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プロフィール
コメント数 407
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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121.  月光の夏
泣ける映画だ。特攻隊で亡くなられた方々に対し、60年後の僕らが真っ当に向かい合える為には、どうすればいいのか。それがこの映画の中で問われている。とは残念ながら思えない。それはあまりにも難しすぎるテーマだから。ここでは、単に、ある特攻隊員が出撃前に残したピアノ演奏にまつわる各自の思い出が語られるのみである。しかし、最後にようやく真実を語ろうと決意した旧隊員が何十年かぶりにピアノと対面するシーンを前にして、僕らがこらえきれず号泣してしまうのは、ひとえに仲代達也のうるうるしたギョロ目に圧倒されるからに違いない。でも、ほんとに泣けるよー。
8点(2003-10-17 00:23:57)
122.  誘拐報道
ラストシーンは泣けましたね。ああこられては、もう無条件でしょう。。。子役の高橋かおりちゃんもいつのまにかオトナになりました。
8点(2003-09-27 12:27:10)
123.  遊びの時間は終らない
意外と面白かったと思う。そもそも、設定からして擬似的強盗ごっこで緊迫感に欠けるし、展開も強引。いくつかの不発弾的<大丈夫かいな?的>要素を抱えているが、結局、わりと面白く観れるんだなぁ。これは一種のパロディでしょう。笑いは上滑りしながらも、なかなか軽快でした。笑いが不発ではなかったと思う。不発弾的笑いではある。<暴発するのか、しないのか?!> 
8点(2003-09-21 11:02:30)
124.  クイック&デッド
面白いと思うけどね。ディカプリオが良かったよ。キザでちょっとまぬけはキッド。個人的には「ギルバートグレープ」や「タイタニック」なんかよりこっちの方がしっくりきた。西部劇も昔と違ってゲーム感覚でマンガちっくなところが現代的ですね。
8点(2002-03-17 01:26:56)
125.  11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち 《ネタバレ》 
三島の人物造型について、楯の会と11.25の自決事件に関する史実を中心に描くと、本作のように一面的な描写に終始してしまうのだろう。小説、例えば、『金閣寺』や『春の雪』で描かれる彼の文学性と自決事件での行動が現実の中でうまく整合しない。故に三島の文学性が如何に彼の行動にリンクしていたのかがいつも切り捨てられてしまう。三島自身が楯の会や自衛隊の体験入隊等の行動の中で、彼自身の文学性を自ら否定してみせるので、それも致し方ないのかもしれないが。三島文学や三島事件について、これまで多くの言説が弄されてきたが、彼の文学と事件が融合して語られない、文学者は事件に触れず、事件記者は文学に触れない。それこそが三島の特異な二面性として、事件から40年以上経った今でも、三島由紀夫という人物の本質を未だに捉えきれない要因なのだと思う。  三島の作品の中で、『憂國』や『英霊の聲』にこそ、彼の美意識の極点として、美しき日本の文化を象徴する幻想としての天皇主義の萌芽があった。その思想は彼の遺作ともなる『豊饒の海』によって完成することになる。1965年から自決の前夜まで。楯の会の行動と並行して著された『豊饒の海』にこそ、彼の行動と思想の全てがあるのだと僕は思う。その分析を抜きにして、三島事件を語ることはできない。『春の雪』の究極の禁忌としての恋愛があり、『奔馬』におけるテロルと自死への強烈な憧憬がある。『暁の寺』で唯識と煩悩の狭間で迷界を通過し、そして、『天人五衰』のラストに至る。三島も小説の本多と同様に、最後に月修寺の寂漠を極めた庭に佇み、門跡と対話して、無の境地としての豊饒の寂漠に辿りついたのだ。  映画の三島はヤサオトコ過ぎて、また、彼の文学的な側面がストーリーからすっぽりと抜け落ちている為、実際の三島から発散される(覆い隠すことができない)自意識の匂いが全くしない。彼の実際の姿を今やyoutube等で簡単に観ることができる。彼の強さと弱さが同居したような肉体と言葉には、押し出しの強さと共に躊躇いと抗いが常に見え隠れしている。  本作は、若松孝二が60-70年代の若者達を捉えた学生運動や思想がどのように先鋭化し、追い詰められ、最終的に「事件」に行きついたのかを総括した作品だといえる。前作同様、実録として、心理劇としての見応えはあるけれど、その文学的/観念的な側面を含めた事件の本質を描き切るまでには至っていない。
