそれを暗示する台詞が挿入される。家の守り神としての白蛇が、嫁入り後間もなくと、死の直前に現れるなど作為が露わだ。これらは鑑賞の妨げにしかならない。また女性を描くことに重きを置きすぎているために、男性陣の影が薄い。特に長男はひどい。娘の聟は登場もしない。女が最も感情を露呈するのが、自転車に乗った娘を折檻する場面。この場面だけが浮いている。甚だ反抗的で強気だった娘が、このときだけは弱い少女に成り下がっていて、矛盾を感じる。ただ、この場面で女の足元をアップで見せる演出は印象深い。内に秘めた興奮と怒りを十分に描いており秀逸だ。原作者の分身が孫娘だが、前二代と較べると見劣りがする。役者としてのオーラがないのだ。この孫娘に女(祖母)の意志が一部受け継がれていくので、女が亡くなっても観客は安堵できるのだが、それが台無しになってしまっている。何度も繰り返される終焉の場面は演出ミス。煙が出ての場面変換はギャグかと思うほどくどい。戦後、女はどうして家宝の骨董品を売却したのか。あれは「家の葬式」なのだと思う。戦後と共に家が滅んだことを認識した女は、心の中の「家という煤」を一掃する必要を感じた。自分が生きている間に家の始末は全部済ませておきたいという気持ちに駆られたのだろう。それが家宝の売却という行動となった。その心情に思い至ったとき胸が熱くなった。
[DVD(邦画)] 7点(2013-05-20 23:14:47)
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