[映画館(邦画)] 7点(2012-06-17 00:06:01)
126.  ロボジー 《ネタバレ》 
爺さんにロボットの衣装を着せて、本物のロボットにみせかける。現代のハイテクノロジーの時代には有り得ない「設定」故に多くの人々がロボジーの正体を見抜けない。  漫画的な発想として、このアイディアは「有り」かもしれないけど、実際の映像を見てしまうと、やっぱりこれは設定として「有り得ない」。いくらなんでも、バレるでしょう。あのロボジーの動き。訳の分からないセンサーの説明。意味のない制御用パソコン。不自然な設定ばかりが気になって、話に集中できなかった。(僕のような)理系の人間に夢を与えない、そんなのファンタジーじゃないよ。それ以外は面白かったけど。。。
[DVD(邦画)] 7点(2012-05-16 00:28:28)
127.  男はつらいよ 寅次郎心の旅路 《ネタバレ》 
マドンナは3回目の竹下景子。  今度の舞台はウィーンである。寅さんがもう少し若ければ違った展開があったのかもしれないけど、海外だからどうということもなくて、場所がウィーンでもゆふいんでも話は変わらなかったんじゃないかと思ってしまう。竹下景子も前回、前々回と比べると好感度が落ちるかな。唐突なヘルマンの登場と空港でのラストシーン、その後の寅さんの落ち込み具合もとってつけたような感じが否めない。
[DVD(邦画)] 7点(2012-04-30 23:30:45)
128.  男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 《ネタバレ》 
マドンナは三田佳子。  サラダ記念日ありましたね。前作の寅次郎物語に比べると見どころが少ないかなと。寅さんも元気がない。元気印のあけみもいなくなってしまったし。満男もまだ大人しい。大学の講義を受ける寅さん。どっかで似たようなシーンがあったような。夢枕かな。かもめ歌では夜間学校で同じような場面があった。その頃の寅さんと比べると表情が乏しく、滑舌も悪いし、学生たちに聞かせる話のキレとノリがいまいち。三田佳子が寅さんに惚れるというのも無理があるよ。この後、ゴクミシリーズに突入していくのも仕方がないかな。  この回から「とらや」がいつの間にか「くるまや」に。やっぱり寅さんが帰るのは「とらや」だよ。どこの「とらや」が何と言おうと、「とらや」は「とらや」だ。
[DVD(邦画)] 7点(2012-04-29 23:38:23)
129.  男はつらいよ 柴又より愛をこめて 《ネタバレ》 
マドンナは2回目の栗原小巻。  アパッチけんと光石研もよく出てくるなぁ。アパッチはOPドタバタがなくなったので本編に昇格って感じだろうか。今回は美保純演じるあけみが準主役。そのせいか少し話が拡散してしまったような気がする。あけみの家出と離島でのちょとしたアバンチュールはよかったけど。(相手役の田中隆三もいい!) 寅さんの方の恋愛色は薄いし、離島の暮らしぶりとか、その辺りもあまり紹介されず。最後の川谷拓三も彼らしい役ではあるけれど、あまりにもとってつけたような短い登場だった。
[DVD(邦画)] 7点(2012-04-29 23:33:07)
130.  男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 《ネタバレ》 
マドンナは樋口可南子。  第20作『頑張れ!』から続けて観ると、何やら似たような話である。今回も寅さんが恋愛指南役。寅さんが平田満に指南するデートの作法は、『頑張れ!』の時とほぼ同じ。笑ってしまうくらいに筋が通っている。フラれたと思い込んで、男の方が自殺しかけるところも同じ。だけど、最後はうまくいく。そこも同じ。樋口可南子はとても綺麗で、いい女です。そこが大きな見どころかな。  寅さんやタコ社長、そしておじちゃん、おばちゃんが急激に年をとった感じがする。対して、満男がだんだんと大人っぽくなってきた。
[DVD(邦画)] 7点(2012-04-29 23:33:04)
131.  男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 《ネタバレ》 
マドンナは中原理恵。  シリーズ屈指の不人気作といった感じだけど、そこはシリーズの安定感。それなりに面白く観れた。話にまとまりが乏しく、佐藤B作や渡瀬恒彦の役回りが少々投げっぱなしのような気がするし、そもそも中原理恵にあまりマドンナとしての魅力を感じなかったのだけれど、それでも面白い。それはもう寅さんの魅力。そしてさくらや博、満男、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長などとらやの面々の魅力なのだ。  30作以降(正確に言えば26作以降かな)、寅さんは自ら恋愛に足を踏み入れることがなくなる。恋愛を超越したところでマドンナを見守る存在(とらやの面々含め)となる。そういった寅さんの眼差しは初期の頃とは明らかに違う。今回も中原理恵は最初から寅さんの恋愛対象外。彼女の幸せを望むおじさん的な眼差しであり、これ以降の寅さんのスタンスを決定づける作品となっている。あと、とらやで寅さんが引き起こすドタバタ騒動もなくなるのだが、それは、その後あけみや満男に引き継がれることになる。
[DVD(邦画)] 7点(2012-04-29 23:32:59)
132.  男はつらいよ 旅と女と寅次郎 《ネタバレ》 
マドンナは都はるみ。  というわけで少し異色作と言えるかも。但し、都はるみの演技に特に違和感はなかったし、ハスキーで甘えた感じの声と少しはすっぱな口調はよかったかな。寅さんが都はるみに抱いていた感情は恋心という感じではないし、都はるみの逃避行する相手が寅さんというのも恋愛ドラマとしては盛り上がりに欠けるだろう。でも仕方ない。それこそ30作目以降のシリーズの特徴である恋愛や世情といったようなものを既に超越した寅さんととらや一家の魅力はしみじみと伝わるのだ。
[DVD(邦画)] 7点(2012-04-29 23:26:11)
133.  新・男はつらいよ 《ネタバレ》 
マドンナは栗原小巻。  本作は小林俊一監督作品である。山田洋次以外の監督作として初めて鑑賞。やっぱりいつもの寅さんと雰囲気が違う。寅さんの言葉使いがやくざっぽさに振れ過ぎているし、特に前半はドタバタ喜劇に過ぎている。マドンナ栗原小巻との恋愛模様もすごく淡泊だし、人情劇としても薄い。第一、さくらの出番が少なすぎる。寅さんを最後に引き留めるのはさくらじゃないとね。ただ、森川信のおいちゃんは喜劇にピッタリはまっていた。
[DVD(邦画)] 7点(2012-04-28 22:49:56)
134.  男はつらいよ フーテンの寅 《ネタバレ》 
マドンナは新珠三千代。  本作は森崎東監督作品である。シリーズで山田監督作品でない2作のうちのひとつ。寅さんに少し荒々しさがあり、山田流の人情ものとは違う色合いがあったかな。やっぱり寅さんは山田洋次監督作品でこそ一番魅力的。ルパン三世と同様でキャラクターが一緒でも製作者が違うと全然色合いが違ってくる。それでも芸者の香山美子の父親 花沢徳衛と絡むシーンは感動した。さくらの出番が少ないのも山田作品と違う点かな。
[DVD(邦画)] 7点(2012-04-28 22:49:52)
135.  モテキ
前半はすごく面白かったのだけど、後半は観ているのが結構辛かった。なんか面白くなくて。それは結局のところ、主人公が何故モテるのか観ている最中に殆ど理解できなかったからだろう。ホント、何でそんなにモテるのかな? ちなみに森山未來クン自身はダンスもうまいし、すごく魅力的だとは思うけど。(以前見た新感線の舞台もサイコーだったし)  これからの時代、趣味の結びつきこそが人間関係の基本となる、つまり「生きる縁(よすが)」となり得るのだ、と言ったのは『ハイ・フィデリティ』の主人公だったか。なるほど、今やそれが現実的に妥当な時代がやってきたということか。成長よりも趣味ってか。  それはそれとして、リリーフランキーの演技は最高だったなぁ。役柄は人としてサイテーなところもあるのだけれど、全然憎めないというか。ああいういい加減さって、逆に人間的に大きな魅力として映るのかもね。 
[映画館(邦画)] 7点(2011-10-10 10:06:58)
136.  ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~ 《ネタバレ》 
これはいけない。前半は『ヴィヨンの妻』、後半は別物。『太宰と妻の物語』と言いたいところだけど、実際の太宰の妻は全く違う境遇だったし、なんと言ったらよいか、ひとつの物語として、その「接ぎ木」は、とても中途半端に思える。  ヴィヨンの妻とは、大谷が泥棒を働いたということを店の主人から聞かされ、その台詞まわしに思わず笑い出してしまう佐知その人なのである。彼女を演じる松たか子がみせた泣き笑い、苦境をもろともしない根拠のない明るさ、小さく噛みしめる充実の表情はとてもよかった。それは一歩間違えば簡単に不幸に潰され、埋もれてしまうような仄かな明るさであり、だからこそ、それを真摯に描いてみせることによって、僕らははっとするような生の本質を感じる。彼女のからりとした明るさと大谷という破天荒な誠実さの対比にこそ、その本質がある。それが太宰治の『ヴィヨンの妻』なのだと僕は思う。  だから、、、途中から、ちょっと違うよなぁと思ってしまう。松たか子と浅野忠信はイメージに合うのだけど、「接ぎ木」以降の物語は、不要な「落ち」としか思えないのである。
[DVD(邦画)] 7点(2010-05-13 00:28:37)
137.  博士の愛した数式
一見、この物語は少し変わった人物(80分間しか記憶がもたない数学者)である博士と平凡な家政婦親子との交流を軸にした心温まる人情物語にも見える。博士と義姉との過去の不倫関係が匂わされる程度で、これといった恋愛劇もなく、穏やかな愛情、心の交流とでも言うべきものを描いたストーリーだと捉えられる。 この物語のメイントピックを支えるのは数学であろう。物語の日常や記憶の中に数学という論理性や完全性という意匠をちりばめながら、その純粋さや単純な美しさを説く。そういった崇高性を帯びた雰囲気の中で、博士は日常という記憶を失った人物、まさに数学的な論理と純粋さのみを纏った人物として描かれるのである。 一昔前ならば、こういった人物像は、ある種の探偵小説やミステリーで描かれる独我論的な犯罪者に見出される妄想的な観念の根拠となったものである。 そういった観念の崇高性は、数学的論理そのものが破綻すべきものであることが証明され、思想化された70年代後半以降、失われた熱情となったはずである。この物語の主人公である博士は、そういったある種の微温的なラディカリズムを内に秘める人物として設定可能でありながら、それは80分間しか続かない記憶のように、永久に失われるべきものとしてこの小説には一切表には出てこない。 完全性を失った数学に対し、完全性への美しさを希求するが故に、記憶を永遠に失い続ける数学者。そして日常への信と不信を生きるよるべとしながら、その原理に否応なしに惹かれ始める家政婦。数学を媒介としながら、そのお互いの心理は巧妙に隠されていると僕には感じられた。それはお互いの可能性を実に巧妙に回収しつつ、その微細な亀裂にエロスを仄かに立ち上らせる。それはとても感動的な光景だ。その巧妙さがとても感動的なのである。それがこの小説の新しさであり、僕らを動かす違和なのだ。 以上が小説に対する僕の感想であるが、さて、映画である。この映画が原作のもつ高い水準のメタレベルを映像的に継承している、とはとても言いがたい。残念ながら、映像がその本質を全く捉えていないし、映像が映像足りえていない映画作品としか言いようがない。原作の素晴らしさを知ってしまった以上、その欠落はあまりにも目に余る。残念ではあるが、この小説がいくつかの賞をとり、ベストセラーとして映画化されてしまったことにその悲劇の原因があるのかもしれない。
[DVD(邦画)] 7点(2006-11-05 02:07:25)(良:1票)
138.  夜のピクニック
現代のロード・ムーヴィー。80kmをただひたすらに歩くという年に1度の歩行祭を彼女たちが特別なことと思い、そこに現代では既に埋没してしまった「青春」を掘り起こして、その古の情熱を感じたいと願う、その心情自体が実に現代的なのだと思った。しかし、この映画は当然のことながら従来の熱い青春映画とは対極の位置にある。確かに主人公の女の子と男の子の境遇は特別で、一歩間違うと湿っぽい叙情劇となりうるのだが、それがギリギリのところで乾いた共有感覚によって持ちこたえられ、実に爽やかな青春のワンシーンに差し替えられる。その過程のある種中途半端な心理劇の中に、この作品のその中途半端故の乾ききった「ニュアンス感覚」の現代性がある。また、青春という定型ファンタジーがリアルへとあまりにも容易に転換するそのマンガ的なリアルさがとてもリアルなのだ。 ロード・ムーヴィーとは何かを探す旅を写す。そこには常に不可能性の可能性とも言うべき不条理な行き方が見え隠れするのがこれまでの常だった。そういう意味で、この映画は正にロード・ムーヴィーたる資格を持ちながら、それを見事にはたき込み、うっちゃってしまう。彼らの答えは実に安直で、恐ろしいほどのハッピーエンディングに結びついてしまうのだ。それが現代の浅薄さ、画一性を象徴しているところは、おそらく映画的に言って確信的と思われる潔さで、それが僕にはとても面白いと思えた。結局のところ、それをニュアンス的に共有してしまう、その面白さが僕らの中にもあって、それがこの作品の評価を支えるのだろう。そして同時にこれはもう後戻りができないのだろうという諦念をも感じた。 ちなみに小説も読んだが、小説の方は説明過多という感じで、僕には映画の方がしっくりきた。 あと、全然関係ないけど、生徒達のTシャツが少し気になった。主人公のTシャツがチェで、あと青と赤のモッズのトレードマークTシャツのやつもいたなぁ 
[映画館(邦画)] 7点(2006-10-21 01:37:02)
139.  パッチギ!
在日を絡めた青春群像劇という着想はなかなか面白いし、実際、期待以上に楽しく観ることができた。しかし、敢えて言えば、ただそれだけの映画でもある。 ということで、この映画そのものに対するコメントはあまり思い浮かばないのであるが、それ以上に、僕にとって面白いナと思うのは、この映画が予想以上に世間で好評価を獲得しているという事実に対してである。僕はこの映画を観て、在日の問題に対する新たなパースペクティブを見出すことはできなかったし、問題そのものを改めて考えさせられることもなかった。そういう情況に対する説得力のある映画ではないと思う。とはいえ、各エピソードに心震えるほど感動することもなかったので、ノスタルジーに思いを馳せるような親世代的な観方を別にすれば、僕らの心を響かせるような、つまり個人の文学性に訴えかけるようなそういう類の作品でもない。では何だ?と考えるに、これは率直に言って「在日版キャラクター青春映画」なのだと僕には思えた。そりゃまた何のワンフレーズコピーだ?と問われれば、それは特に深い思想性とか、文学性だとか、社会科学的な主張だとか、歴史性とか、そういった核のない、単にキャラクターを立たせることによって、僕らのニュアンス(情動)のみに訴えかける、ある意味でマンガ的な青春映画であり、そこに在日という新たなキャラクターが加わったということなのである。 そういった「物語」否定的なテクスト解析を80年代に推し進めた結果が現在の情況である、とは僕も思わないけれど、この手の映画では、キャラクターを弄くる以外に僕らが作品を共有化する術がないのはもはや自明のことであろう。 在日という根拠に対する切実さはこの35年間で大きく変化したと思うが、元々、この問題の切実さは、あの葬式のシーンのような場面にはない、と僕は思っている。それを描いてしまったが故にこの映画はその立場を中途半端にしている。キャラクター映画ならば、在日というものをもっと無根拠に描いてもいいのであり、現代に訴える映画であるのならば、そのくらいの徹底があってもまたそれは清々しい。 
[DVD(吹替)] 7点(2005-08-29 22:39:45)(良:2票)
140.  心(1973)
夏目漱石の「こころ」は純愛小説である。漱石にとって恋愛とは、完全なる自意識の劇であった。恋愛とは自我の可能性と不可能性を行きつ戻りつしながら、常に自己自身の不一致と世界への不信に苛まれる「私」という存在の自意識過剰なモノローグとして在る。ある意味で漱石の描く恋愛小説とは、個人小説でありながら、その個人の不確かさを描くことによって、常に個人が個人として在るという近代の前提を覆す反近代的な物語にもなり得るのである。小説「こころ」は恋愛小説であるが、それは同時にモノローグであるということを決定的に指し示した作品ともいえる。 それを映画化すると「心」になるのだが、この評価はなかなか難しい。何故なら、そこで描かれるべきものは、思いが常に言葉としてしか表現できないという関係性の限界から立ちのぼるモノローグであり、それは言葉を突き詰めることによって初めて表現される苦悩であるから。モノローグのない「こころ」は、自意識の劇にはなり得ない。では何か?? その不明瞭さこそが「心」という作品の核心なのかもしれない、というのはかなり穿った見方ではあるか。
7点(2004-08-03 22:54:19)
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